2021 年 72 巻 2 号 p. 100-117
現在,批判的都市研究は人びとが実践のなかで用いる「都市」概念に関心を寄せている.だが,そもそも「都市」概念はどのようにして普及したのだろうか.本稿はこの問題意識から,近代日本における「都市」概念の普及過程を明らかにする.そこで注目するのが都市計画の導入過程である.都市計画当局は,1910年代後半から1920年代前半に,都市住民の都市計画への協力を確保しようとした.その際に,都市住民に「都市」概念を受容させようと試みていく.本稿は学習論の視点を導入し,都市計画当局が都市住民に「都市」概念を学習させるために行った諸実践を分析する.
まず,「都市」概念は「有機体」として説明されたことを示す.都市住民はその一部を構成する「市民」として位置づけられた.それゆえに,彼らは「都市」を学習しなければならないという責任を負うこととなった.その上で,都市計画当局は都市計画展覧会によって欧米と日本の都市を比較しつつ,「市民」に「都市」を視覚的に学習させることを試みた.他方,都市計画当局は都市住民の学習効果を確かめようとし,そのなかで都市計画展覧会の限界にも気づかされていく.
すなわち,都市計画当局が「都市」概念を都市住民に学習させる実践は,彼らを「市民」として形成するという力学を伴うものであった.そして,その実践の過程で都市計画当局も都市住民の反応から学習していく側面があったといえる.