1998 年 18 巻 p. 595-602
第1次大戦によりもたらされた好景気の夢、いまだ覚めやらぬ時期に、子爵・田尻稲次郎東京市長は東京市技師田村与吉に東京築港計画の作成を命じた。これによって作られた築港計画は、1919 (大正8) 年11月に市長に提出された田村参考案といわれる東京築港計面で総工費1億円であった。超尻市長は、この計画案をもとに関係機関と合議のうえ、田村参考案より規模の大きい総工費3億5千万円の築港基礎案なるものを1920 (大正9) 年、東京築港調査委員会で可決した。本文は、この大規模築港計画案成立 (基礎案) の経緯、社会背景等について論述する。