抄録
蝦夷地の幕府直轄時代 (1799年~1821年)、幕府はロシヤの南下にともなう領有問題をはじめ、蝦夷地の安定化などの対応のために一つの政策として、幕府直捌制による東蝦夷地と内国との船舶による交易を積極的に推しすすめた。このため、東蝦夷地沿岸や東廻りの航路の整備、多くの御用船の採用、交易制度の確立など諸種の行政行為が急速に行なわれることになった。一方、当時の海上輪送が多くの危険をともなうものであったため船の補修や造船が必要となり、加えて箱館の拠点港としての要請からもタデ場・船作事場の建設がもとめられた。そこで、湊の沖合に築島をし、その場をもうけた。ここでは、そのことを中心として、これにまつわる周辺状況を史実に基づき土木工学的視点から考察を行なった。