従来の人道主義をめぐる議論において、支援のジェスチャーとしてなされた利他的贈与としての人道主義的贈与は、受け手からの返礼を拒むことで、与え手を上位に置く階層化された連帯を生み出すことが指摘されてきた。また、人道主義における行為者の意味づけや経験の多元性を解明する解釈論的アプローチにおいても、考察の軸は与え手の側におかれ、贈与の場における相互行為や受け手の働きかけについてはほとんど描かれてこなかった。これに対し、本稿は人道主義的贈与の授受の「場」に着目し、受け手が、与え手やこれを目撃する者たちに働きかけ、触発する契機に注目する。そして、人道主義を理念的に支える与え手中心の自由主義的な想像力に対して、受け手を起点とするような社会の構想のありようを記述的に解明する。
対象は、スリランカにおいて新型肺炎コロナウイルスの影響下で発令された外出禁止令の適用期間中、困窮者に対してなされた支援である。支援の現場では、行列をなした群衆に死者が出るなどその悲惨さが話題にのぼる一方で、物資を謙虚に受け取る村落部の高齢者の姿がSNS上やTVで話題を集めた。後者について、贈与の場における与え手との相互行為や、これを画面越しに目撃した観衆の反応を詳しくみていくと、「布施」や「功徳」といったローカルな概念・実践に媒介されながら相互に与え合う関係や、「人間性(manussakama)」を核とした社会への想像力を導出することができる。それは、コロナを契機に軍事化が強化されたスリランカの政治的文脈においては、脆く、とるにたらないユートピア的想像ともとれるものだ。だが同時に、功徳のやりとりを通じて顧慮し、与え合う関係を基盤とした社会への想像力は、苦境のただなかにおける創造性や現状への批判的態度を胚胎していた。