日本土木史研究発表会論文集
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二重橋の高欄と南部鉄器の歴史について
出戸 秀明宮本 裕岩崎 正二堀江 皓
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キーワード: 二重橋, 南部鉄器, 鋳物
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1987 年 7 巻 p. 207-213

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抄録

二重橋は構造本体を横河橋梁が、高欄部の鋳物は久保田鉄工が製作したが、有名なわりには土木技術上の資料が少ない。高欄のデザインは盛岡市出身の当時芸大教授の内藤春治が担当した。それ以前の橋はドイツの設計になっていたが、内藤春治は日本を代表する橋になると考えて、日本的なデザインを工夫したた, その際鋳物の芸術性を尊重して材質も高品質のものを生み出した。彼が芸大の鋳金科に進んだきっかけは南部鉄器の技術を保存するために設立された南部鋳金研究所で技術を学んだことによるところが大きい。盛岡の鉄瓶産業の伝統保存と技術発展のために、南部利淳 (としあつ) 公が、盛岡の鋳金の改良を目的として大正3年 (1914) 6月1日に南部家に開設したのが南部鋳金研究所である。そして、東京から盛岡に帰り、初代所長を務めたのが松橋宗明である。松橋宗明と内藤春治は、盛岡ばかりでなく現代の日本の鋳物にとって忘れることのできない重要な人物達である。このように古来からの伝統である南部鉄器の影響が日本を代表する橋の高欄におよんでいる。
この機会に我々は、伝統的な技術の上に新しい技術をふまえた、現代にも通用する高欄の技術史 (まだ発展中の) を報告したい。さらに鋳物の町盛岡に少しづつ作られている鋳物の高欄の実態を紹介したい。

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