東日本大震災の津波被災地では,「創造的復興」という旗印の下,道路や土地の嵩上げ,防潮堤の建設,防災集団移転促進事業の実施と災害公営住宅の建設など,ハード面の整備が進められた。一方で,津波浸水域の多くが災害危険区域に指定され,還れない土地となった。震災から10年あまりが経過し,それら「復興」がもたらした土地の変容が次第に明らかになってきた。高台や内陸部に人びとが去った移転元地の多くは,未利用のまま荒廃している。
「創造的復興」はなぜ,またどのようにそうした土地の変容を促したのだろうか。見えてきたのは,帝都復興へのノスタルジーを内包しつつグレーインフラ整備を優先し,安全を命題としたスキームによって「なかったことにして前に進む」復興のあり方である。では,人びとはその変容をどう受け止め,どのような未来を見出そうとしているのだろうか。本稿では,宮城県石巻市北上町で取り組まれている,集落跡地を利用した杜づくりの事例を取り上げる。非─場所(オジェ)の議論を手がかりに,復興が生んだ「非─場所」を,杜づくりが「場所」化していく様相を考察する。杜づくりに見られる,健全な生態系の取り戻しとポリフォニックな空間の創出を特徴とした,やわらかい技術としてのグリーンインフラは,官製の創造的復興に対し,住民たちによる創造的復興として捉えることができる。