社会学評論
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69 巻, 3 号
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公募特集「社会学における歴史分析の現在」
  • 安立 清史, 佐藤 健二
    2018 年 69 巻 3 号 p. 278-286
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー
  • 中島 満大
    2018 年 69 巻 3 号 p. 287-302
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿は, 近代以前の社会において, ‹家族›がどの程度実現していたのかを宗門改帳を用いて素描していく. この論文では‹家族›を母子関係と父子関係が維持されている状態として定義した. 史料として肥前国野母村で作成された『野母村絵踏帳』を使用し, 徳川時代の村落における‹家族›の実現性を析出した. その方法として, 人口学における生命表分析を親との死別に応用している. 本稿では, 子どもの親の生命表を作成し, ‹家族›の実現性を検討した.

    この研究では, 以下のことが明らかになった. ひとつは, 子どもが10歳に達した時点で, 75%の子どもは両親が生存していたが, 残りの25%の子どもは, 母親もしくは父親のどちらかがいない状態, あるいは両親が共にいない状態にあったということである. 20歳になると, 両親が生存していた子どもの割合は全体の48%にまで下がっていた. もうひとつは, 子どもが生まれた段階で, それ以降, 平均して父親が生存する期間は24年, 母親は35年, 両親が共にいなくなるまでの期間は39年であることを明らかにした.

    平均寿命の延伸で, 私たちの人生が変化したように, ‹家族›の実現性の高まりは私たちのライフコースや社会に大きく影響している. 歴史の中の‹家族›の実現性は, 現代社会における家族の役割や家族が抱える問題を相対化する力をもっているといえる.

  • 『実業之日本』を中心に
    永谷 健
    2018 年 69 巻 3 号 p. 303-319
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    戦前期の日本社会では, 貧富の格差の拡大がメディアで頻繁に取り上げられた. また, 富裕な実業家たちに対する批判の高まりが, 総力戦体制へと向かう歴史変化の契機となったことが知られている. 本稿では, 批判の誘因の一つが, 莫大な富を独占し差配する実業家の営みの正当性やエリートとしての彼らの存在意義が, 大正期半ばに揺らいだ点にあると仮定する. そして, そのプロセスに接近するため, 明治後期以降に彼らの社会的な存在意義を高めた雑誌, 『実業之日本』に注目し, 同誌における彼らの論説の内容的な変化を検討することを通じて, 実業家批判が高揚した歴史的な背景について推測した.

    本稿での考察結果は, 次の諸点である. (1) 大正期半ばの第1回国際労働会議の開催を契機として, 当時の実業家たちの多くが温情主義的な労資関係を信奉していることが浮き彫りになった. その結果, 日本の大国化に寄与する自己犠牲的な献身を推奨してきた彼らのそれまでの言動に対して不信感や幻滅が急速に高まり, 批判の高揚を招いた. (2) 第一次世界大戦後に不況や大震災が生じ, 新聞や雑誌の実業家批判は一時的に中断された. そのなか実業家たちは, 災厄を克服するための「奮闘」的態度を喧伝し, 批判の起点となった労働問題にはほとんど言及しなくなった. こうした彼らの論調は, 実業家批判に特段の対応を行わず, テロリズムの時代を迎えたその後の実業家たちの状況を象徴している.

  • 「職業婦人」と「主婦」イメージの接続
    濱 貴子
    2018 年 69 巻 3 号 p. 320-337
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿では, 戦前期の大衆婦人雑誌『主婦之友』における職業婦人イメージの形成と変容を明らかにする. 『主婦之友』では, 会社や学校, 病院, 百貨店などに勤める女性が典型的な職業婦人とみなされていた. 第1期 (1917-27年) には, 女性は妻・母という天職を重視すべきで, 職業婦人は腰掛的で誘惑に陥りやすいとみなされ, 女性の就職に否定的な論調が主流であった. 就職するとしても, 男性就業者と競わない綿密さや柔和さを生かした女性の適職に就くべきで, 職場での処世が「成功」であると説かれ, 女性の職業アスピレーションは冷却されていた. 第2期 (1928-37年) に入ると, 職場における裁縫や料理などの家庭教育の実施とともに, 単純補助労働, 感情労働という職業婦人と主婦の労働の共通点をもとに実務教育により忍耐強さや感情管理能力も身につくと説かれ, 就職は花嫁準備教育として推奨されていった. そのうえで「結婚=幸せな主婦」という「成功」が説かれ, 女性の職業アスピレーションは加熱されていった. 以上の過程をへて「職業婦人」と「主婦」のイメージは接続され, 参政権などの諸権利を制限された状況下における女性のライフコース規範は構築されていった. この規範は, 職業婦人の周辺労働を娘の花嫁準備教育として正当化し, かつ, 結婚の途上にある未熟な娘としての職業婦人を引き立て役として主婦という存在の正当性を強化することに寄与するものであった.

  • 馬来語の事例
    小林 和夫
    2018 年 69 巻 3 号 p. 338-354
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は, 馬来語 (こんにちのマレーシア語・インドネシア語) を事例として, 大東亜共栄圏構想への参加にアジア語学習がはたした歴史的意味を考察することである. 本稿では, まず, 戦中期における「馬来語熱」のありようをあとづけた. この結果, 戦中期には, 多くの国民がさまざまな教育機関で馬来語を学んだこと, また, 学習書・辞書も発行の点数・部数とも多く出版されたこと, 馬来語学習書・辞書が専門化・高度化されたこと, さらに, 本格的な馬来語辞典が, 陸軍・外務省・大東亜省による「上から」の指示によって戦中期に相次いで刊行されたことがわかった. 続いて, 学習書・辞書の多言語化にみる権力の機制を論じた. 多言語化の状況のなかで, 日本語を可視化させることで, 共通語としての機能を実感させたことがうかがえた. 最後に, 馬来語学習書・辞書の多言語化が「想像の言語共同体」を誕生させたこと, 「想像の言語共同体」の帰属者たちが, 外国語学習という身体的・文化的実践をとおして大東亜共栄圏構想に参加したことを示した.

  • SSM調査の再分析から1940年代を読み直す
    岩井 八郎
    2018 年 69 巻 3 号 p. 355-372
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    戦時期から戦後にまたがる1940年代は, 軍需産業への動員, 兵役, 兵役からの帰還など日本人男性の経歴が最も流動的であった. この時期の経歴の流動性と戦後階層システムの形成との関係について, 戦時体制と戦後社会に関する連続性と非連続性をめぐる議論を整理した上で, 本稿は1955年, 65年, 75年の3時点におけるSSM調査の職業経歴データを出生コーホート別, 学歴別に再構成し, 高学歴層に焦点を当てた分析を行っている. 出生コーホート別に従業先の産業, 従業先移動, 職業的地位の年齢にともなう変化を提示し, さらに出生コーホート別に本人の職業的地位達成に及ぼす教育と父職業の効果に関する重回帰分析の結果を示している. 高学歴層 (とくに1910年代出生) は, 戦時期に軍需に関係する鉄鋼機械関係の製造業に従事するか兵役に携わるが, 戦時から戦後にかけて従業先移動も高い. 経歴の流動性が高いが, 終戦後に製造業の就業機会が悪化したにもかかわらず, 製造業に就業する割合が高く, 良好な地位を形成していた. 本稿は, 高学歴層の流動性が高かった結果, 戦後階層システムの安定性が形成された点を示し, 1940年代を読み直す.

  • 秋本 光陽
    2018 年 69 巻 3 号 p. 373-389
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿は, 日本における戦後少年司法制度の黎明期, とくに1950年代前半の少年司法制度を対象に, 「科学主義」と呼ばれる理念が家庭裁判所の実務関係者によるいかなる実践を通して可能になっていたのかを明らかにするものである. 戦後日本では1949年に現行少年法と家庭裁判所が誕生した. 現行少年法は家庭裁判所調査官職および少年鑑別所技官職を設けており, 少年の非行原因の解明や, 非行ないし非行克服の可能性を予測するために人間関係諸科学の活用を要請している. しかし, 少年司法の科学主義理念はその内実が不明瞭であるとの指摘もなされてきた. 本稿では, 家庭裁判所調査官によるディスコースを素材に, 調査官が社会学的知見を用いて少年の非行ないし非行克服の可能性をどのように予測していたのかを分析する. 分析からは以下のことが示された. 第1に, 家庭裁判所調査官は法と習俗・慣行の齟齬に注目し, 非行少年を農村の「若衆」などとカテゴリー化する実践を通して, 少年の行為がもつ合理性を描き出すことを試みた. 第2に, 調査官によるカテゴリー化の実践は, 少年に社会的な適応能力を見出すことを通して非行克服の可能性の予測を可能にさせるものであると同時に, 非行可能性の予測をも導くものであった.

  • 産休代替教員をめぐる日教組運動 (1945~1975年) を事例として
    跡部 千慧
    2018 年 69 巻 3 号 p. 390-405
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿は, 正規雇用女性の就労継続の達成と, その出産に伴う休暇の代替要員を担う非正規雇用女性の出現という, 近年顕在化する社会的分離の問題を, 1945年から75年にかけての日教組の産休代替教員をめぐる運動に着目して考察する. 日本では1990年の「1.57ショック」以降, 女性の労働力化や就労継続が論議の的となってきたが, 本稿で着目する教員職は, 産休を取得する女性に対して, 別の職員を代替する産休代替教員制度を, 1960年代に実現した. この産休代替制度は, 先行研究において, 他の職業が突破できなかった産休取得保障を実現し, 「主婦化」の進行する時代に, 女性教員の就労継続に貢献したと捉えられてきた. 一方, 同制度は, 臨時的任用である産休代替教員の不安定就労を伴っていると問題視されたが, 制度成立の経緯そのものは未解明だった. そこで, 資史料分析と補足的にインタビュー調査を用いて, 産休代替教員をめぐる運動を考察した. その結果, 日教組婦人部は, 制度構想時から代替教員の処遇に着目し, 低処遇を克服しようと試みたことを明らかにした. 一方, 運動は, ジェンダーを超えて広がることはなく, 当初の構想は実現にいたらなかった. この歴史事例は, 「ジェンダー間格差」克服の難しさとともに, 女性の労働力化という現代の政策的課題を考える際に, 多様な社会的分離を視野に入れた包摂的な視点なしには, 女性の階層化を招きかねないことを示唆する.

  • 予科練の戦友会と地域婦人会に焦点を当てて
    清水 亮
    2018 年 69 巻 3 号 p. 406-423
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    軍隊を経験した人々が戦後社会の形成にいかに関わっていたかは歴史社会学の重要な探求対象である. 本稿はその一端を戦友会の記念空間造成事業の担い手から考察する.

    事例として, 旧海軍航空兵養成学校予科練の戦友会の戦死者記念空間の造成過程を取り上げる. 予科練出身者は総じて若く, 社会的地位も高くなかったにもかかわらず, なぜ大規模な記念空間の造成を比較的早期に達成できたのか. 先行研究は, 集団が共有する負い目といった意識面から主に説明してきた. これに対して本稿は, 各担い手が大規模な事業を実現しうる資源や能力などの社会的な力を獲得していく, 戦前から戦後にかけての過程を, 特に軍隊経験に焦点を当てて探求する.

    事業を主導した乙種予科練の戦友会幹部は, 予科練出身者の独力のみならず, 軍学校時代に培われた年長世代の教官との人脈を起点としつつも, 軍隊出身者に限らない政財界関係者とのネットワークから支援を引き出していた. 戦友会集団の外部にあたる地域婦人会のリーダーは, 戦時中の軍学校支援の経験等を背景として, 造成事業において組織的な行動力と, 戦友会内部を統合する政治力を現地において発揮した.

    本稿は記念空間造成事業の大規模化の説明を通して, 負い目という意識の「持続」を重視する先行研究に対して, 軍学校や婦人会などの組織における軍隊経験を背景とした資源や能力の「蓄積」という説明図式をオルタナティヴとして提出した.

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