2021 年 35 巻 2 号 p. 101-112
目 的
戦前の大日本産婆会総会並大会の議案をもとに,大日本産婆会の運営と課題を明らかにする。
対象と方法
現存する大日本産婆会総会並大会誌(1929年~1943年)と産婆関連雑誌を対象に文献研究を行う。
結 果
産婆は業権確立,地位向上を目指して全国組織としての大日本産婆会を1927年に設立した。大日本産婆会には会長がおらず,年に1度の大会を主催した府県の産婆会長が1年間のみ理事長として会を統括した。また多くの道府県の産婆会長には産婆ではなく医師がなっていた。大日本産婆会総会並大会誌から主として3つのことが明らかになった。1つは,産婆が医師や素人産婆との間の境界を明確にし,産婆の業権を確立しようとしていたことである。このことは,産婆が緊急時に注射などの処置をできるように産婆規則を変えること,医師が正常産を扱わないようにすること,素人産婆が出産介助をしないようにすることといった議案に示されている。2つ目には,勃興した社会事業が産婆の生活に大きな影響を与えるようになったことである。昭和前半期には都市の貧困層への対策として無料や安い費用で出産を介助する産院が登場し,また健康保険が導入され,独立開業の産婆の生活が脅かされるようになった。3つ目に戦時体制の影響がある。1938年以降大会の議案は綿の配給を求めるものが多くなり,また乳児死亡率の低減を目的として導入された保健婦と産婆との職域の違いが問題化されるようになった。しかし,産婆は出産介助を通じて国に貢献することを自分たちの使命と考え,戦争協力を惜しまなかった。
結 論
大日本産婆会の議題から,政府は医師や看護職との職能上の微妙な関係を考慮して,産婆の地位を法的に確立することに慎重だったことがわかる。また大日本産婆会は,産婆の業権を確立する法律の制定を目指したが,戦争の影響下にあってかなわなかった。戦前の大日本産婆会が抱えていた課題を知ることで,現在の助産師の社会的位置を新たな視点でとらえ直すことが可能になる。