2011 年 51 巻 2 号 p. 45-68
本稿は,鹿児島県におけるカツオ漁業について,その遠洋漁業の確立期にあたる1920年代の操業実態に関する資料を提示するものである。1936年に川﨑沛堂によって書かれた『坊泊水産誌』は,南薩摩地域のカツオ漁業史を知る上で貴重な資料であるが,出漁の詳細についてはさほど多くの記述がなされなかった。そこで本稿では,同時期に記された漁師の日記を活用し,当時の操業のようすをできる限り再構成することを試みた。1920年代の日記の整理と分析から,航海範囲の拡大を確認するとともに,以下の結論を得た。
カツオ漁業の展開過程において,船舶の発達と同様に,餌料をめぐる技術的改良は実に大きな意義を持っており,母港からはるか遠い洋上での,かつ長期間の操業を可能にしたのは,餌料の入手方法の確立であったといえる。このことは,『坊泊水産誌』を基に整理した1900年周辺の,餌場占用を目的とした地域内の漁業管理組織の編制のようすと,日記から明らかになった1923年当時の餌の購入地に関する記録との差によって推し量ることが可能である。また,そうした変化にともない,餌の調達を専門とする新たな職種と職人(ザコケ)も生まれたことが今日の聞書き調査によっても確認される。以上の餌料をめぐる動向はまた,漁業管理制度あるいは漁場の利用価値そのものを大きく変える契機としても位置付けられ,対象地域における漁業の歴史的背景としておさえておかれるべき点であると考えられる。