土木史研究
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河川からみた埼玉平野の開発
古代から家康入国まで
松浦 茂樹
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1991 年 11 巻 p. 73-83

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抄録

利根川と荒川で囲まれている埼玉平野は、近世の江戸幕府にとって重要な生産拠点であった。近世、埼玉平野では開発が進められていくが、ここにはまた、出土品である鉄剣から金象嵌銘文が発見され、近年、古代史に大きなインパクトを与えた埼玉古墳群がある。本稿は、河川との関わりが深い水田開発と舟運整備に焦点をあて、埼玉古墳群を支えた生産基盤を考察するとともに、家康入国時までの開発状況を論じたものである。
埼玉平野の安定した開発には大河川利根川・荒川の洪水対策が不可欠であるが、古代の技術では防禦することができず、氾濫を前提として開発が進められ、「不安定の中の安定」という状況になっていた。開発は少しづつ進められていくが、利根川防禦に重要な役割を果たしたのが中条堤と、それに続く右岸堤である。この地域の拠点として忍城が整備されたのが1490年である。
また綾瀬川筋から元荒川筋へという荒川付替が、さらに利根川水系の舟運の整備が、後北条家の時代に既に行われていた。家康は、決して未開の地ではなく、かなり整備が行われていた状況で関東に移封されたのである。

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