本稿は,日本における支援技術の政策史を振り返ることを通し,支援技術に関する理解や政策がどのように変化したのかを明らかにする.そして,ICT(情報通信技術)が障害者の社会参加を阻む社会的障壁となってしまう現状を分析するための手がかりを得ようとするものである.
日本における支援技術の政策史を振り返る過程では,制度の対象としてユニバーサルデザイン製品を含むか否かが一つの係争点としてあった.そして,多くの議論が,ユニバーサルデザイン製品を含まない支援技術の開発や普及を支援する形で決着し,専用品を軸に政策が形成されたことを示す.
考察では,石川(2004)による「配慮の平等」に関する議論を参照し,少数者が使用する支援技術は「特別なコストがかかる配慮」として可視化され,その一方で,多数者が使用する技術も「配慮」であることは,不可視化されたままであることを指摘する.専用品に偏った支援技術政策は,人々に障害者への配慮を「特別なコストがかかる配慮」として認識させることにより,支援技術が適応追随型となり,ICTの発展から置き去りにされる構図を補強している.障害者の社会参加を進めるためには,支援技術をめぐる理解や政策に関する発想を転換する必要があることを指摘する.