1921 (大正10) 年までに敷設された北見地方の鉄道路線について, その当初計画とその後の形成過程をたどると, 当地方内陸部の急速な発展を反映して, いずれも当初計画とは異なった路線形態となった。
これらの経過を網走・湧別軽便・名寄の3路線について形成順にたどり, 異なった形態をもたらした要因を考察し, さらに隧道や峠越えの技術的側面から分析した結果, 池北峠では当初予定の隧道を掘削せずに難工事を克服して経費を節減した。しかし, 常紋隧道と天北峠では, 隧道の難工事と賃金・物価の高騰などから, 予想以上に経費が増大したことが明らかになった。