2006 年 23 巻 p. 81-89
本稿では、現代の養子縁組にまつわる暗いイメージの歴史的形成プロセスを検討した。徳川期には、養子は「イエ」存続のための方法として武士階級でも庶民階級でも広く行われており、そこには暗いイメージがないばかりか、養子にいった方が得という明るいイメージさえあった。本稿では、共同事業体的性格を有していた「イエ」が事業内容を減じ、明治・戦前期の「家」へと縮小し、戦後さらに子育てのみを事業とするまでに極限的に縮小した形態として、現在の「家庭」を位置づけた。そこには、欧米の家庭(family)のような独立した2人の個人が結婚し、同じく独立した個人としての子を育てるという個人主義の原則は希薄である。わが国のように「個人」というポジションが希薄であれば、産みの親に育てられず、「家庭」に属すことのできない子(養子の候補)は、何のポジションももたない不幸な存在とみなされ、その不幸な存在を引き取らざるをえない養子縁組にも暗いイメージがつきまとう。