ジャーナル「集団力学」
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英語論文(日本語抄録付)
  • Osama Abu Zied Nogid El Nour , 杉万 俊夫
    2011 年 28 巻 p. 1-14
    発行日: 2011/08/01
    公開日: 2013/04/12
    ジャーナル フリー
     スーダンでは、1955-2004年にわたる長期の内戦に加え、1980年代前半の深刻な飢饉によって、400万にものぼる国内避難民が発生した。南部を中心に発生した避難民は、当初、北部の首都ハルツームに流入したが、1992年、政府は、首都郊外の砂漠に4つの避難民キャンプを設置し、避難民を移住させた。避難民キャンプの生活環境は劣悪を極めた。そのような避難民を救援するために、海外から多数の非政府組織(NGO)が活動を開始した。ただし、海外NGOは、スーダン政府に批判的な行為に及ぶこともあったため、スーダン政府は、国レベル、州レベルで海外NGOの活動を監督する組織を設けた。
     本研究は、ほとんどの海外NGOの活動が短期的な緊急救援に終始するなか、例外的に中長期的な避難民の育成・成長を目的とする活動を展開していたNGO「International Rescue Committee(IRC)」の活動を検討したものである。具体的には、IRCが2002-05年にわたって実施した3つのプロジェクトを、筆者(第1著者)がプロジェクトに参加しつつ観察、検討した。
     第1のプロジェクトは、海外NGOと協力して活動に携わる国内NGOのレベルアップを目的として実施された。2-5日のワークショップが130回開催され、合計1,900名の国内NGOスタッフが、健康問題に取り組む上で必要な知識やスキル、および、救援プロジェクトのマネジメント方法に関する研修を受けた。
     第2のプロジェクトは、避難民の中にいる少数の大学卒業者を対象に、彼らが、避難民キャンプにおける教育活動、平和のための活動、女性の人権擁護活動でリーダーシップをとれるようにすることを目的とした。まず、大学卒業者に基礎的な研修を受けてもらい、その上で、避難民のための6つのプロジェクトが、彼らをリーダーとして実施された。
     第3のプロジェクトは、避難民を含む若者たちを対象に、好戦的文化を平和的文化に転換することを目的とした。スーダンでは、長年の内戦で、好戦的文化が社会の隅々にまで浸透してしまっている。これを、将来を担う若者の態度を変えることによって、平和的文化に転換しようとした。
     以上、一連の3つのプロジェクトは、避難民の生活の中長期的向上を意図するIRCの活動が、次第に、避難民の実態に即した活動へと変化する適応的学習のプロセスをたどったものと考察できる。すなわち、第1プロジェクトでは、避難民の中長期的援助を行うに当たってのパートナーである国内NGOのレベルアップが目的とされたが、その企画・実施に避難民はまったく参加していない。それに対して、第2プロジェクトでは、大卒の避難民が、避難民コミュニティ改善のリーダーとなった。また、第3プロジェクトでは、時間的・空間的な視野を拡大して、避難民を含む若者の将来のために平和的文化への変容が目指された。
日本語論文(英語抄録付)
  • 渥美 公秀, 陳 頴
    2011 年 28 巻 p. 15-41
    発行日: 2011/08/01
    公開日: 2013/04/12
    ジャーナル フリー
     本稿は、論文「四川大地震被災地における中国NGOの救援活動」(陳・杉万,2010)を巡って、筆者らが行った対話を紹介するものである。対話は、第一筆者が、論文で採り上げられているNGO(NGO備災センター:以下、DPC)に関して、4つの論点からなる質問を準備し、論文の筆者(本稿の第二筆者)に提示したことから始まった。その後、約3ヶ月にわたり、電子メールによる対話が続いた。また、4つの論点は、DPCに転送され、スタッフから返信を得た。
     第1に、政府とDPCとの関係を論じた。DPCは、人脈を介した政府との信頼関係のもとで、政府の資源を活用しながら活動していることを確認した。また、西洋と比較すると、中国では、政府とNGOとの格差が大きいゆえにNGOが発展しにくいと判断したが、民主的運営を標榜する西洋のNGOに見られる問題点についても議論した。
     第2に、DPCが依拠している活動モデルについて、特に、被災地からの撤退基準に注目して議論した。その結果、住民たちの能動性・主導性を引き出すことができた時点で撤退するということがわかった。能動性・主導性を引き出せたかどうかの判断は、実際上、困難であることも確認した。
     第3に、DPCと被災者との関係が論点となった。被災地では、どうしても救援活動から漏れてしまう被災者が出てくる。DPCは、資源の許す範囲で、漏れた人々に配慮するのが実情である。資源の有限性からこの現状を容認しつつも、NGOとしては、漏れた被災者に配慮することにこそ存在意義を見いだすべきではないかという議論を展開した。
     第4に、中国のNGOの現状と展望について議論した。中国のNGOは、十分な活動を展開できる現状にはないが、中国社会に対するメディアの一面的な評価に囚われず、DPCのような活動を地道に展開していくことが中国社会を前進させるだろうという展望を得た。
  • 博多祇園山笠の事例
    日比野 愛子, 杉万 俊夫
    2011 年 28 巻 p. 42-65
    発行日: 2011/08/01
    公開日: 2013/04/12
    ジャーナル フリー
     本研究は、人口減少の中、いかにして伝統的な祭りを維持するかを考えるために、福岡市博多部で鎌倉期から続いている博多祇園山笠(以下、山笠)を事例に、山笠がいかなる人々によって支えられているかを調査、分析したものである。山笠は、7つの流(ながれ:一つの流は約600~1000人で構成)によって行われ、流ごとに重さ約1トンの山(大きな神輿)を担ぎ、ゴールまでの時間を競う。昔から山笠は地元(博多部)の住民によって行われてきたが、博多部の1970年代以降の人口減少により、地元住民だけで維持することが困難になった。こうした苦難の時代を乗り越え、現在でも、福岡の夏を彩る代表的な祭りとして大々的に営まれている。本研究では、2009年に実施した質問紙調査の結果を中心に、山笠がどのような人々によって営まれているかを検討した。具体的には、山笠を構成する7つの流の一つ、土居流で現場研究を実施し、「いかなる人たちがどこから集まってきているか」を調査した。
     調査の結果、土居流の参加者は、地元住民が2割、残る8割は地元外からの参加者であった。他の流では地元住民の比率が大きいところもあるが、いずれの流を見ても、山笠は実質的に福岡市の祭りになっていることが確認された。ただし、山笠の中核メンバーは、地元住民であり、地元住民を抜きに山笠は存在しえない。子どもの頃から自然に参加してきた地元住民にとって、山笠は、自らの生きがいになっていた。同時に、現在の山笠は、地元以外からの多数の参加者にも支えられている。山笠ならではの人間関係や達成感は、地元以外の参加者にとって大きな魅力となっていた。地元以外の参加者の中には、地元の人と同様の重要な役職についている人も少なくない。山を担ぐ重要な役割についても、地元の人と分担し合っていた。
     山笠を維持するには、地元住民の関与を持続するのはもちろんだが、他方では、さらに地元以外の人々を巻き込んでいくことが必要と思われる。本研究では、その基礎資料として、地元以外の参加者が、「どのようなきっかけで、いつごろから」参加し始めたのかを分析した。その結果、地元以外の参加者の約6割は、知人から依頼される(誘われる)か、あるいは、自ら申し込んで、「ここ10年以内」に参加し始めた人たちであることが見出された。大まかなイメージとして、「数年前から参加し始めた20、30歳代の人」というのが、地元以外の参加者の6割を代表するイメージと言える。言いかえれば、「つい最近」参加し始めたばかりの若い人たちというイメージである。
     山笠には、直接的な運営を担う人たちを中核にしつつ、多様な立場の人々が携わる重層的な構造が形成されており、こうした重層性が山笠の活気を支えていると考えられる。今後の山笠の継続には、人口構成の変化に伴い、山笠運営の仕組みをどのように再調整していくかが鍵となるだろう。
  • 林 沙織, 乾 英理子, 杉万 俊夫
    2011 年 28 巻 p. 66-85
    発行日: 2011/08/01
    公開日: 2013/04/12
    ジャーナル フリー
     「自然の中での保育」と「軽度発達障害児の療育」に取り組むユニークな2つの活動事例を取り上げ、それらを専門家(保育士・療育士)と子どもの身体的「溶け合い」という概念を軸に考察した。それは、同じく幼児を相手にしていても質的にかなり異なる2つの活動についての具体的な記述(観察言語)に、共通の理論言語を重ねわせることによって、2つのローカリティにインターローカルな視点を提供する試みでもある。
     まず、「自然の中の保育」の活動事例として、鳥取県智頭町で行われている「森のようちえん」を、筆者が参加観察で経験したエピソードに即して紹介した。「森のようちえん」では、園舎をもつことなく、常に森の自然の中で保育が行われている。その保育の現場では、保育士と子どもたちが、自然の場を共有し、「横並びの目線」で自然に相対していた。また、保育士は、子どもを肯定するか否定するかという姿勢ではなく、まずもって、あるがままの子どもを受容するという姿勢を貫いていた。そのような保育士と子どもたちの関係は、親の変化、すなわち、子どもの多様性を認め、子どもが伸びるのを「待つ」姿勢への変化をももたらしていた。
     次に、「軽度発達障害児の療育」の活動事例として、京都府宇治市にあるNPO法人アジール舎の児童デイサービス事業所「児童デイころぽっくる」の活動を、参加観察と母親からのヒヤリングをもとに紹介した。「ころぽっくる」では、療育士は、「障害児」という先入見に捕らわれない姿勢、子どもを無条件に受容する姿勢で療育にあたっていた。また、子どもも、そのような療育士の胸に飛び込み、保育士・療育士と一体化しつつ療育を受けていた。その療育は、子どもたちに保育園や学校では得られない自信と能動性を育んでいた。また、そのような療育士と子どもの関係は、親の変化、すなわち、わが子の障害を受容する方向への変化をももたらしていた。
     これら2つの事例は、保育士・療育士と子どもの身体が互いに「溶け合う」関係を形成している点で共通している。その身体の「溶け合い」は、新しい「意味」(子ども・子育てについての意味)を生成し、親の変化をもたらしていると考察した。
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