高度経済成長期以来,山村の多くは発展から取り残されて過疎となっていった.独自の生活基盤が失われ,伝統的生活が廃れていくなかで,ほとんど高齢者のみが残る姿となっている.自然と密接につながって生活が営まれてきた山村の姿は,農耕などの生業や生活における衣食住の在り方にあらわれている.このような人々の日常生活の中にある自然を利用する知識,技術,また自然に対する心は,その土地に生活する人とともに消えうせようとしている.
遠州最北端(静岡県西北部)の山間の暮らし,昭和初期の生活の実態は『聞き書 静岡の食事』(1986)からうかがい知ることが出来る.浜松市天竜区水窪町では,農業や食生活を伝統的に受け継ぐ姿が今でもある.しかし,どれほどのものが残っているのか,いや失われてしまったであろうか.
日本の文化を稲作中心に捉えるという見方と,山村などの畑作が混在した形で捉える見方がある.また照葉樹林文化論やブナ林(ナラ林)文化論という生態を軸にした枠組みで捉えることも重要である.
遠州最北端の水窪町は,標高が高い山間の町で,照葉樹林帯とナラ林帯の生態的な境目と考えられている.また中央構造線(フォッサマグナ)がこの地域を通っており,山の恵みをうけて,古くから人が入り,文化が形成されてきた.本稿では,この地に山村の独自の文化が残されていることに注目し,それがどのように受け継がれてきたか,調査記録として記したい.
まず山村の独自性と畑作の形成について既往の研究に学びつつ整理し,生業としての農業や継続されて残ってきた自給的な常畑における農作業の実態を調査に基づいて記した.水窪で継続されてきた独自の畑作技術や在来作物の詳細である.現在,こうした山村生活について聞き取り調査ができる最後の時期となっている.さらに,実際に生活をしている方々からの聞き取りに基づいて,年間行事と行事食が継続されている事実,日常的に継続されている食生活,味噌・醤油などの調味料,さらに山村独自の食物などを幅広く記した.
山村の日常生活に残る自然を利用する知識や技術は,自給的農業の延長である少量多品目生産の有機農業に通じるものがある.そのため,伝統として受け継がれてきた文化の記録資料としてだけでなく,農村の暮らしを志す人たちに,自然に対する心とはどういうものか,今一度立ち止まって考える糧になることを期待して記述した.