抄録
福井市の中心部を流れる足羽川に架かる九十九橋は、戦国の武将柴田勝家が、北之庄城築城の際に左岸側半分を石造で右岸側半分を木造で架けた「半石半木」の奇橋として有名である。江戸時代には葛飾北斎が「諸国名橋寄覧」に半石半木橋を描いており、「名橋番付」では東の関脇に挙げられていた。この半石半木橋は明治42年の河川改修により姿を消し、木造トラス構造や鉄筋コンクリート構造等に架替られてきたが、河川改修により昭和61年に再び架替られた。この架替に当たっては、その歴史性を生かし、地域のシンボルとして愛され続ける橋とするための数々の工夫が試みられ、計画設計者を始め、政策決定者や地域住民、文化人、学識経験者等の意見を反映させた計画プロセスにも見るべきものがある。
本報告では、まず九十九橋の歴史的変運を整理し、国内の主要橋梁の歴史との比較を行うことにより、本県への技術伝播や標準化の考察を行っている。次に、昭和61年に架替られた橋梁の設計画について、気候や地形地質の自然条件、構造や材料・工法等の土木技術、そして政策決定者・プランナーや労働力等の人材の三つの観点から土木史的考察を行っている。また、住民に対するアンケート調査を通して、施設の利用状況と、施設に対する評価や愛着度を明らかにし、土木史的土木計画のあり方を考察している。