抄録
本稿が検討するのは、ポスト社会主義の東欧諸国における社会主義の過去の「文化遺産化」、すなわち社会主義時代の遺物が保存・展示の対象となる「文化遺産」として扱われるようになるプロセスである。とりわけ本稿が着目するのは、そうした現象が地域のローカルなコミュニティの文脈でどのように起こっているのか、人々が自分たちの住む都市環境の中でこうした社会主義の遺物をどのように扱っているのかという問題である。こうした問題を考察するため、本稿ではポーランドの「社会主義都市」ティヒ市を事例として取り上げる。
ノヴェ・ティヒ(「新しいティヒ」の意)の建設計画は1950年に、当時のポーランドにおける「社会主義建設」の一環としてスタートした。1989年の社会主義体制崩壊以降、ティヒはしばしば社会主義体制下におけるモダニズム的都市計画の失敗例として扱われてきた。しかし、2005年のティヒ市博物館のオープン以降、こうした状況は徐々に変わりつつある。人々は、自分たちの都市の歴史やその建築物を、徐々に保存・記念・展示の対象として扱い始めたのである。
上記のプロセスの分析を通じて、本稿が指摘するのは、こうした社会主義の遺物の「文化遺産化」が直接起こるのではなく、むしろさまざまな「迂回路」や「言い訳」を通じて起こっているということである。あるときは人々は、伝統的で正統な「文化遺産」のカテゴリーをどんどん拡大していく中で社会主義の遺物をも「文化遺産」として扱うのであり、また別のときには、社会主義的な彫像を「脱イデオロギー化」することで、すなわちそれらの彫像に別の意味を与えることによって保存を可能にするのである。ここでは人々は逆説的にも、社会主義に直接言及しないことによって、社会主義の遺物を保存する実践を行っているのである。