抄録
本研究では,ローティの会話概念を手がかりとして,道徳授業における話し合いのあり方を考察することを目的としている.その考察の手順は以下の通りである.
第一に,言語と自己の偶然性,リベラリストの想像力,アイロニストの二つの語彙という三つの観点から,ローティの理想とするリベラル・アイロニストの思想を概観した.第二に,その彼の思想を象徴する会話概念を,それ自体が目的である,想像力で営まれる,非方法的である,という三つの側面で整理した.第三に,その会話の三側面に照らして,道徳授業における話し合いを再記述することを試みた.その再記述を通して,工夫と拘束の狭間,公と私の狭間,一致と不一致の狭間,という三つの狭間に教師が身を置くことの重要性を明らかにした.最後に,改めて道徳授業における話し合い,ひいては授業実践についての語り方を指摘した上で,子どもと教育としての会話を営む教師のあり方について論じた.