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消費者が語るナラティブのダイナミクス―インターネット上での「炎上」に関する解釈分析―
増田 明子松井 剛津村 将章
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2020 年 4 巻 1 号 p. 25-32

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Abstract

本論文では,鹿児島県志布志市が公開したネット動画の炎上事例をもとに,消費者がストーリーについて表明する多様な解釈,すなわちナラティブが,どのようにうねりを持って集合現象になるのかを,消費文化理論の観点から検討した。3種類の定性データを分析した結果から,理論的示唆として,多様なナラティブの発生によって論点が細分化,同質化,差別化して論点が収束・発散するプロセスは,社会が抱える矛盾を解消するロジックを見出す神話的プロセスであることが明らかになった。本事例から導かれた3つの神話的プロセスとは「反セクシズム神話」,「反反セクシズム神話」,「メタ的神話」である。

1  はじめに

近年,企業や公的組織が発信した情報について,消費者がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)において同調,賞賛,批判,皮肉を述べたり,それらをさらにパロディー化したメッセージを発信することが頻繁に起こっている。こうしたメッセージは,もともとの内容に対する新たな解釈である。そしてその解釈にさらなる解釈がSNS上で重ねられることで集合現象となり,時には「炎上」する場合もある。「炎上」とは一般に,「ある人や企業の行為・発言・書き込みに対して,インターネット上で多数の批判や誹謗中傷が行われること」である(山口,2018,p. 32)。企業や公的組織などが発信した内容は,動画などストーリーの形式を取る場合がある。SNSという新しいメディアの台頭により,こうしたストーリーを消費者が受け止めるだけでなく,その内容について消費者が発言することが一般化している。

この消費者の解釈については,後述の消費文化理論(Consumer Culture Theory;CCT)において検討されてきた。しかしながら,これらの研究においてはインターネット上で表明される消費者の解釈について十分検討されてこなかった。

そこで本論文では,インターネットにおいて,ストーリーに対する解釈がどのように生成されるのか,その解釈が他者の解釈の影響を受けて,受け手が再解釈をするのか,という問題について検討する。

2  既存研究と理論枠組み

2.1  既存研究:消費文化理論

以上の問題意識を踏まえて,後述のように,本論文では受け手の多様な解釈をナラティブ(narrative)として捉える。こうした主体的にナラティブを語る解釈エージェント(interpretive agent)としての消費者(Arnould & Thompson, 2005, p. 874)に着目してきたのは,CCTである1)。CCTでは,マスメディアに現れた市場イデオロギーとそれに対する消費者の解釈ストラテジー(mass-mediated marketplace ideology and consumers’ interpretive strategies)に注目してきた2)。これは,消費について商業的に発せられる規範的なメッセージについて,消費者がどのように解釈し批判的な反応をするのか,という問題である。消費者が,こうした商業的なメッセージをユーモアの源泉にしたり,会話の話題にしたり,仲間との一体感を創り出したりする抵抗のありようについて分析してきた(e.g., Hirschman & Thompson, 1997Murray, 2002)。

本論文では,ストーリーは「作者の死」(Barthes, 1968)という概念に代表されるテクストであると捉えている。テクストは,批評理論においてもっとも重要な概念のひとつである(丹治,2003)。テクストとは,作者の意図などの概念が当てはまらない言語であり,作者との関係から独立した意味を生産する(Childers & Hentzi, 1995)。テクストの範疇には,文学や哲学のテクスト,子どもの話す片言の言葉,映画のようなマルティメディアのテクストなど,おおよそ全ての言葉の集合を含み,それらに対して多様な読みの可能性を示す(丹治,2003)。批評理論においては,「作者」がストーリーの意味を保証する絶対的な創造者であるという考え方を斥け,「読者」こそが多様な意味を絶えず再構成し続ける生産者であるとする考え方に立脚する(桑田,2006)。古典的な読者が受動的であったのに対し,テクストを前にした読者は積極的に意味生成に参加し,生産行為を行う主体へと変貌するのである(土田・青柳・伊藤,1996)。つまり,意味の形成過程は読者とテクストの相互作用によって進行するのである(鍛冶,2003)。このような立場から,CCTにおいても消費者のより主観的な解釈,すなわちナラティブに着目する研究が行われている(Arnould & Thompson, 2005)。解釈的なアプローチを採るCCTが物語に関して注目するのは特に「神話(myth)」が果たす役割である。

CCTにおけるナラティブに関する研究の先駆的な研究は,Levy(1981)である。Levy(1981)は,クロード・レヴィ=ストロースの議論を援用し,神話を,自然や社会で経験される矛盾を克服することができる論理モデルを提供することを目的としたものと定義している。神話を分析することで,人間の普遍的な認知プロセスを見出すことができるという(Levy, 1981)。本論文もこの定義に従う。Levy(1981)は,中流階級の専業主婦に家族について質問をすることで,小さな神話(little myth)を見出している。消費者のナラティブに光をあてる上で,彼女たちの語りを神話として解釈することの有効性を主張している。

Holt and Cameron(2010)は,Holt(2004)を発展させてパタゴニアやマルボロなどのカルチュラル・ブランディングについて分析している。自然環境軽視や男尊女卑といった従来の価値観(cultural orthodoxy)に対する違和感や反感が社会に醸成されてくると,そこにカルチュラル・ブランディングの機会が生まれるという。こうした従来の価値観への異議申し立てのイデオロギーにフィットするブランディングは広く受け入れられるし,陳腐化しにくいという。この新たなイデオロギーを伝えるのが神話であり,それをカルチュラル・ブランディングを通じて具現化したのがブランドである(Holt & Cameron, 2010, p. 175)。例えばパタゴニアというブランドは,自然環境軽視という従来の価値観と,それに対する違和感や反感の間に見られる矛盾を克服する論理モデルを提供している,という意味で,レヴィ=ストロースの言う神話を具現化したものである。Holt and Cameron(2010)によれば,ナラティブによって論点が細分化したり,同質化や差別化して論点が収束・発散するプロセスは,社会が抱える矛盾を解消するロジックを見出す神話的プロセスである。

近年の有力な研究は,Brown, McDonagh, and Shultz(2013)である。映画『タイタニック』を事例として,ブランドに対する消費者のナラティブに注目した。ある神話を消費者にとって意味深いものにする要因や,消費者が長く語りつぐ神話となる理由を検討している。この論文が指摘したのは,ナラティブが語り継がれるには曖昧さ(ambiguity)が重要であり,曖昧さによって多様なナラティブが生成される点であった。

2.2  リサーチ・ギャップと理論枠組み

以上のようにCCTにおける既存研究は,消費者が語るナラティブに着目してきた。しかしながら,インターネット上でのナラティブについては十分な検討がなされていない。インターネットでは,削除されない限り過去のコメントはいつでも他者が見ることができ,また相互に影響しあうことがある。過去のコメントをもとに次の発信がされ,発言が積み重ねられる。このリサーチ・ギャップを埋めるべく,本論文は,事例分析を通じて,消費者によるナラティブがどのようにうねりを持って集合現象になるのかを検討する。

その際に用いる理論枠組みは,CCTの既存研究の成果を踏まえて,図1にまとめられている。本論文では,企業などが発信したストーリーへの受け手の多様な解釈を「ナラティブ」(narrative)と定義する(Brown et al., 2013)。上述のようにストーリーはテクストであるので,当然多様な解釈が可能である。Brown et al.(2013)は,(映画『タイタニック』のような)大衆文化の産物を文学的・文化的な観点から分析するためには,様々な利害関係者のナラティブを詳細に検討する必要があると述べている(p. 600)。本論文もこの立場に沿うものである。

図1.

ナラティブが神話を生み出すプロセス

作図:著者

こうしたナラティブが生まれるのは,従来の価値観(cultural orthodoxy)に対する違和感や反感が醸成されてくる場合である(Holt & Cameron, 2010)。また,曖昧さ(ambiguity)があると,多様なナラティブが生じる可能性があると,Brown et al.(2013)は指摘している。Brown et al.(2013)では,曖昧さは多様であり,いくつもの曖昧さが重なる形があることを「タイタニック」を事例にして分析をしている。ここでの曖昧さの要素は,タイタニック号の衝突から沈没までの史実の不確かさによる「混乱」(confusion),沈まない船が沈むという「矛盾」(contradiction),多様なメディアによるタイタニックを表現した「積み重ね」(cumulation)である。これらの要素が存在することで,消費者にタイタニックの話が神話という形で浸透し,その魅力が増しているという。

Brown et al.(2013)の議論を踏まえると,ナラティブに曖昧さが生じる理由は,ストーリーそのものの「混乱」や「矛盾」に求められる。その一方で,こうしたストーリーについてのナラティブが「積み重ね」られると,曖昧さがさらに増す。つまり,曖昧さが生じる理由は,ストーリーそのものにも,またストーリーが語られることにもある,ということになる。Brown et al.(2013)の指摘する曖昧さの3つの要素は,神話の形成プロセスに関する本論文の理論枠組み(図1)において明示的に位置づけられている。

さらに本論文では,Brown et al.(2013)が注目した「積み重ね」が,ナラティブが可視化されるインターネット上での神話形成プロセスにおいては重要な概念であると捉えている。そこで,こうした多様なナラティブが積み重なり影響し合うことを「ナラティブの積み重ね」(cumulation of narratives)と呼ぶ。インターネット上での複数のナラティブの影響関係に着目するためには,こうした本論文独自の概念化が必要であると考える。このナラティブの積み重ねが否定的な形で生じるのが,上述の「炎上」である。ナラティブの積み重ねを経て,従来の価値観との矛盾を克服することができる論理モデルが社会で見出されると,神話として消費者の間に共有される(Levy, 1981)。

3  事例とデータ

本論文では,2016年に鹿児島県の小都市である志布志市が,ふるさと納税のPRキャンペーンとして「少女U」(後に『UNAKO』と変更,本論文では動画内での呼び方に従い「うな子」とする)という約2分間のストーリー動画を YouTube上で公開3)し「炎上」した事例について分析を行う。

この動画の目的は,ふるさと納税の返礼品をPRし,納税額を増やすことにあった。動画のストーリーは,市の特産品であるウナギを擬人化させた黒い水着姿の少女が視聴者に「養って」と語りかけ,男性ナレーターが少女を大切に育てていることを訴求するものであった。公開後すぐにインターネット上で多くの批判があがり,市に約50件の苦情電話が入ったため,1週間で削除された(日本経済新聞,2016年9月27日)。

本事例に注目した理由は2つある。第一に,新たな社会規範の高まりを背景にナラティブの積み重ねがインターネット上で大規模に生じた事例だからである。インターネット上でのダイナミックなプロセスを解釈することで,CCTに対する貢献が期待される。第二に,ウナギの擬人化というメタファーを利用した曖昧さを含むストーリーの事例を取り上げることで,ナラティブの積み重ねが生じやすい事例と考えたからである。

本論文では,主に3つの定性データを分析した。第一に,「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」(31投稿)や「ガールズちゃんねる」(1,059投稿)などで見られたインターネット上の言説である。第二に,志布志市から得た内部資料である。具体的には,ふるさと納税管理システムの備考欄あった「うな子」に関する意見(27件)と,志布志市に直接寄せられた「うな子」に関する意見(メールなど,108件)の2つである。以上が消費者によるナラティブ関するデータである。第三に,志布志市に対するインタビューである(2019年3月に実施)。これは主に事実関係を確認するために行われた。その他,メディアによる報道も収集された。これらを解釈的研究の手法に従い分析した(Belk, Fischer, & Kozinets, 2013)。具体的には,異なるジェンダーから構成される執筆者全員が,これらデータのコーディングを行い,その後,分析結果にずれがあるものについては,討議の上,判定を行った。

4  動画「うな子」炎上の事例分析

4.1  動画発表前

志布志市によれば,動画「うな子」は,きれいな水で,地元の生産者が思いをもって大事に育てていることをしっかり表現したかったという。当初は,市長も,この動画の公開について難色を示していた。しかし大手広告会社の法務的な確認を経て,大丈夫そうだということで,動画作成へと進んだ。出来上がった動画についても,公開前に市役所内で意見徴収会を行っている。

4.2  動画発表後(インターネット上のナラティブ)

この動画についてTwitter上では「なかなか攻めているCM」という発言や,「す,すごい,これはすごい炎上しそうだ……! 二重に炎上しそうだ……!」と当初から炎上の可能性も指摘されていた。

本格的にこのPR動画に嫌悪感を表明するナラティブが示されたのは,公開から2日後の9月23日のことであった。Twitterでは,「酷いとかのレベルじゃないです,誇張ではなく本当に吐き気を催す」,「この表現がなぜ今この時代に通ったのかまじで分からない」,「若い女性を食物に喩えて上目遣いアピールする必要があるの」という,従来の価値観を疑問視する一般常識との感覚がズレているという指摘などが見られた。また,Twitterのトレンドに入ることにより,多くの人がPR動画を注目するに至り,さらに炎上が拡大した。

匿名掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」(以下,5ch),「ガールズちゃんねる」(以下,Girl)でも同様に炎上が起こった。「ふるさと納税の動画ひどいよね 炎上狙い?最後に新しい若い女の子がでてくるのもキモい」(5ch)など炎上手法だというナラティブや,「ロリコンきも男が喜びそう…気持ち悪い」(Girl),「スク水ってロリコンの主要アイテムじゃん気持ち悪い」(Girl)のような演出がロリコン趣味であるといった感想や,「完全に少女監禁ファンタジーやん。身の毛がよだったわ」(Girl)という少女と監禁との関連性を指摘する意見が見られた。あるいは「男尊女卑っていう意味でもまずいね。女性が養ってってお願いするみたいなの」(Girl)のように男尊女卑という文脈に結びつけたり,また,「あの子の人肉を蒲焼きにしてるみたいで映像自体は私も怖いと思います」(5ch)といったカニバリズム的な表現への批判などが見受けられた。他にも「うなぎを飼育して成長する過程で,ポタポタと水辺に真っ赤なモミジが落ちるんだけど,あれ,生理にしか見えなかった」(5ch)など演出の節々に新たな解釈を加える投稿も見られた。一方,「文部科学省が定めた服を放送してロリコン扱いされるのはおかしいと思う」(5ch),「スク水を見ただけで「さては男どもは……」としか考えつかない女のほうが差別なんじゃないのか?」(5ch)など,動画に対する批判への批判もあった。

こうした批判に次ぐ批判は匿名掲示板というメディア特性を反映するケースが散見される。しかし,製品の値上げなどネガティブなナラティブが誘発されやすい場合でも,企業など組織による優れたコミュニケーションが展開されることで,匿名掲示板で多数の賞賛を得る場合もある(岩井・牧口,2020)。この事例では,ウナギを擬人化したイメージ映像を用いた曖昧さを残す表現で,解釈を各消費者に委ねるコミュニケーションであったため,セクシズムに反応した消費者により多様なネガティブなナラティブが表明された。

こうした炎上を受けて,志布志市は9月26日に配信停止のお知らせを市ウェブサイトに掲載し,事態収束を図った。しかし,それでも炎上は止まらず,The Guardian(2016)BBC News(2016)などは性差別的でカニバリズム的なホラー映像としてPRビデオを紹介した。また,国内テレビの情報番組でも炎上事例として取り上げられ,より注目が集まった。

国内外のメディアで取り上げられたことにより,後追いをするように多くのブログやニュース記事でも,映像内容に関する批判が行われた。「スク水の少女,フラフープ,ぬめぬめ,ホースからの放水,媚びるようなセリフ,これらを総合して本当にエロくないと思うのだろうか。胸に手を当ててほしい。事実としてアダルトビデオやイメージビデオによくある演出であることは否めない」(網尾,2016)といった性差別と結びつけた記事が多く見られた。また,「最近の自治体のPR手法を見ると“意図的に炎上を狙ったのではないか?”と思ってしまう事例も少なくない。ふるさと納税のゆがみが,うな子を産んだ」(週プレNEWS,2016)という制度的な問題を指摘する論調も見られた。あるいは,「小さな自治体が公開した動画も,世界中で見ることができるのである。対応にもなおいっそうの配慮を求めたい」(千田,2016)というように,自治体への批判も見られた。同様の批判はTwitter,匿名掲示板などでも生じ,しばらく炎上が続いた。コーディングによると,5chでは,全31の投稿の内,動画に対してポジティブな発言が2件(6.5%),ネガティブな発言が11件(35.5%),動画が性的であるとする発言が8件(25.8%)であった。Girlでは,全1,059の投稿の内,ポジティブな発言が17件(1.6%),ネガティブな発言が568件(53.7%),動画が性的であるとする発言が217件(20.5%)であった。また,志布志市にはPR動画への批判の電話やメールが約150件寄せられる事態となった(読売新聞,2016年9月28日)。

4.3  動画発表後(志布志市に寄せられたナラティブ)

4.3.1  志布志市ふるさと納税管理システム備考欄に寄せられたナラティブ

志布志市ふるさと納税管理システム備考欄に寄せられたうち,「うな子」について入力があるナラティブは27件であった。ポジティブな内容は23件(85.2%),ネガティブな内容は1件(3.7%),動画が性的であるとする内容は0件(0.0%)であった。以下のように,ネット上のナラティブとは対照的に好意的なナラティブが占めていた。

「うな子のビデオは面白かったと思います。その方向で見ると,そう見えるかもしれませんが,貴市の狙い?でも,そのおかげで寄附することができました」

「うな子のCMの中止は,残念でしたね。ですが,その中止のおかげで志布志市の事を知って寄附しようと思いました。こらかれもおいしいうなぎの養殖をがんばってください」

このように今回の「騒動」をきっかけにして,納税を行う人も少なくなかった。またこの失敗を糧に頑張って欲しいという建設的な意見も見られた。

4.3.2  メールなどで志布志市に寄せられたナラティブ

一方,メールなどで志布志市に寄せられたナラティブは,合計108件あった。2016年9月27日放送の『とくダネ!』(フジテレビ系)で報道されたことで,市への投書が増えた。108件のうち,ポジティブなナラティブは37件(34.3%),ネガティブなナラティブは60件(55.6%),動画が性的であるとするナラティブは38件(35.2%)あった。また,同番組の報道後にはポジティブなナラティブが増加している傾向がみられた。こうしたナラティブは当然,投書した人々の間で共有されるわけではないが,以下に示す内容を見ると,SNS上やマスメディアで表明されたナラティブから影響を受けていると考えられる。

批判的なナラティブは,事前チェックが十分ではないという市の姿勢に対する批判も多かった。「この動画の作成と公開を許した行政の無神経さ」について「男女共同参画推進の立場から,あの動画をどうご覧になりましたか?」といった指摘である。また,九州や鹿児島県が伝統的に「男尊女卑」社会であるという指摘も見られた。こうした批判的な意見は,上述の匿名掲示板での発言内容と酷似している。

また,動画公開を取りやめたことについての批判もあった。「コマーシャルを削除する必要は無かった。(中略)志布志市も情けない。いいなりだ」とか,「なぜ,あのCMを取り下げるのでしょうか?行政だから,誰かの意に反しているから,そんなの言い訳です」というものである。

性的であると指摘するものとしては,「母親から見て,スクール水着の少女を男が養うなんて最低なコンセプト」「近年特に問題となっている少女わいせつ,監禁を想起させるような内容。卑猥さを惹起するようなシーン」といった「性搾取であり,差別」という批判がほとんどであった。

一方,肯定的なナラティブも見られた。「私はとても素敵なキレイな映像に感じました」とか「美しくユーモアを交えたPR動画」であるとか,「どう見ても芸術作品です」というものである。

また「今回,炎上させたフェミニストたちは公安監視団体でもあったSHIELDsなどとも仲が良く,かなり素性のあやしい連中です」とか「おそらく背後にセックスヘイター(性差別症)の団体が糸を引いているものと思われます」といった陰謀論的な意見も散見された。

5  発見事実から見出せる示唆

5.1  3つの神話

以上のナラティブの積み重ねにおいては,批判的なトーンが見られた。こうしたナラティブはマスメディアの批判的な報道の影響を受けている可能性がある。しかし詳細に見てみると,メディアの報道内容では包摂できない多様な解釈が生じた。ただし,こうしたナラティブの積み重ねは単に発散するのではなく神話というかたちで回収されていった。具体的には,「反セクシズム神話」,「反反セクシズム神話」という神話が創出されたと考えられる。また,これらの対立する神話が指摘する矛盾やそれを克服する論理に懐疑的な「メタ的神話」が生じている点も注目すべきである。

まず,第一に,「反セクシズム神話」(anti-sexism myth)である。この神話は,この動画自体や動画を流した志布志市に対する直接的な批判である。掲示板上でネガティブな意見が重なり合い,批判がより発展していった。当初,炎上が生じた際には,「ひどい」,「グロテスク」など直感的かつ短い感想の意見が主にSNS上で広がった。その後,SNSや掲示板上で動画の特定部分の批判へと繋がっていった。例えば,「ロリコン」を象徴する性的なシンボルとしてのスクール水着や少女を監禁する男性というモチーフ,ポルノ動画に出てくる道具としての少女が遊ぶフラフープなどである。これらの要素を発見し,解釈し,セクシズムとして捉える解釈が生じた。それまでフラフープに性的な意味を見いださなかった消費者も他者のこうした解釈を知ることにより,動画に込められた性的な演出を認識し,嫌悪感を抱くようになる。このように,インターネット上では,他者の意見がしばしば露出されており,集合的に解釈が発展,拡散することがこれまで以上に容易に生じる。

反セクシズム神話は,動画の様々なモチーフを男女差別といった従来の価値観への矛盾に当てはまる内容に変換させている。そして,SNS上で拡散することにより社会に男女差別という矛盾を越えようと訴えている。これら一連の経緯は,神話的なプロセスであるといえる。

第二に,「反反セクシズム神話」(anti-anti-sexism myth)である。この神話は,前述の「反セクシズム神話」に対する批判である。この神話を論じる者は,先ほどの「スクール水着」,「ロリコン」,「フラフープ」への批判的な人は,フェミニストであり,ポルノ動画の文法(例えばフラフープがロリコン動画における典型的なアイテムであること)を知っている変質者であると述べている。反セクシズム神話は,自由主義的なフェミニストによって普及した面がある(Holt & Cameron, 2010)が,この反反セクシズム神話は,批判に対する批判の発生の結果である。ここでの矛盾は,反セクシズム神話を信じる者の批判は,批判するにあたらないという論理である。他方,この反反セクシズム神話は,反セクシズム神話の議論を踏まえた上で,反セクシズムを批判し,動画に関して異なる解釈を行っている。つまり,反セクシズム神話なくしては,反反セクシズム神話は存在しない。

最後に,「メタ的神話」(meta point of view myth)である。この神話は,主に志布志市に送られたメールや,ふるさと納税を行う際に記入する備考欄,メッセージ欄の記述で確認することができる。彼らはSNSやテレビ,ニュースなどで見られる反セクシズムに同調しない立場を取っているが,積極的な反反セクシズム論者でもない。セクシズム神話を「うな子」の動画に見いださず,むしろ今回のような炎上が生じる現代社会の不寛容について疑問を呈している。例えば,「最近の日本は寛容がなさすぎに思えてなりません」,「いちいち反応し過ぎの世の中で騒いでいる人達の想像力がたくましすぎて逆に不快に思うくらいです」,「うな子のCMご災難でしたね,今はいろいろなところに配慮が必要な世の中になりましたね」などの言説である。彼らは,インターネットやニュースにおける反セクシズム,反反セクシズムの現象を包括したメタ的な立場から,過度な炎上行為が生じている社会へのアンチテーゼや克服のために,メールをしたり寄付を行っていると考えられる。

この3つの神話は炎上プロセスにおいて互いに絡み合っていた。インターネット上でのナラティブはストーリーに関する新たな解釈を増大させナラティブの積み重ねを形成するに至った。またその解釈への反論が形成された。更に,志布志市へのメール,ふるさと納税へのメッセージ欄から,メタ的に解釈した新たなナラティブも拾うことができた。

これらの相互作用はインターネットを通したコミュニケーションであるために,様々なステークホルダーによって可視化されていたことから生じている。対面式のコミュニケーションとは異なり,インターネット上では人々は他者の発した様々なナラティブに影響を受けざる得ない。

5.2  神話形成における矛盾解消

本論文で取り上げた神話的プロセスにおける「社会が抱える矛盾」とは,次のことを指している。日本では,男尊女卑は好ましくないという従来の価値観と矛盾する社会通念が広まりつつあるにもかかわらず,実際の社会が男女平等ではないことが指摘されている。実際,2020年ジェンダー・ギャップ指数では153か国中121位にとどまっている(World Economic Forum, 2019)。この矛盾に対して,本事例では,動画を見て批判する人もいれば,その意見に対して更に批判をする人も出ていることが確認された。このような議論が積み重なる現象は,Brown et al.(2013)のタイタニックの神話の事例より導かれた曖昧さの現象とも似ている。上述のように,Brown et al.(2013)では,タイタニックの曖昧さを3つの要素より分析を行っている。衝突から沈没までの時間や救命船の不足といったタイタニックの沈没事件にまつわるような事実に関わる不確かさによる「混乱」は,うな子の事例ではウナギの擬人化による解釈多義性がゆえに発生している。沈まないと信じられていた船が沈むという「矛盾」は,本事例では,男尊女卑は是正すべきという価値観が生じているに関わらず,現実の社会では実現できていないという矛盾というかたちで見られる。また多くのメディアが同じテーマ(タイタニック)を取り扱うことで「積み重ね」が曖昧さに繋がったことは,本事例でも同様のプロセスが見られた(図1参照)。

本論文の理論的示唆は,多様なナラティブの発生によって論点が細分化,同質化,差別化して論点が収束・発散するプロセスは,社会が抱える矛盾を解消するロジックを見出す神話的プロセスであると理解できる,ということである(Holt, 2004Holt & Cameron, 2010)。「うな子」の動画をみた視聴者が掲示板などに書き込むことにより,セクシズムという論点が明確になり社会が抱える矛盾が見いだされた。「うな子」を通して,男尊女卑を解消するための問題提起が行われている。

ナラティブの可視性は,他者のナラティブとの比較を可能にし,さらなる細分化,あるいはそれらへの同質化や差別化を促す。本論文においても,反セクシズムの細分化や同質化が見られた。また,反反セクシズムは反セクシズムのナラティブを通じて差別化され可視化された。他方,両者の神話がもつ争点に同調しない,比較の争点をずらした形でのメタ的な神話の存在も明らかとなった。

神話とは,自然や社会で経験される矛盾やパラドックスを克服することができる論理モデルを提供することを目的としたものである(Levy, 1981)。このようなナラティブの細分化,同質化や差別化は,ジェンダーなど社会が抱える矛盾やパラドックスを克服するためのダイナミックなプロセスであると言える。

6  おわりに

本論文は,CCTが注目してきた消費者のナラティブに着目した。本論文の貢献は,インターネットをはじめとして様々なメディアを介して多くの人々がある出来事について発言した現象に着目することで,これまで十分な研究がなされてきたとは言えないナラティブの積み重ねのダイナミクスをCCTの既存研究の成果を発展させて経験的に描き出したことである。また,解釈的なコーディングを行うことで,ダイナミックに形成された3つの神話を導出したことである。大規模な「炎上」事例を調査対象としたことで,こうした貢献が実現した。ただし,ナラティブのダイナミクスについての理論化は萌芽的な段階にあり,さらなる深耕が必要である。特に匿名性などメディア特性がナラティブに与える影響については,本論文の直接の問題意識から外れるため本格的に議論しなかったものの,検討すべき重要な課題である。

1)  ここで言うエージェント(agent)は,主体的行為能力(agency)が備わった人間像のことを指す。主体的行為能力とは,行為主体が何らかの目的を持って社会に対して介入し,実現しようとする能力を意味する(Giddens, 1979)。これと対照的な概念が役割(role)であり,その演技者(actor)である。過去の社会学では,社会から与えられた役割(例えば,上司,親,学生など)を演ずる人間像が想定されてきた。しかし現在の社会学の理論では,与えられた役割を避けるなど人間の主体的行為能力を強調する人間像が一般的である(Swidler, 1986)。CCTでは,メディアなどから発信されたメッセージを字句通り受けとるのではなく,それを自由に解釈する人間像を前提としている。そのため「解釈エージェント」という概念を用いている(Arnould & Thompson, 2005)。

2)  前述の注にあるように,CCTでは,主体的行為能力(agency)が備わった人間像を前提としている。「解釈ストラテジー」という概念の「ストラテジー」とは,まさにこの主体的行為能力の発揮を意味する。

3)  2016年9月21日15:00~同年9月26日16:10公式公開,約36万回再生。

謝辞

本稿の執筆にあたり,志布志市役所港湾商工課ふるさと納税推進室にはインタビューおよび情報公開手続きに関して多大なご協力を頂いた。ここに記して心より感謝申し上げたい。また本稿の掲載に至るまで 2 名の匿名のレビュアーおよび編集委員長の先生方から建設的かつ貴重なコメントをいただいた。この場をお借りしてお礼を申し上げたい。

参考文献
 
© 2020 日本商業学会
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