抄録
人間の自由は人間の行為を可能にする最も基礎的な条件である。人間は自由の下に、合理的行為を営む。行為の形式的表現は、選択である。自由とは、この選択の自由に他ならない。だが、行為の選択を可能にする選択基準を与件とすると、行為の選択は自動的になされるのであって、そこには人間固有の自由は見出されない。そこで、人間固有の自由の本質は、その自律性、すなわち、人間が自らがそれによって自己の行為を選択するところの選択基準を選択しうる、ということに帰着する。行為の選択基準を価値と呼ぼう。この価値の選択能、言い換えれば人間の自律性は、しかし、大いに逆説的な性格をもつ。すなわち、人間は自己の従うべき価値の選択に際しては、必然的に非合理的にしか振る舞えないことが明らかとなる。こうして、人間の行為の自由、合理性は、ある非合理性を根拠としていることが判明する。人間社会が安定してシステムをなすためには、自由の根拠をなすこの自律性は、禁止されねばならず、人間固有の自由は、却ってそうしたシステムの否定としてのみ顕現しうる。価値選択の非合理性、自由と制度の相剋は、素朴に直観されるところである。本稿はそれを行為の必然的帰結として論証する。