2005 年 3 巻 p. 21-30
遠山一行の武満徹論「武満徹と戦後」は、武満作品を単に客観的に観察することを避け、自分自身を棚上げせずに論じることで、武満自身の「こと」の重層性を浮き彫りにする。遠山は、武満は最初「言語としての音楽」を拒絶しようとした、と言っているが、ここでの「言語」は、単なる音楽の語法と同義ではない。「言語」とは、「意味」「意識」あるいは「世界」 の契機のことであり、「言語の拒否」から「言語の不可避性の認識」への変化の洞察こそ、遠山が武満に見出した、音楽というものの本質なのではないか。
なにゆえ、遠山は 60 年代末に武満晩年の作風を予言しえたのか、その後の武満論が見落としたものは何か、また音楽について語ることの基本姿勢についても考える。