抄録
京都市水道は明治45年 (1912) に京都市三大事業の一環として敷設され、琵琶湖疏水を上水源とした。明治期における都市の水道建設の動機の例にしたがい、京都も古来より豊富良質とされていた地下水の汚染がコレラ等の伝染病流行の原因になったためとされる。
ところがわが国には明治以後、上水道技術とともに下水道技術も同時に伝来し、いつれを先に建設すれば都市衛生上好結果をえられるか、という議論がなされている。京都においては、他の都市に比較すれば良質なる地下水を飲料水とし、市民の水道への関心はむしろ薄く、衛生上、下水道建設の要望が強かった。上水下水選択論争は、水力電力増強の目的も兼ねた琵琶湖第二疏水建設の計画の登場により、上水道工事優先が決定され、下水工事の着手は昭和に至るまで待たねばならなかった。