抄録
戦後,長野県が初めてホームヘルプ事業を導入し得た契機に,原崎秀司の欧米社会福祉視察研修(1953〜1954年)がある.しかし,それは必ずしも偶然ではなく,いくつかの伏線があり,彼の苦悩体験や理想像を基盤とした思想から派生していた.そこには,先妻を亡くし,幼子3人を抱える父子家庭の父親としての生活の苦しみがあった.加えて,『知性の改造』や『カントの日常生活』から,生活規範や実践力の大切さを学んだ経験があった.敗戦から復興への苦難を地方行政官と父親という2役を担い試行錯誤するなかで,子どもの健全育成や円満家庭に必要なハウスキーパーの重要性を認識した.本稿の目的は,戦間期から終戦直後までの原崎の思想展開とハウスキーパー構想を,原崎直筆の日誌『遠保栄我記(新正堂版)』を紐解きながら考察することにある.この考察は,わが国のホームヘルプ事業創設の思想的背景を明確にする際に不可欠な一視点となる.