抄録
私たちが自分の経験を言葉にして誰かに話すとき, それは何らかの意味で経験を「分かちあおう」としているのだといえようが, この営みはある困難をかかえている.経験は話し手と同じような形で聞き手によって「所有」されることはできないからである.では, 経験を話すことでその「分かちあい」が達成されうるとすれば, それはいかなる意味での「分かちあい」であり, いかなるやりとりにおいて実現されるのだろうか.とくに, 相互行為をする者たちが共通の成員性を有するとき, 経験の「分かちあい」はより促進されると予想できるが, それは具体的にどのような形でなしとげられるのだろうか.
本稿は, これらの問いに基づいて, 会話の中で自分の経験を報告しあうというやりとりを会話分析の視点から分析し, 以下のことを示していく.1) ひとりが報告した経験と共通の経験をもうひとりが報告することは, 前者の経験を理解したことを立証する手続きを構成する.2) 経験を報告しあうことは, 報告された経験の異同にかかわりなく, それ自体として共通の成員性を可視化する手続きを構成する.3) 経験を報告しあうというやりとりは, 話題を形成する発話連鎖のある独特の利用によって生み出される.4) この発話連鎖がもっとも強い形で利用されるとき, 報告された経験をもとに共通の成員性を更新する機会が作り出される.