2026 年 10 巻 論文ID: e10018
6年間の大学生活で研究に取り組むことができる期間は限られる.したがって,多くの薬剤師は十分な研究経験を持たずに社会へ出ると考えられる.研究経験の少なかった筆者が臨床研究を開始する際は,研究デザインや統計の知識不足および時間の制約など多くのハードルが存在した.しかしながら,信頼できる指導者の支援により臨床で感じた疑問を臨床研究として形にすることができた.それらの成功体験により研究への心理的ハードルが徐々に低下したことで,次の研究へ挑戦する意欲が高まった.加えて,研究の継続には家庭,業務および研究を両立するライフワークリサーチバランスの確立が重要であったと考える.これらの経験から,研究実践できる薬剤師を育成するためには,早期の成功体験により研究のハードルを下げ,自主性と継続可能性を高めることのできる教育指導体制および研究環境の整備が不可欠であると考える.
Although the six-year pharmacy curriculum offers limited opportunities for research, many pharmacists enter clinical practice with only modest research experience. The author was no exception; while having some exposure to research during university, the experience was insufficient to provide confidence when initiating clinical research in practice. Consequently, several barriers emerged at the outset, including limited knowledge of research design and statistics, as well as time constraints. With support from a trusted mentor, however, a clinical question arising from daily practice was successfully developed into a clinical research project. These early achievements gradually lowered the psychological barriers to conducting research and fostered motivation to pursue subsequent studies. Furthermore, sustaining research activities required establishing a balance between family life, professional duties, and research—an essential component of long-term engagement. Based on these experiences, fostering pharmacists who can conduct clinical research requires an educational and supervisory framework that provides early success experiences, reduces perceived barriers, and enhances autonomy and sustainability within an appropriate research environment.
薬剤師が臨床現場で研究を実践する意義は,エビデンス創出を通じて医療の質を高めることにある.しかしながら,6年間の大学生活において研究に従事できる時間は限られており,研究の経験を十分に積むことなく臨床に出る薬剤師は多いと推察する.筆者も例外ではなく,卒業後は先輩からの勧めもあって大学病院の薬剤師として就職し研究からは離れていた.そのような筆者がなぜ臨床研究を開始し,さらには社会人大学院へ進学しようと考えたのか,その経緯や研究開始時に直面したハードルなどについて自身の経験を例として考察する.
大学院へ進学したのは就職して7年経過した頃であった.進学を決めたきっかけは,就職を勧めてくれた先輩(進学後の指導教官)の後押しで始めた小規模な臨床研究であった.薬物治療に関連する有害事象マネジメントは薬剤師の重要な職能の一つであるが,その対処法について頭を抱える場面は度々遭遇する.筆者においては,「リネゾリド(LZD)治療中の患者で嘔気嘔吐が多い気がする」という臨床的違和感であった.LZD治療中の患者における嘔気嘔吐に対処するために関連する一次資料等を精査したが,LZD投与患者において嘔気嘔吐を主要評価項目とした報告は一切無かった.そこで,その有害事象について先輩に相談したところ,自らエビデンスを創出することを勧められ,その流れで「なんとなく」臨床研究を始めるに至った.
初めての臨床研究は,LZD投与と嘔吐発現の関連を後ろ向き観察研究で検証するものであった1).研究デザインの立案,データ収集,統計解析,論文執筆と,すべてが初めての経験であったが,頼れる先輩のコーチング的な指導に支えられ,最終的に論文としてアクセプトされ1つの成果となった.この成功体験が筆者に「自分にも研究ができるかも?」という小さな自信を与え,研究継続に対するハードルが下がったことで,先輩から勧められた大学院進学という道に進む決意が固まった.加えて,当時は薬剤師としての強みが何もなく職歴だけが伸びていくことに不安があり,自分を変える契機を欲していたことも進学を決心した1つの理由であった.また大学院に進学するうえで,私生活との両立は避けて通れない課題であった.進学を決めた当時,長男はまだ2歳であったが,研究時間の確保は家族の理解と協力があってこそできたと考える.
大学院博士課程では病院電子カルテデータおよび医療ビッグデータを利用した研究ならびに細胞を用いた基礎研究の3つの検討を実施した.それらの検討の中で,研究の継続性向上に大きく貢献した体験を紹介する.研究内容の詳細は該当の論文を参考にされたい.
1. 病院カルテデータを用いた研究2)大学院最初の検討ではLZD投与患者における嘔吐発現のリスク因子を探索した.リスク因子探索のための統計手法として初めてロジスティック回帰分析と出会い,そして悩まされることとなった.研究はこれまで同様に指導教官である先輩の指導の下,筆者がデザインや使用する統計手法を考え実践した.その中で,サンプルサイズは初学者向けの成書を参考に「モデルに組み込む説明変数の数 × 10のアウトカム数」となるように設定した3).紆余曲折を経て出来上がった論文を雑誌に投稿したところ,査読においてサンプルサイズの設定根拠を詳細に述べるよう指摘を受けた.その際,指導教官からの研究支援として「説明変数の数 × 10」の元論文を紹介いただいた.統計に関する論文は初学者には難解で正しく理解できているか不安はあったが,時間をかけて査読に対応し採択された.本検討では査読の厳しさを痛感したと同時に,真摯に対応することで自身の研究が認められることを実感できた.また,利用する統計手法は踏み込んで理解する努力が必要であることを強く反省させられた.しかしながら,統計に関する論文も時間をかければ意外と読めることに気づけたことは,今後の研究の基盤となる重要な成功体験であったと振り返る.
2. 医療ビッグデータを用いた研究4)大学院進学前に実施した研究は単施設単診療科における検討であったことから,本検討では外的妥当性を確保するために大規模レセプトデータベース(DB)を用いてLZD投与と嘔気嘔吐の関連を調査した1).DBを利用した研究は初めてであり,「DB研究とは何か」を理解するところからスタートした.大規模DBは実臨床の患者を巨大なサンプルサイズで解析可能という利点があるものの,その性質上様々な限界点があった.DB研究の実績もある指導教官の助言もあり,それらの限界点への対処として傾向スコアマッチング(propensity score matching; PSM)を用いた解析を実施した.PSMを用いるにあたり統計に関する英語論文を複数読むこととなったが,前述の成功体験により前向きに読み進めることができた.その結果,執筆した論文は最終的に英文誌に採択された.本検討では目的に合致した研究手法の選択やバイアスへの対処の重要性を指導教官より学ぶことができた.知識と経験に裏付けられた指導教官の支援は,研究および学びの方向性を常に最適化してくれたと考える.指導を受ける中で,指導者は「自らの経験を通じて初学者に研究の方向性を示すことができる能力」を持つことが肝要であると感じた.
3. 細胞を用いた基礎研究5)ここまでの検討において成功体験はいくつか積むことができたものの,肝心のLZD投与による嘔気嘔吐の発現機序に関する情報は得られていなかった.そこで大学院最後となる3つ目の検討では細胞を用いた基礎実験を実施した.大学時代を含めて細胞を扱った実験は未経験であり,これまでと同様にゼロから実験方法の考案および細胞培養,酵素結合免疫吸着測定法,および蛋白定量などの手技獲得を行った.基礎実験開始前は,通常業務後に実験する時間を確保できるのか,無い場合は休日返上で実験しなければならないのか,などの不安が一瞬頭をよぎった.しかし,これまで蓄えてきた成功体験によって新規研究スタートへのハードルは非常に低くなっていたため,深く考えずやってみることとした.実験はこれまで臨床で観察された有害事象を裏付ける結果がスピード感をもって得られたため非常にやりがいがあった.休日の家族や趣味の時間は死守するため平日は日付が変わるまで実験した日もあったが,その甲斐もあって本検討の論文も英文誌に採択された.また,それに伴い6年間の長い社会人大学院生活に終止符を打つことができた.
前述の通り,臨床現場で働く筆者自身も研究を始めること自体にいくつかの非常に高いハードルを感じていた.
1. 自信の獲得大学時代に臨床研究の経験を十分に積めていない初学者にとって,研究へと踏み出す最初の一歩に必要なものは自信と信頼できる指導者であると考える.自信がないうちは先輩等の信頼できる指導者に全力で頼ることにより,まず1つ成功体験を積むことが重要であると考える.
2. 時間の制約臨床研究の場合,業務後に研究時間を確保することはそれほど難しくはない.難しいのは研究継続性を確保することである.したがって,家庭や趣味との両立はことさら重要である.そのために,平日は定時で業務を終える努力をし,休日は家族および趣味の時間を充実させるなど,ライフワークリサーチバランスを意識した時間管理が重要となる.また,基礎研究の場合は実施可能な施設が限られるため,職場と研究施設の距離という課題が存在するため,より厳密な研究計画と時間管理が要求される.
3. 指導者の不在施設によって指導者数に差があり,研究デザインや統計解析を相談できる相手がいないことが大きなハードルとなる.筆者の場合は指導教官でもある先輩の存在が研究開始の鍵となったが,指導者の不在は研究文化の醸成を阻害する要因となり得る.したがって,大学などの学術機関と医療機関の連携による施設差の標準化などが今後の課題であると考える.
4. テーマ設定の難しさCQはあっても研究として成立するRQへと変換するプロセスは訓練が必要である.日常業務で生じた小さな疑問をメモし,その疑問を解決するためのデザインを常に考え,指導者と議論しながらテーマを磨いていくことが重要であると考える.
研究初心者にとって研究の強要は意欲を削ぐ要因となる.一方,傾聴と質問を主体としたコーチング的アプローチは,本人の主体性を引き出し,研究を継続する力を育むと考える.
2. 成功体験の提供研究の初期段階で小さな成功体験を積むことは,研究継続の大きな原動力となる.例えば,簡単な後ろ向き研究の実施や,学会発表の経験など,達成感を得られる機会を早期に提供することが望ましい.特に学生のうちに経験しておくと,薬剤師キャリアのスタート後においてもその成功体験は役立つと考える.
3. CQからRQへ変換を教える教育臨床疑問を研究疑問へと昇華させるプロセスは,研究の核心であると考える.新人のうちから日常業務での疑問を大切にし,それを研究として構造化する思考訓練を欠かさないことが重要である.
大多数の薬剤師にとって,自分一人の力でゼロから研究を開始し継続していくことは困難である.本稿において研究開始に立ちはだかる「4つのハードル」を挙げさせていただいた.それらを克服し研究を継続するために必要なものは,「臨床疑問を大切にする姿勢」,「背中を押してくれる指導者」,「小さな成功体験の積み重ね」,そして「ライフワークリサーチバランス」であると考える.研究は決して一人で完結するものではなく,指導者や仲間との対話および家族の協力を通じて磨かれていく.薬剤師が臨床研究を実践できるようになるためには,指導者が学生や若手薬剤師の主体性を引き出し,研究の楽しさと達成感を共有できる環境づくりが不可欠である.本稿が,研究実践できる薬剤師を育成する教育の一助となれば幸いである.
発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.