日本の動物園・水族館と生涯教育の歴史は,主体性の欠如によって特徴づけられるといえるだろう。それは,自然科学の担い手,すなわち研究の主体者としての動物園の成立が妨げられたことと相通じる。明治期において,動物園・水族館と生涯教育は,軽視されながらその開闢期を経過し,研究が組織の核に据えられることは無かった。戦後,自由を旨とする法体系が整備されたものの,動機や価値基準に根差す多数の断絶にとり囲まれて,動物園における研究の発展は乏しかった。園館をとり囲む分断状態は,業務と研究の断絶,純粋科学と実践手技開発の断絶,生涯教育行政と学術研究行政の断絶,獣医学と動物学の断絶,還元主義と比較動物学の断絶,文教行政と環境行政の断絶,文教行政と建設行政の断絶などと類型化できるだろう。これらを克服し,学問の主体者,研究の主体者として,動物園が確立されることが希求されている。