筑波大学
2007 年 42.3 巻 p. 433-438
(EndNote、Reference Manager、ProCite、RefWorksとの互換性あり)
(BibDesk、LaTeXとの互換性あり)
本研究の目的は、1873年に廃城となった城址の公園化の経緯と背景を明らかにすることである。1873年1月、政府から全国の城郭について存続か廃止の区分が通達された。その翌日には初めての公園制度が政府から府県に布告された。政府は廃止後の城郭の跡地利用の方針を示さなかったし、城跡を公園開設の場所としても想定はしていなかった。しかし同年には米沢と高知から城跡公園の申し出があり、認可された。城跡の土地を官有地として保全を担保するとともに、一般に開放するという地域側の意向が強く反映された。
すでにアカウントをお持ちの場合 サインインはこちら