抄録
本研究は、わが国における近代水道以前の水道の一つである近江八幡水道の施設構造と水利用形態、創設年および管理運営などについて考察したものである。本水道は、滋賀県近江八幡市の旧市街にあり、井戸を水源として竹などの樋管で導水、各戸の井戸 (溜桝) に貯留利用する複数系統の水道 (地元では水道といわず取井戸あるいは単に井戸と呼ぶ) の総称で、各水道の利用者は仲間・組合を作り、規約を定めてその管理運営を行なってきた。本水道については「滋賀県八幡町史」(八幡町、1940年刊) にその概要が詳述されている。本稿は、「滋賀県八幡町史」を基礎に、現地で得た若干の関係文書・絵図などと本水道の利用者を対象に1982 (昭和57) 年10月実施したアンケート調査結果の一部にもとづいて考察を行なっている。施設構造は扇状地扇端部の砂礫層の浅層地下水を穴を開けた埋設樽で集水、竹などの樋管で導水し各戸の井戸に貯留利用するもので、幹線樋管は単純な樹枝状が多い。浅層地下水利用のため、渇水時には水位が低下し、梅雨期の大雨時には各戸の井戸でオーバーフローを生じる。本水道の基本構造は高野山水道に近い。創設年として「滋賀県八幡町史」では開町当初を強調しているが、ここではその論拠の一部を否定する資料を示し、創設年の再検討を行なう。管理運営では施設の改修、井戸替えおよび料金について触れる。料金で興味深いのは、水源地の村に涼料と呼ぶ源水料ともいえるものを払つていることで、地下水を私水とみる考えによると思われる。本水道は1953 (昭和28) 年近代的上水道の布設により利用が滅り、多くの組合は自然消滅している。しかし、一部の組合は現在も存続し、雑用水を主体とした水利用が行なわれている。