抄録
本稿の目的は,幕末から明治初期におけるわが国の西洋式簿記・会計の導入過程に関して,新たな知見を得ることにある。分析対象は造幣寮(現独立行政法人造幣局)の会計である。新たな資料を確認できたことにより,造幣寮の会計について検討する。
そもそもなぜ,造幣寮の会計を分析対象としたのかというと,造幣寮には会計担当者としてV.E.ブラガがいたにもかかわらず,この造幣寮という組織において如何なる簿記・会計がなされてきたのか,これまでほとんど明らかにされてこなかったからである。
そこで今回,見過ごされてきた資料があるのではないかと調査を進めたところ,新たな資料を数点見出すことができたので,それらの資料の分析・検討により造幣寮における簿記・会計の再評価の可能性をはかる。
新たに確認できた資料によれば,明治初期における洋式簿記・会計制度の導入に関する従来の認識とは異なる事実がいくつか判明した。
日付と文書の宛先を考慮すれば,新たに確認した「造幣寮銀地金関係諸勘定書」は『銀行
簿記精法』に影響を与えたとも考えられるのである。