抄録
「アーバン・ジェネラル・プラン」の著者として有名なT. J. ケント・ジュニアは、またサンフランシスコ・ベイ・エリアの大都市圏計画に一生を捧げた。1940年代にベイ・エリアの計画局長会議を組織し、1950年代には、大都市圏計画の原則を提示し、地域計画機関設立の州法を起草した。1958年には市民団体「オープン・スペースのための人々」を設立し、1960年代後半には ABAGの全米最初の大都市圏グリーン・ベルト計画の作成を支援した。1974年、カリフォルニア大学を退官した後は、グリーン運動に精力を傾注している。この論文は、ケントのベイ・エリアにおける地域計画の努力をたどり、アメリカ大都市圏計画への貢献を明らかにする。