抄録
本研究は,本居宣長という個人の目を借りて,門前町が形成されて京都の中でも有数の名所巡りの景域を形成しはじめる18世紀中葉の「清水祗園あたり」における,行楽の空間の構造を明らかにするものである.予め同時代の地図資料,絵図資料から領域の敷地及び経路の構成を把握した上で,本居宣長の『在京日記』(1752-1757)の全記述から「清水祗園あたり」における宣長の体験内容を読み解き,行楽の拠点となった場所と,宣長の足取りの特性を分析した.その結果,宣長によって経験された同景域における,細かなループ状の経路が幾つも重なりあい社寺境内と門前の両方を渡り歩く路傍に4種類の行楽の拠点が配置されている構造が見出され,それぞれの拠点における場づくりの性質が示された.