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投稿論文
禁煙言説の歴史的変遷マクロ・ソーシャル・マーケティングに関する探索的考察
石澤 泉
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2018 年 2 巻 2 号 p. 49-56

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Abstract

本稿では,禁煙言説の歴史的変遷を分析することを通じて,マクロ・ソーシャル・マーケティングの可能性について検討する。これまでのソーシャル・マーケティング研究では,商業マーケティングの応用はもとより,アップストリームやマーケティング・システムにまで焦点を広げた研究が考察されてきた。しかしこれらの研究では,特定の主体群が意図的に個人の態度変革や社会変革をもたらすことに焦点が当てられ,マクロな社会現象として個人の態度変革や社会変革が生じるという過程についてはあまり焦点が当てられてこなかった。本稿では,こうした課題に対し,日本における新聞記事上の禁煙言説の歴史的変遷を分析することを通じて,マクロな社会現象として個人の態度変革や社会変革を捉える意義を示す。この試みは,いずれも探索的ながら,第一に,マクロな社会現象を捉えるというマクロ・ソーシャル・マーケティングの研究視点と意義を提示するとともに,第二に,その具体的な分析手法を提示することになる。

1  論点の設定

禁煙の意識は世界的に広がりをみせている。WHO(世界保健機構)では,1988年より世界禁煙デーが設定され,各国では様々な施策が提供されている。カナダ,イギリスを始め多くの国では各種施設,交通機関は全面禁煙,オーストラリア,タイ等たばこパッケージの喫煙の悪影響に関する警告広告も明示され,価格も千円を超えるものがあるなどたばこ税が高額に設定されている(WHO, 2017)。日本においても,世界の流れに遅ればせながらも(厚生労働省,2016),2010年にはたばこの価格が大幅に引き上げられた。この10年で,たばこの価格は1.5倍以上に引き上げられている。

こうした禁煙の促進は,ソーシャル・マーケティング研究(Andreasen, 1994; Kotler & Lee, 2009)や,特にデ・マーケティング(Moore, 2005Kennedy & Parsons, 2012)として捉えられてきた。デ・マーケティングでは,Kotler(1971)の議論を手がかりとしながら,需要を引き下げることもまた重要なマーケティング活動とされ,まさに禁煙(Moore, 2005)やダイエット(Evans, 2006),減酒(Gomberg, Schneider, & Dejong, 2001)など様々に考察が進められる。これらの研究では,商業マーケティングを応用しつつ,消費者の認知に影響を与える諸要因を検討することによって目標が達成できることが示される(Pechmann & Knight, 2002)。禁煙をソーシャル・マーケティングやデ・マーケティングの中で捉えれば,こうした商業マーケティングの応用には重要な意義がある(上村,2014林,2008)。

さらに近年では,商業マーケティングの応用に留まらず,消費者を含む多様なステイクホルダーの相互作用による市場アクセスや市場創造また需要抑制なども注目されている。これらの研究では,制度や行政,世論形成などへの働きかけを行うこともまた重要なマーケティング活動だとされ(Kotler, 1971, 1986),アップストリーム(水越・日高,2017)や総体としてのマーケティング・システム(Layton, 2015)の考察が進められる。

しかしながらその一方で,禁煙の意識の広がりは,一国家のプロジェクトとして効果を生み出したというわけでもなければ,ましてや一組織のマーケティングによって実現されたというわけではないようにみえる。世界はもとより,日本を見てもわかるように,禁煙の意識の広がりはおそらく個別の要素には還元できない,長い時間を伴う社会変容の過程である。

Kennedy(2015)は,こうしたマクロな社会現象を捉えるに際して,マクロ・ソーシャル・マーケティング(MSM)を標榜する。Kennedy(2015)は,アップスストリームを研究するソーシャル・マーケティングは,政策立案者による構造的変革や,個人の行動変革に焦点を当て議論してきたが,マクロ・マーケティングの基準に合っていなかったという。Kennedy(2015)によれば,MSMは,ソーシャル・マーケティング手法を包括的に使用して,個々のレベルとは対照的に,長期的,体系的な行動変化の社会的文脈を形成することであるとし,MSM研究では,マクロ・マーケティング研究の知見が援用され,個別の意思決定ではなく,社会という総体の意思決定が改めて考察の対象とされる。Dholakia and Firat(1982)が指摘した通り,どんなクルマを購入するのかはミクロな意思決定として分析できる。その意思決定に社会や文化が影響していることももちろん分析できる。しなしながら,より重要なテーマは,社会としてクルマ社会を選択しているのか,それとも鉄道社会を選択しているのかというマクロな社会現象である。

先に述べた通り,禁煙やアルコールなど健康問題,さらには環境問題など多くの今日の社会問題は,ミクロな意思決定の集合というよりは,マクロな社会現象として捉えることができるようにみえる。もちろん,マクロとミクロは密接なループ関係にあるが(坂田,2001Layton, 2015),少なくともソーシャル・マーケティング研究では,マクロな社会現象があまり注目されてこなかった。その理由として,一つには,もともとソーシャル・マーケティングは直接的な個人の態度変革や社会変革をかなり実践的な点から取り扱ってきた(French & Gordon, 2015)ということが指摘できる。関連する研究として,メガ・マーケティング(Kotler, 1986)の視点からのカジノのイメージ変化を捉える考察(Humphreys, 2010a, 2010b)や,ボトックスの受容プロセスを例に新技術への社会からの拒否反応とそれを克服するマーケティング間の相互作用の考察(Giesler, 2012)を挙げることができるが,その数自体もまだ多くはない。

それからもう一点,マクロな社会現象やその歴史的変遷を具体的に捉える方法があまりはっきりとしていなかったという点も指摘できるかもしれない。これに対し,近年では過去の新聞記事などのデータを分析対象とし,より客観性を高めた上でマクロな社会現象を捉えることが可能になりつつある。これらはHumphreys(2010a, 2010b)や Giesler(2012)の考察を分析手法という点でうまく補完するだろう。例えば,Giesler(2012)では,各時代ごとのボトックスの対立的なブランドイメージを膨大な資料やインタビューから明らかにしているが,これらはあくまで解釈的である。これに対して,Humphreys(2010a, 2010b)では新聞記事の統計的な処理と分析が試みられているが,特定フレームの登場頻度の推移を考察しており,後述するような共起関係を捉えているわけではない。そこで本稿では,禁煙に関する言説分析を通じて,日本における禁煙の意識の広がりをマクロな社会現象として考察し,マクロ・ソーシャル・マーケティング研究の可能性を確認することにしたい。

2  分析

2.1  分析方法とデータ取得

本研究では,新聞記事を中心的な分析対象とする。新聞は,ステイクホルダーの関係性も含む複雑な関係性や,包括的に社会的文脈形成プロセスを経時的に追跡するときに有用な資料となる(松井,2013樋口,2014)。樋口(2014)は,実証分析により,新聞紙面に多く現れる主語や用語ほど,人々の念頭に浮かびやすいということ,その意味で社会意識においても高い顕出性を示すという関連が見出され,部分的にではあるが,新聞報道と社会意識の類似性・相関関係を確認できるとする。経営学領域においても,新聞記事の言説を基にした先行研究として,松井(2013)や,水越・コールバッハ(2015)勝又・西本(2016)高井(2017)などを挙げることができる。

分析の対象期間については,JTが毎年発表している「全国喫煙者率調査」から1976年から2016年までの40年間の「喫煙者率」データに合わせ同期間とし,記事検索では,40年間のデータ取得が可能な「日経テレコン21」から日経四紙,「ヨミダス」から読売新聞を検索した。記事出現数の推移とともに,その内容の推移について,テキストマイニング用ソフトウェア「KH Coder」(樋口,2014)を用い,共起ネットワークをもとに分析することとした。共起ネットワーク分析1)は,出現パターンの似通った語,すなわち共起の程度が強い語を線で結ぶことで言説間のネットワーク構造を表現する(樋口,2014)。本稿のMSM考察において,記事に出現する「禁煙」言説に注目して,「禁煙」が他のどのような言説と結びついているのかノードのペア関係(中野,2017)の視点からステイクホルダーに注意を払い,時間展開を伴って社会現象を捉えて禁煙という行為が生成されていく社会的文脈形成プロセスを捉えることに有効であると考える。また,補完的に,雑誌記事からも同様に,「Magazineplus」を用いてデータを収集,解釈した。

共起ネットワークの分析において重要になるのは,期間の区分である(松井,2013)。図1が示すとおり,喫煙者率は,データ取得初年の1976年から2016年に至るまで一貫して減少している。1976年には男性75.1%,女性15.4%だったのが,2016年には,それぞれ29.7%と9.7%と大幅に減少している。特に男性は45.4ポイントも減少した。一方で,「禁煙」記事は増加しており,「禁煙」記事出現数と男性喫煙者率の相関係数は–0.6667で両者は「負の相関関係」にある2)。マクロな社会現象として,喫煙率は下がり,一方で「禁煙」記事の数は増えてきたということになる。その一方で,「禁煙」記事には突発的な増加のタイミングがみられる3)。具体的には,後述するとおり,1987年には10年近く争われてきた「嫌煙権」の判決が大きな注目を集め,2003年には「他人のたばこの煙を吸わない権利」に関する記事が増えた。そこで,この二つのピークを境にして,1987年以前,1987年から2002年,2003年以降の3つを区分して捉えることとした。なお,2003年以降についても,2011年を前後して出現頻度に違いがみられる。これらは社会の主テーマが「震災」に代わったためと思われる。そこで以下では,大きく3つの区分と,最後の2003年以降については震災前と震災後に留意しながら,どのように「禁煙」が形成されてきたのを確認する。

図1 

JT全国喫煙者率変遷と「禁煙」記事出現数変遷

JT全国喫煙者率調査及び日経テレコン・ヨミダス・Magazineplusのデータから筆者作成

2.2  1976年から1986年(第I期):社会運動としての禁煙と嫌煙

「禁煙」に関する記事が最初に登場するのは1976年である。当初は嫌煙や嫌煙権とも表現され,当時の記事では,嫌煙権という言説について,1978年における国と嫌煙権運動家との会見などに端を発するともされる。嫌煙権運動家は,たばこの煙を嫌う権利を「日照権」に倣って「嫌煙権」と位置付け,この言説がやがて国レベルでも取り上げられるようになったのである。

その言説が新聞記事にも登場したのが1978年であった。それまでの社会がいかに喫煙社会であったかは,「57年(1982年),男性喫煙率また低下,最低の70.1%」という見出しに表れている4)。喫煙が大勢の社会環境の中で,「1980年に東京地裁で「嫌煙権」初の法廷論争が行われ,車両禁煙化に国鉄は反論」している。禁煙化をめざすグループは,訴訟以外にも「禁煙週間」や「職場喫煙問題シンポジウム」を催し,喫煙・禁煙を社会問題化する社会運動の大きな役割を果たしたという。車両禁煙化に国鉄は反論しながらも,一方では,国鉄はもとより日本航空などの一部で禁煙席が導入され,病院などの公共施設を始め,レストラン,企業などでも喫煙の場所,時間を制限するところがすでに出てきたともされる。

1976年から1986年の「禁煙」の共起ネットワーク図中(図2,第I期)のノード間の関係に注目すると,「禁煙」は,「嫌煙」や「運動」と直接結ばれている。逆にこの時期,「禁煙」は,他のノードとの結びつきはない。現実においては相互の影響を無視することができないが,それは直接的ではなく,多くの場合,それは間接的に,相手を横目に見ながらであったことが予想される。

図2 

「禁煙」記事と名詞の共起関係

日経テレコンのデータを基に,KH Coderにより関係の強い名詞上位40語で筆者作成

広く見れば,「職場」や「駅」が禁煙「タイム」を「実施」し,「改善」,「管理」することが「拡大」している。「国鉄」では「嫌煙」との関係で「列車」の禁煙「車両」が「指定」される。「レストラン」では禁煙「コーナー」が「導入」され,「バス」でも同様に「導入」が進められているのであろう。更には,「米」国から「ガン」の情報や,CMで話題になった禁煙「パイポ」が「発売」され「節煙」を訴える動きも見える。

2.3  1987年から2002年(第II期):社会運動から社会政策へ

1987年は,嫌煙権訴訟によって,「嫌煙権」という言説がいよいよ市民権を得た転換年である。1987年10月には,公衆衛生審議会が「たばこ健康白書」をまとめ,日本の喫煙対策の遅れが目立つこと指摘して政府の対応を求めた。また,同年,たばこの煙有害性を訴え,東京で相次ぎ国際会議が開かれている。11月には『環境と健康会議』が「環境中のたばこ煙に関する国際シンポジウム」を,日本心臓財団が「喫煙と健康世界会議」を「“後進国”日本で開催」し,医療関係者,政府,国際機関が禁煙問題のステイクホルダーとして登場するようになった‍5)

1992年には,国際民間航空機関が,「国際線旅客機の全面禁煙について各国政府が必要な措置をとる」との決議を採択したことが契機となって,国内線では1998年から航空3社が全席禁煙となり,1999年には,国際線も全席禁煙になった。JRは「禁煙車」表示から「喫煙車」表示に変えて分煙化を進め,また,民間企業のオフィスでもOA化の普及に伴い煙に弱いOA機器保護のためもあり,禁煙,分煙の取り組みが進んだ。

このような国内外の運動や具体的な施策の広がりに対応するように,2002年には,厚労省の審議会が,たばこ消費抑制を求めたり,厚労省が全国の自治体に分煙効果の徹底を求める通知を出したりして,禁煙は社会政策に変わってきた。

1987年から2002年の「禁煙」の共起ネットワーク図(図2,第II期)のノード間の関係に注目すると,なによりも,「禁煙」と「運動」の距離が遠くなり,弱まっていることがわかる。「運動」を含むグループは存在しているが,それ以上に「禁煙」に結びついているのは,「席」や「店内」といった単語である。こうした動きは,近年まで続く店内の禁煙化の傾向であり,一部の運動がより一般化し,日常の一部になってきた過程を示している。

「航空」会社が「全面」的に「全席」禁煙を「導入」,「実施」していることが観察できる。また,鉄道の「車両」や「バス」から「駅」では,「コーナー」や「タイム」など時空間の制限が「導入」「拡大」している。「店内」では,禁煙「席」が「設置」されている。「世界」保健「機構」や「米国」など,国際的な動きも観察できる。また,「嫌煙」権を主導する「団体」による嫌煙権「運動」や禁煙「教育」が「全国」に拡大している。さらには,「路上」や「レストラン」での喫煙を「条例」で規制する動きも確認できる。「公共」「場所」や「職場」でも観察できる。

2.4  2003年から2016年(第III期)と2011年から2016年(第IV期):運動と意味の変容

2003年,WHOは「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」の「他人のたばこの煙を吸わない権利」を採択する。これを受け,政府,自治体,公共交通機関は,たばこ規制の国際的レベルの対策に備え,喫煙空間・喫煙時間制限の整備をますます進めることになる。

この時期になると,「禁煙」と「運動」と結びつきは完全になくなっている。それ以上に興味深いのは,「運動」を含むグループ自体が,「指導」や「食事」「節酒」と結びつくことで,そもそも「運動」の意味自体が変容しているようにみえることである。当初の社会運動としての側面は弱まり,食事を見直す,節酒するという健康的な諸活動の一つとして,禁煙に関わる「運動」も含められ理解されるようになったといえる。2002年ごろより,「健康増進法」の法制化と「21世紀における国民健康づくり運動」(健康日本21)の健康増進の総合的な推進が進められており,この中で,たばこは,アルコール,栄養・食生活,身体活動・運動,休養・こころの健康づくり,歯の健康,循環器病,糖尿病などと九つの具体的な課題の一つとして設定されるようになったものと思われる。

2003年から2010年の「禁煙」の共起ネットワーク図(図2,第III期)のノード間の関係に注目すると,「禁煙」は「全面」との共起性が強く,「駅」,「タクシー」,「施設」,「敷地」などで「全面」的に「原則」禁煙になっていることが観察できる。ただし一方で,「全面」に対抗するような「分煙」の「増進」「施行」も確認することができる。併せて,たばこを止めたい人に対して「外来」「治療」や禁煙「補助」剤による治療など禁煙するための「支援」や「治療」行為の動きが目立つ。「運動」という言葉も,これまでは嫌煙権運動と関連していたが,この期では,禁煙,禁煙「推進」の運動である。

2011年以降(図2,第IV期)になると,「公共」「施設」「公共」「スペース」が「条例」で「全面」的に規制されている。一方で「飲食」店,「施設」で「分煙」の動きも確認できる。また,「治療」,「外来」,「補助」,「支援」,「指導」,「医師」,「学会」,「成功」など,禁煙外来や禁煙補助剤を使って「禁煙」を支援したり,指導したりする動きや,それによる禁煙に成功することが観察できる。医師や学会の活動も観察でき,喫煙が健康問題として結びついてきていることを示している。

3  ディスカッション

以上,禁煙意識の広がる過程を通して,個人の行動変革や社会変革を社会総体の意思決定の歴史的変遷として明らかにしてきた。以下では,理論的観点と合わせ,本分析から示唆されることを検討する。

3.1  ソーシャル・マーケティングにおける関係性概念の重要性

日高・水越(2014)は,ソーシャル・マーケティングでは,ステイクホルダーは予め顕在化しているのではなく,むしろステイクホルダーの顕在化と獲得が重要な活動になるとしている。しかも,彼らの利害関係は関係性次第で動態的に変化するとして,ステイクホルダーの多様性を考慮する上で関係性概念に注目する重要性を指摘している。

本分析では,4つの期間における言説空間の変化を捉えることで,多様なステイクホルダーの顕在化とその関係性の変化,及び禁煙意識の変容を確認することができた。始めは,禁煙に関わる言説は,嫌煙権運動家たちの社会運動の中で顕在化し,医療,国,自治体など多様な関係者の関わりにより一般的な社会政策へと移行していったと思われる6)。その後も,禁煙は依然として運動とも関わりを持つが,運動の意味合いそのものも変容し,禁煙は健康改善運動の一つと見なされるようになっている。そして今では,禁煙の場所としての多様なサービス産業の存在や,生命保険の非喫煙者割引制度導入,禁煙を促進するパイポや近年の禁煙補助剤や外来などの医療治療に至るまで,経済的な活動にも結びついている。このような,時間を追って多様なステイクホルダーが登場し,規範や規制・条例といった制度的メカニズムの形成・成長への結びつき,また,禁煙派が多数になると禁煙である環境を当然視(Humphreys, 2010a)する社会現象への変遷は,ステイクホルダーの顕在化が時間の中で生じ,適応的変化すると考えるLayton(2015)によるマーケティング・システムの共進化に近いようにもみえる。

3.2  マクロ・ミクロ・ループの重要性

禁煙の促進という点でもっとも効果的であると思われるのは,一般的にはたばこの値上げである(Brown, 1995; Liang, Chaloupka, Nichter, & Clayton, 2003)。この値上げは,日本でも,1980年,1983年,1986年とその後も3年から5年の間隔で断続的に行われており,そのたびに喫煙率に影響を及ぼしてきたものと想定される。当然,価格政策はソーシャル・マーケティングの一要素とも成すことができる。その他,ソーシャル・マーケティングの観点からすれば,例えば2008年に行われたたばこ自動販売機のタスポ導入なども販路の制約として重要であるが,いずれにせよ,こうしたソーシャル・マーケティング・ミックスの諸活動は新聞記事の中ではあまり登場していない。今回調査対象とした新聞記事の特徴と見ることもできるが,同時に,ソーシャル・マーケティングの社会的なインパクトの弱さと見ることができるのかもしれない。特に2010年の値上げ幅は大きく,喫煙率減少に寄与したとされるが7)水越・日高(2017)によるダウンストリームとアップストリームという観点から見れば,喫煙者に直接働きかけるようなダウンストリームの活動は新聞記事上にはあまり反映されない,あるいはさらに踏み込んで,社会現象としてあまり話題にならないのかもしれない。

マクロな社会現象を考えるとき,社会的集団性や個性は,単に消費者の物理的近接度によって決まるのではなく,消費行為における社会的相互作用によって決定されることに留意すべき(Dholakia & Firat, 1982)であり,これこそがマクロ・ミクロ・ループであるとされる(Layton, 2015)。だが,その分析に際しては,マクロな局面は新聞記事を中心にして捉えられる一方で,ミクロな局面や,さらにはそれらのループについては,また別の分析が必要になる可能性がある。

3.3  支配的消費パターンの変化による「社会的選択」の変化

マクロ・ソーシャル・マーケティングの観点での重要な示唆は,過去40年の間に,たばこ消費に対して「喫煙」から「健康のため,禁煙する」へと支配的な消費パターンが変化し,社会的選択が変わってきたということである。先に述べたように,Dholakia & Firat(1982)は,米国ではハイウェイ(公的)と自動車(私的)が支配的消費パターンであるのに対して,ヨーロッパではインターシティ鉄道(公的)が発達し,支配的消費パターンであることを明らかにしている。このような支配的な消費パターンは,偶然の結果ではなく,歴史的プロセスの結果だという。すなわち,「複雑で,歴史的,弁証法的である社会的・政治的プロセスの結果」(p. 13)であり,「社会的選択」によってもたらされたものだという。本分析から,禁煙意識の広がりは,禁煙者が増えてきたというミクロレベルの消費行動の単なる合計の結果ではなく,支配的な消費パターンとして,マクロレベルでたばこを吸わない生活様式を選択するという,「社会的選択」のプロセスによってもたらされたものだと見ることができる。

これまで少なくとも多くの研究がマクロな意思決定の過程についてあまり注目してこなかったなかで,ソーシャル・マーケティング研究が近年注目するアップストリームや,あるいはより広いマーケティング・システム,マクロ・ソーシャル・マーケティングといった観点は,いずれもマクロな現象を研究対象にしようとしている。本研究では,特に禁煙言説の考察を通じて,歴史的に禁煙意識の広がりを考察してきた。限定的な資料を対象としながらも,それでも,社会という総体の意思決定と長期的な社会変容の過程の考察を通じてマクロな消費現象の一端を捉えることができたといえるだろう。一方,社会現象の生成に影響する世論形成について,パブリックリレーションズ(Kotler, 1986リップマン,1987)の観点からの考察も重要であり,今後の残された課題としたい。

謝辞

本稿の審査過程では,本誌編集長近藤公彦先生(小樽商科大学),及び2名の匿名のレフェリーの先生方から貴重なご示唆をいただきました。また,本稿の作成にあたっては,指導教員である首都大学東京の水越康介先生から,また,分析方法については中山厚穂先生から懇切丁寧なご指導を賜りました。ここに記して御礼申し上げます。

1)  どのような社会的行為が生成されていくのかを言説間の共起関係を分析し可視化するために大別して,共起ネットワーク分析やクラスター分析のように言説間の局所的な共起関係に注目する分析方法と多次元尺度構成法や対応分析のように言説間の全体的な関係を俯瞰的な布置による表現する分析方法がある。共起ネットワーク分析は,共起の程度が強い語を線で結ぶことで言説間のネットワーク構造を表現する。言説間の距離には意味がなく,線で結ばれているか否かが重要になる。本稿では,記事に出現する「禁煙」が他のどのような言説と結びついて社会的行為を生成するのかを解明することが主眼であり,共起ネットワーク分析により観察することとした。

2)  男性の喫煙者率が75.1%(1976年)~29.7%(2016年)であるのに対して,女性の喫煙者率は16.2%(最高年1978年)~9.7%(2015年)であるように全体的な比率でみると,喫煙という行為は男性に典型的な行為と見ることができ,女性の変化率が小さいこともあり,男性のみの変化で相関関係を観察した。

3)  2011年に「禁煙」の出現数が激減しているのは,2011年3月11日の東日本大震災の影響と思われる。ちなみに震災関連の言説の2010年と2011年の日経四紙の出現数は次の通り。「震災」531件→34794件,「津波」272件→5374件,「原発」1262件→10362件,「停電」238件→2572件。まさに桁違いの出現数の増加で新聞が震災関連記事で埋め尽くされていたことがわかる。

4)  日経新聞朝刊p. 26. 1983年2月9日

5)  日経新聞朝刊p. 30. 1987年11月4日

6)  日経新聞夕刊p. 18. 1990年11月24日

7)  日経新聞朝刊p. 9. 2010年10月9日

参考文献
 
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