抄録
【序】海洋生態系の高次に位置する海棲哺乳類は食物連鎖の過程においてHgなどの毒性重金属元素を体内に高濃度に蓄積する。しかしながら、彼らに中毒症状が現われることはなく、それらの解毒メカニズムとしてHgとSeが1:1の等モルで結合し、tiemannite HgSeという生物不活性な生体鉱物として蓄積されていると考えられている。本研究では海棲哺乳類であるイルカの様々な臓器中に蓄積したHgに着目し、放射光X線を用いたXAFSによる局所構造解析を行った。さらに臓器切片について放射光X線マイクロビームを用いた蛍光X線二次元イメージング測定を行ないHgの濃集部位を明らかにすると共に、その部位のX線回折データを得ることにより、鉱物相の同定を試みた。【実験】試料にはスジイルカの脳、筋肉、すい臓、脾臓、肺、腎臓、肝臓を用いた。また比較参照物質としてHgSe(tiemannite)、HgS (cinnabar)、m-HgS (metacinnabar)、HgOを用いた。それぞれの臓器試料を酸分解後、原子吸光分析によりHg、Seの定量を行なった。一方、前処理操作でトリプシンを用いて臓器試料の有機物を分解後、遠心分離により得られた沈降物を室温で乾燥して、XAFS測定試料とした。実験は高輝度光科学研究センターSPring-8 BL01B1にて検出器に19素子SSDを用いてHg LII-edgeのXAFS測定を行なった。また臓器をクライオミクロトームで25 μmの厚さに切り出した試料について、蛍光X線二次元イメージングとX線回折測定を行った。測定は共にSPring-8 BL37XUにおいてフレネルゾーンプレートで集光したビーム径1.5×1.5 μm2の放射光X線を用いて行った。【結果と考察】各臓器試料のXANESスペクトルの吸収端のエネルギーは、今回用いた2価の参照試料とほぼ同様であることから、いずれの臓器中でもHgは2価として存在していることが分かった。またXANESスペクトルの形状を比較すると、臓器試料の形状はHgS、m-HgS、HgOと大きく異なり、HgSeと最も近い形状をとっていた。次にHgの結合状態について詳細に検討するため、Hg K-EXAFS解析を行なった。その結果、ほとんどの試料においてその動径構造関数の2.25 Å付近に第一ピークがあらわれ、それらは参照試料であるHgSeの第一ピークの位置と一致し、ほとんどの臓器においてHg-Seの結合が存在することがわかった。続いて、この第一ピークについてカーブフィッティングにより得られた試料の構造パラメータは参照試料であるHgSeの配位数4及び結合距離2.63 Åと近い値をとり、全ての臓器においてHgSeの存在が示唆された。一方、スジイルカの脾臓薄片の蛍光X線二次元イメージングの結果、脾臓組織においてHgの濃集部位にはSeと強い正の相関があることが示された。そしてHgとSeの蛍光X線強度が共に強いところを光学顕微鏡で観察したところ、そこに5 μm程度の黒色塊状物質の存在が認められた。そこで、この部分に放射光を照射し、イメージングプレートを用いてX線回折データの測定を試みた結果、d値が3.51Å、2.14Å、1.83Åの回折線が認められた。これらのd値は参照試料であるtiemannite HgSeの回折線のd値と良い一致を示すことから脾臓に含まれる黒色粒子はHgSeであることが実証された。以上のように本研究では、Hgの解毒作用として肝臓で生成するとされているHgSeについて、スジイルカの肝臓以外の臓器においてもHgSeが存在することを見出した。特に脾臓ではHgとSeを含む黒色粒子が認められ、X線回折によりHgSeの存在が実証されたことから、今後、海棲哺乳類における毒性元素の無毒化機構やバイオミネラリゼーションについての有用な知見が得られた。