これまでの自然保護地域についての先行研究では,「原生自然」を価値の中核とした保護地域への指定や保護施策は地域の人びとに受苦をもたらし,またローカルな価値や歴史を不可視化させることが強調されてきた。一方文化遺産の社会学的研究では,遺産のプロセスは複雑な関係のもとで絶えず更新・再構成されていくものであることが指摘されている。本稿では世界自然遺産地域知床の一画で展開されており,「原生の森」の再生を目指している「しれとこ100平方メートル運動」を事例に,開拓の歴史が顕在化する過程に注目することで,これまで十分に示されてこなかった遺産としての自然保護地域のプロセスを明らかにすることを目的としている。
運動最初の20年間において,開拓の歴史は離農に焦点をあてて語られており,軽々しく語ることのできない複雑な記憶として,また運動の推進につながるわけではないものとして認識されていたことから,積極的には語られてこなかった。その後,運動外部の主体が開拓の歴史を肯定的なものへと遺産化し,それが運動担当者に受け入れられたこと,また開拓史が運動推進上不可欠な資源として位置づけられたことにより,運動において開拓史は語り伝えられ,また開拓時代の痕跡である家屋は守り残されるものへと変化していった。このように自然保護地域において開拓史が顕在化してくるプロセスは,原生自然保護による不可視化と切り離すことはできず,両者が関係しあいながら遺産としての自然保護地域のプロセスは進行しているといえる。