住宅総合研究財団研究年報
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北海道の住宅形式の変遷過程について
炭鉱住宅(明治開拓期~昭和20年代)の分析による一考察
駒木 定正
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1991 年 17 巻 p. 95-104

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抄録

 明治政府は,1869年(明治2年)開拓使を設置し北海道開拓に乗り出したが,その1つの柱は石炭採掘であった。1979年(明治12年)開拓使は幌内炭鉱を開坑し,1889年(同22年)には官営から民営(北炭)ヘと引き継いだ。それ以降およそ100年,道内各地に炭鉱が開かれ,有数の炭鉱都市を形成した。しかし,近年相次いで閉山し,開拓以来の施設の取り壊しや資料の散逸が著しい。炭鉱住宅の歴史は,明治開拓期から現代に及ぶものであり,それは,北海道の企業社宅史の代表といえ,さらに住宅史の一端を現わす。また,炭鉱住宅と集落の形成で特徴的なことは,開墾から始められたことにある。そこで,北海道の炭鉱を代表する北炭と三井砂川鉱を対象とし,関係資料の収集,現況実態調査及び主要建築の実測調査を行ない。その特徴と変遷過程について明らかにする。その時代範囲は,自然を開墾した明治開拓期から戦後の昭和20年代最盛期までとした。研究の構成は次のとおりである。①「幌内炭山建物登記書類」について②北炭における鉱夫社宅の変遷について③三井砂川鉱における鉱夫社宅の変遷について④北炭夕張炭鉱・鹿ノ谷地区職員社宅について 官営幌内炭鉱の払下げの登記書類から,「官舎」「抗夫長家」「職工長家」さらに「獄舎」の存在を明らかにした。北炭は,開鉱から「棟割長屋」を鉱夫社宅として積極的に建築し,代表的社宅住宅形式となった。北炭と三井砂川鉱に共通する住宅の変遷は,戦争を契機に居住空間の質的向上をみた点にある。それは政府の炭鉱政策による鉱夫募集と緊密に関係したものであった。北炭の夕張鹿ノ谷職員社宅は,「第一号」社宅を最高の基準と定め,順次規模を縮小した。これは西洋間を設けた初期のものであった。その変遷は鉱夫社宅などに大きな変化はみられない。

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© 1991 一般財団法人 住総研
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