抄録
日本の社会学には、理論・方法論を重視し社会調査を軽視する傾向がみられる。本稿では、日本の社会学者を「媒介者」として捉える視角にもとづいて、さまざまな角度からこの傾向について分析を加えた。日本の社会学者達は、海外の多様な社会学の理論・方法論を学ぶことに多大の労力を払う。理論・方法論は、分析のための道具ではなく、即自的な価値をもった存在すなわち物神(フェティシュ)となっていく。そこには、社会調査は研究の障害となるといった倒錯した意識さえ生まれてくる。この傾向は、学ぶことを優先し、考えることを軽視する日本の文化によって強化される。また、社会学者は、欧米先進諸国との媒介者としての戦後の進歩的知識人と「大衆への蔑視」を共有し、このことがまた、大衆との接点をもつことを必要とさせる社会調査に対する忌避を生む。媒介者としての社会学者は、自足的・閉鎖的世界に安住してしまっている。今、社会学者に求められているのは、その世界からの脱却である。