2018 年 69 巻 3 号 p. 338-354
本稿の目的は, 馬来語 (こんにちのマレーシア語・インドネシア語) を事例として, 大東亜共栄圏構想への参加にアジア語学習がはたした歴史的意味を考察することである. 本稿では, まず, 戦中期における「馬来語熱」のありようをあとづけた. この結果, 戦中期には, 多くの国民がさまざまな教育機関で馬来語を学んだこと, また, 学習書・辞書も発行の点数・部数とも多く出版されたこと, 馬来語学習書・辞書が専門化・高度化されたこと, さらに, 本格的な馬来語辞典が, 陸軍・外務省・大東亜省による「上から」の指示によって戦中期に相次いで刊行されたことがわかった. 続いて, 学習書・辞書の多言語化にみる権力の機制を論じた. 多言語化の状況のなかで, 日本語を可視化させることで, 共通語としての機能を実感させたことがうかがえた. 最後に, 馬来語学習書・辞書の多言語化が「想像の言語共同体」を誕生させたこと, 「想像の言語共同体」の帰属者たちが, 外国語学習という身体的・文化的実践をとおして大東亜共栄圏構想に参加したことを示した.