本稿は,沿岸海域において一本釣り漁業と遊漁船業を兼業する漁業者の生業活動について,おもに漁場・資源利用の場面における意思決定と合意の諸相にかんして検討するものである。事例としては大阪府岬町小島の漁業者の漁撈活動を取り上げる。
小島の遊漁船業は大正時代末に開始され,時代的な継続性を有する。また,小島のみならず,この地域の遊漁船業は南海鉄道の淡輪遊園開発の一環として開始され,地域的な広がりを持つ。
現代の遊漁船業と,漁法的に共通する一本釣り漁業の魚種別月別漁獲量を比較すると,対象魚種とその漁期にかんして多くの部分で共通している。いっぽう,年間漁獲量をみると,両者で共通する魚種の,漁獲量全体に占める割合が大きく異なっている。ここには漁獲対象選択に際して,漁業者のなかで異なった戦略に基づいた意思決定がなされていることか反映している。
漁場利用にかんしては,漁船・遊漁船にかかわらず慣習的な優先利用のルールが暗黙に存在するほか,漁船と遊漁船では漁船の操業を優先する慣習が認められる。さらに遊漁船業と漁業を兼業する生業形態が大半を占めるなか,漁船と遊漁船との間でトラブルが生じた場合,「お互いさま」という言葉に象徴される「相互了解性」による合意のなかで回避される構造がみられた。ここには前述の小島の遊漁船業が持つ歴史的要因とそれにかかわる社会的要因が作用している可能性がある。
小島漁業協同組合では大阪府下で初めて間伐材を利用した魚礁を沈設したが,その導入の合意と決定には,漁業者のもつ漁撈にかかわる民俗的知識が寄与している。また,沈設場所の決定についても同様であった。