抄録
本稿では、1982年にジャンムー・カシミール州(インド)の南カシミールで起きた禁酒運動の詳細を明らかにすると同時に、この事件をめぐる新聞報道の分析を通じて、インドの政治言説におけるセキュラーな主体の再考を試みる。
1982年3月に南カシミールの中心都市アナントナーグで分離主義団体ピープルズ・リーグが起こした禁酒運動は、カシミール地元のウルドゥー語紙では広範な町民の支持を得た市民運動と報道された。だが、この運動が攻撃対象とした数軒の酒屋の経営者がすべてマイノリティー(ヒンドゥー教徒)だったため、この運動はインド全国英字紙ではイスラム原理主義的で反ヒンドゥー的な事件と報道された。これらのカシミール地方紙、インド全国紙はいずれも自らの言説を「セキュラー」と見做したが、ともにマジョリタリアニズムを含み持っており、歴史的なセキュラー言説がしばしば持つ偏りを露呈するものだった。