社会学評論
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72 巻, 3 号
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公募特集「『戦争と社会』をめぐる新潮流」
  • 青木 秀男, 福間 良明
    2021 年72 巻3 号 p. 200-207
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー
  • ―集合行為の意図せざる連鎖を通じた社会的回復の可能性―
    阿部 利洋
    2021 年72 巻3 号 p. 208-223
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    1990年代以降,移行期正義(transitional justice=TJ)とよばれる政策が,紛争後復興・戦後処理の文脈で一般化してきた.TJの制度的な選択肢は複数あるが,その中心となるのはローカルオーナーシップを重視する国際法廷と真相究明・証言聴取を軸とする真実委員会である.本稿は,「TJはどのような社会的影響をもたらすか」という問いを検討し,併せて,紛争後に特有の社会状況を理解する視点を提示することを目的とする.

    本稿はまず,TJの取り組みがどのような時代背景のもとで生じ,どのような制度として発展する一方,どのようなジレンマを抱えた活動であるのか,という点について整理する.その上で,TJの制度的バリエーションに共通して確認される特徴を,TJの制度設計を支える「公式シナリオ」の認識を通じて把握するとともに,一連の活動を「期待される集合行為のパターン」から整理する図式を提示する.次に上記の特徴に着目する実証研究を取り上げ,「公式シナリオ」に対する現地社会の対応にみられる逸脱や派生的な取り組みの実態と意義に焦点をあてる.そこで提起される論点が,TJを通じた公的な期待は必ずしも実現しないが,紛争状況への後退は回避される形で秩序の再構築へ向けた自律的な取り組みが促進される可能性である.

  • ―現代日本における社会学的探究のために―
    野上 元
    2021 年72 巻3 号 p. 224-240
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    軍事社会学は,軍隊を社会がどのようにコントロールするかを課題とする政軍関係論への社会学的アプローチとして誕生し,戦争の形態に応じて変化する軍事組織の姿,およびその社会との関係に注目しつつ展開してきた.徴兵制の廃止を経て,労働市場に属する職業のひとつとなった軍務をどう理解するか,さらに冷戦終結を経て「新しい戦争」への対処において変化する専門性および組織的特徴をどう捉えるかがテーマとなっている.C. モスコスの「ポストモダン・ミリタリー」論は,それらを比較研究するうえで有意義な枠組みである.それに加え現在,軍隊は一般社会から区別された特別な集団・場所ではなく,市民社会の一般的な規範を受け入れる(べき)場と捉えられるようになっていることを考えれば,現代の軍隊の変容を,旧来の「軍隊らしさ」に拘らず,反省的な自己観察と再構築・自己呈示を繰り返す再帰的な過程の加速において理解する視点として,「ポストモダン」を軍事社会学に導入する必要が出てくる.

    「ポストモダン・ミリタリー」論は,日本の自衛隊を理解するうえでも実に 示唆的である.ただし,たんに軍隊組織のポストモダン的な特性の観点から自 衛隊に焦点を当てるだけでなく,軍隊と社会の相互観察のプロセスに焦点を当 てた理論枠組みとしての含意を認識する必要がある.日本における「ポストモ ダン」の検討や,「戦争の記憶」と自衛隊の関係,社会との接点である自衛隊 広報活動などが研究課題となりうるだろう.

  • ― 一つの「戦争社会学」史の試み―
    清水 亮
    2021 年72 巻3 号 p. 241-257
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    冷戦期にアメリカで確立した軍事社会学は同時代の軍隊・軍人・民軍関係などを中心的主題とし,軍事組織への積極的な社会調査を実行し,西側諸国を中心に国際的に普及した.これに対して日本では軍事社会学は長らく輸入されず,総力戦の社会的影響や経験・記憶の探究を中心に近年「戦争社会学」というかたちで学際的な研究が集積しつつある.しかし,日本にも社会学の軍隊研究は存在し,軍事社会学を参照した研究者も皆無ではない.本論の目的は,軍事社会学を参照した社会学者による軍隊研究の検討を通して,国際的に普及している軍事社会学と,日本社会学の軍隊研究との位置関係ならびに,ありえた接続可能性を明らかにすることにある.まずアメリカにおける軍事社会学の確立と各国における受容状況,日本の社会科学の隣接分野における軍事社会学との接点について検討した.そして冷戦期日本社会学における軍事社会学の参照状況として,従来から注目されてきた文化論的な戦争研究に加え,産業社会学からの組織・職業論の理論枠組みへの関心,ならびに教育社会学のエリート論からの実証研究の試みを明らかにした.それらは相互参照がなく孤立していた.しかし,軍事社会学の枠組みの直輸入でも,狭義の政軍関係論的展開でもなく,日本社会学との接続および戦後日本特有の実証的研究対象の発見によって,軍隊と社会の関係性に関するユニークな認識を生産しえたものだった.

  • ―石川県小松市のジェット機基地と防衛博覧会―
    松田 ヒロ子
    2021 年72 巻3 号 p. 258-275
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿は,高度経済成長期の日本の地域社会の軍事化について,石川県小松市に1961年に設置された自衛隊と民間航空が共用する小松飛行場/基地と,基地開設を記念して開催された「伸びゆく日本産業と防衛大博覧会」(小松防衛博)を事例に検討した.小松市には戦時中に海軍飛行場が建設されたが,当時の市長や市議会議長らは,飛行場建設を契機に小松市を軍都として発展させることを構想していた.軍都計画は終戦により頓挫したが,軍事施設と地域発展を結びつける思考は戦後にも継承された.終戦後,小松飛行場滑走路を航空自衛隊のジェット機基地化することが計画された.だが市長や市議会は誘致に積極的だった一方で,住民からは反対の意見が上がり,市の意見は二分された.しかしながら,基地開設を記念して1962年に開催された小松防衛博は成功を収めた.成功の伴となったのは,小松防衛博の〈地域博覧会〉と〈防衛博覧会〉としての二面性だった.小松防衛博は,「裏日本」のアイデンティティから脱却し,先進性の象徴であるジェット機を象徴として新たなアイデンティティを提示した.同時に,自衛隊の装備品や兵器を,科学技術製品として電化製品や農業機械製品と並列し,軍事を近代的な消費生活のイメージの中で再定義した.高度経済成長期の消費主義と軍事を接合させることにより軍事を地域社会の日常生活の中に埋め込んだのである.

  • ―自民党政権と核兵器・被爆者問題―
    根本 雅也
    2021 年72 巻3 号 p. 276-293
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    原子爆弾の災禍は,戦後日本において,「被爆国」を掲げる特有のナショナリズムの形成を促した.この被爆ナショナリズムは,核兵器の被災を国民の経験として捉え,核兵器禁止や被爆者援護を求める行動を展開させた.それは,国家と社会運動といった,大きく2つの対立する担い手によって支えられてきた.

    本稿は国家による被爆ナショナリズムの形成に着目し,その政治力学を解き明かすことを目的とする.そのために,本稿は核兵器反対行動と原爆被爆者問題に対する自民党政権の態度と対応を検討する.

    自民党政権において,被爆ナショナリズムは次の3つの仕方で展開された.第1は,核兵器を国外の問題とすることで,国民の核兵器反対行動の矛先を国外に向けようとしたことである.第2は,原爆を戦争の被害から区別し,政府の戦争責任と国家補償を不問にすることで,被爆者問題を国内問題にとどめ,「唯一の被爆国」という被害者共同体を維持しようとしたことである.第3は,第1,第2の根底にあって,それらを支える政治的な志向である.それは外交や軍事というハイ・ポリティクスへの影響を回避する態度である.

    上記の3つは,自民党政権において最初から存在したわけではなく,社会運動や他の政党による働きかけがある中で,それらに対抗する立場として具体化された.国家による被爆ナショナリズムは,対抗するナショナリズムとの衝突を通じて形成されたのである.

  • ―NHK戦争証言アーカイブスを事例として―
    佐藤 信吾
    2021 年72 巻3 号 p. 294-311
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,従来の戦争証言研究において重視されてこなかった,インタビューの場における「聞き手=ジャーナリスト」という構図を対話的構築主義の視点から再検討することにある.社会的記憶としての戦争の記憶の継承を考察する場合,人々が日々接しているマス・メディアが提供する戦争証言のあり方を議論することが不可欠であり,その戦争証言を取材・編集しているジャーナリストに目を向ける重要性が理解できる.

    第2節では,ジャーナリストの主体性を問題とする玉木明の無署名報道批判に代表されるジャーナリズム論の客観報道パラダイムへの批判と,対話的構築主義が接合可能なことを示した.インタビューの場におけるジャーナリストと戦争体験者の相互作用によって,戦争証言が〈いま―ここ〉で構築されると考えるならば,インタビューの場を「透明化」し,どのような相互作用によって戦争証言が紡がれたかを示す必要があると考えられる.

    第3節では,村上忠廣とイ・クヮンホウの証言を事例として,NHK戦争証言アーカイブスに保存されている証言を対話的構築主義の視点から分析した.この分析によって,従来の番組分析では明らかにできなかった語りの重層性やインタビューの場を規定する「言語」の問題,ジャーナリストの主体性や質問の重要性などが明らかになり,ジャーナリストと体験者の間で〈いま―ここ〉で証言が構築される様子を示すことができた.

投稿論文
  • ―社会調査データの二次分析を通じて―
    下窪 拓也
    2021 年72 巻3 号 p. 312-326
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    集団脅威仮説では,排外意識の根底には外国人住民をホスト住民への脅威とする認識が存在すると説明する.この仮説に従えば,失業率の上昇によって,人々に外国人住民とホスト住民の雇用をめぐる競争関係の悪化を認識させるため,排外意識が高まると予想される.国内の先行研究では,失業率と排外意識の関連に関する上記の仮説は否定されてきた.しかし,従来の研究はクロスセクションデータの分析にとどまり,排外意識に影響を及ぼす失業率以外の地域独自の要因を統制できていない点が指摘される.

    本研究は,複数の時点で繰り返し収集された社会調査データを用いて,観測期間中に変化しない地点独自の効果を統制し,失業率と排外意識の関連を再検討することを目的とする.本研究ではさらに,脅威を個人が認識する主観的なものと捉え,失業率の上昇は,主観的な脅威の認識を媒介にして,排外意識に影響を与えることを想定したモデルの分析を行った.

    地点独自の排外意識に与える影響を統制した分析の結果,失業率の高まりは外国人を雇用機会への脅威とする認識を強めていることが確認された.しかし,この外国人を雇用機会への脅威とする認識は,地域レベルの排外意識に統計的に有意な影響を与えないことが示された.一方で,外国人を治安への脅威とする認識の地域的な高まりが,排外意識を高めた重要な要因であることが明かとなった.

  • ―数学者・遠山啓の所論を通して―
    香川 七海
    2021 年72 巻3 号 p. 327-343
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿は,数学者の遠山啓による能力主義批判の内実を明らかにするものである.個々人の能力に応じた教育機会や教育資源の分配を意図する能力主義は,1960 年代における諸答申を契機として,教育政策の文脈に登場した.能力主義については,当時から多数の教育関係者によって批判的言説が展開された.

    本稿では,これまで等閑視されていた能力主義批判の再検討を意図して,数学者・遠山啓の所論を検討し,彼の能力主義批判の内実を明らかにした.本稿の論究から,遠山の能力主義批判は,①教育測定や学力検査に対して数値の概念の誤謬を中心とする批判が展開されたこと.②教育測定や学力検査の誤用により,「序列化」の底辺に追いやられて教育機会を剝奪された知的障害児教育や「劣等生」の救済を主張していたこと.それと同時に,③能力主義の被害者と彼が位置づける知的障害児や「劣等生」のメンタリティを問題化し,自尊心やモチベーションの剝奪が彼らの進路に影響を与えるとも指摘していたこと.④以上の知見を教育学者・堀尾輝久の所論と比較すると,遠山の見解は教師による加害をも指弾する論調になっていたこと.以上の論点が明らかとなった.本稿の知見により,戦後日本の能力主義批判には,先行研究の枠組みを越えた内実をもつ言説が存在するということが明確となった.

  • ―国民文化全国集会を事例に―
    長島 祐基
    2021 年72 巻3 号 p. 344-361
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿ではP.ブルデューの作品受容研究の視点から,国民文化全国集会を事例として1950 年代の大衆的な作品発表会における参加者の作品受容の差異とそうした差異が発生する要因を考察した.近年のサークル研究は作品創造を通じた作り手の主体形成や,作品を通じた作り手と受け手の共感の形成を指摘してきた.一方で大衆的な作品発表が多様な観客に与えた影響の差異や,そうした差異が生じる要因は詳細に検討されてこなかった.本稿では分析を通じて既存のサークル研究が提示してきた運動像の乗り越えをはかるとともに,美術館を対象とするブルデューの作品受容論から文化運動の作品発表会を捉える際の 意義と課題を検討した.

    国民文化全国集会の参加者の態度表明には学生,文化団体関係者,労働者といった参加者が所属する運動における作品の位置付けや,作品発表団体の文化的差異が影響した.この点でブルデューの作品受容論は大衆的な作品発表会における作品受容を捉える上で有用である.ただし,こうした社会各層毎の作品受容の差異は作品のコンセプト(「コード」)の提供不足や参加者相互の交流の不在という条件下において生じたものであり,一連の条件が変化していれば作品受容は異なる形になった可能性がある.また,絵画を対象としたブルデューの作品受容論では,演劇など他ジャンルの作品受容を十分に捉え切れない面がある.これらの点はさらなる検討が必要である.

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