2021 年 72 巻 3 号 p. 327-343
本稿は,数学者の遠山啓による能力主義批判の内実を明らかにするものである.個々人の能力に応じた教育機会や教育資源の分配を意図する能力主義は,1960 年代における諸答申を契機として,教育政策の文脈に登場した.能力主義については,当時から多数の教育関係者によって批判的言説が展開された.
本稿では,これまで等閑視されていた能力主義批判の再検討を意図して,数学者・遠山啓の所論を検討し,彼の能力主義批判の内実を明らかにした.本稿の論究から,遠山の能力主義批判は,①教育測定や学力検査に対して数値の概念の誤謬を中心とする批判が展開されたこと.②教育測定や学力検査の誤用により,「序列化」の底辺に追いやられて教育機会を剝奪された知的障害児教育や「劣等生」の救済を主張していたこと.それと同時に,③能力主義の被害者と彼が位置づける知的障害児や「劣等生」のメンタリティを問題化し,自尊心やモチベーションの剝奪が彼らの進路に影響を与えるとも指摘していたこと.④以上の知見を教育学者・堀尾輝久の所論と比較すると,遠山の見解は教師による加害をも指弾する論調になっていたこと.以上の論点が明らかとなった.本稿の知見により,戦後日本の能力主義批判には,先行研究の枠組みを越えた内実をもつ言説が存在するということが明確となった.