フォーラム現代社会学
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1 巻
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創刊にあたって
特集Ⅰ 現代社会の危機と社会学の役割
  • 片桐 新自
    2002 年 1 巻 p. 3-13
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    マスメディアを中心に「現代社会の危機」がしばしば語られる。そうした「危機論」は単純には受け入れられないところもあるが、かといってまったく無視してよいものでもない。多少なりとも危機的と思われる状況があるとすれば、その背景には、20世紀をリードしてきた近代の価値観の優越性に疑いが持たれているにもかかわらず、代替的な価値観が確立しないことがあると言えよう。こうした状況に対して社会診断の学としての歴史を持つ社会学は、どのような貢献ができるのだろうか。「社会学は役に立たない」という言説が広く流布しているが、それは社会問題の特定化の困難さや、社会学の長期的タームで分析をしていくという性格に対する無理解などから、生じていることが多い。ただし、現在の社会学自体が内在的に抱える問題点も確かに存在する。それは、社会学という学問内部での共通項の少なさである。同じ社会学者を名乗りながら、パースペクティヴが違えば、全く議論が噛み合わないなどというような状況が存在している。社会学者を名乗る人なら、誰もが共有しうる知識と技術、言い換えればディシプリンがやはり必要だろう。あまり厳格なディシプリンではなく、「マクロな視野」、「量的データ」、「機能分析」を中心にした素朴な「社会学主義」とでも呼べるものを再評価すべきなのではないだろうか。
  • 好井 裕明
    2002 年 1 巻 p. 14-23
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    いま社会学の復権に必要なこと。それは現代社会の危機を的確に診断し、その解決に向けての処方を呈示できる理論、方法の創出であろう。しかしわたしはそうした営みと平行して今一つ必須の作業があると考えている。それは、ひとびとの日常生活の次元にまでおりたち、日常的な営みに孕まれているさまざまな問題を微視的なまなざしで解読していく社会学を創造することである。それは「日常性との闘い」とでもいえる、常識的知への徹底した相対化のまなざしから成る生活者の社会学の創造である。本稿では、そのために最小限必要だとわたしが想起する事柄についてラフにまとめておきたい。それらは、(1)自らの社会学的関心の源泉となる原体験を掘り起こし、取り戻すことであり、(2)日常を臨床することの意義を問い、(3)語り手・読み手への想像力を磨きつつ、(4)質的で微細なフィールドワークを洗練させるセンスを養っていくことである。いま社会学を豊かな実践として変貌させていく重要な契機。それはマクロな社会現象にいかにして社会学がたちむかうのかということにあるとともに、いかに微視的で詳細な質的な社会学調査研究を実践し、その成果を日常のひとびとの暮らしに投げ返していけるのか、という点にもあるのだ。
  • 森下 伸也
    2002 年 1 巻 p. 24-32
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    社会が猛烈な速度で変化している。その結果、人間の生理的限界を超えるところまで生活が慌ただしくなり、生活世界が破壊されるにいたっている。このアリス的速度の元凶はグローバル化である。市場原理主義にもとづくアメリカ一極集中型のグローバル化は、南北問題や環境問題もさらに深刻化させるであろう。また、個人はグローバル市場経済の猛威に直接対峙させられることになる。この危機に対する反応として、世界各地に新しいタイプのナショナリズムや反グローバル化運動が出現している。この危機的状況を突破するには、国家が中間集団、セーフティネット、生活者の相互扶助機構として再構築されることが最も重要である。ところが日本にあっては、政治家も国民もこのことを理解していないため、市場原理主義に翻弄されるままで、失業率や自殺率の急速な上昇を招いている。同時に日本では、高度消費社会がもたらす快楽主義や金銭崇拝のために、過労死、社会的ひきこもり、少子化、学級崩壊、公共道徳・職業道徳の著しい低下といった現象に象徴される人的資源の喪失と劣化が急速に進んでおり、将来の日本社会の展望を非常に暗いものにしている。このような時代状況はしかし、まさしく社会そのものを原理的に問う社会学者の出番であろう。いまこそ日本の社会学者は、その存在理由をかけて、全体社会への構想力をとりもどし、雄弁に語ることにチャレンジしなければならない。
  • 松田 素二
    2002 年 1 巻 p. 33-42
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    資本、情報、モノ、ヒトが国民国家の境界を軽々と越境してつくりだす社会の流動状況は、国民国家の誕生とともに市民社会の学として誕生したさまざまな近代科学の枠組を揺るがしている。国民国家の制約を超えて、グローバルな視点で発想し行動することが、新たな指針としても推奨されはじめた。遠く離れた地域で起こっている森林伐採や河川汚染に敏感に反応し、見知らぬ社会で生起した人権侵害に注目していくという態度は、グローバル化時代の市民の行動基準となりつつあるのだ。環境保護や人権尊重は、現代世界の普遍的(絶対的)正義としての地位を確立した。これらのグローバルな基準は、いまや、正面から異議を唱え解体・転覆することが不可能なほど、現代世界における「正統性」を付与されている。こうしたグローバル化時代の人間観は、国民国家や民族、宗教、人種といった人間分節の虚構を暴露して、国家の拘束、文化の鋳型、情報のコントロールを超えて、主体的に選択し思考し行動する個人を措定した。もちろんこの種の個人を、西欧近代固有の人間観に過ぎないという批判は可能だ。しかし、オリエンタリズム批判の眼差しは、こうした非西欧近代の人間観を、差異を強調してユニークなものとして描くことに警鐘をならした。では、グローバル・スタンダードを無条件に受容するのでもなく、非西欧的ローカリズムをロマンティックに想像するのでもない、人間観はいかにして構想可能なのだろうか。この問題について整理し方向性を検討することが本論の目的である。
  • 田中 滋
    2002 年 1 巻 p. 43-54
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    日本の社会学には、理論・方法論を重視し社会調査を軽視する傾向がみられる。本稿では、日本の社会学者を「媒介者」として捉える視角にもとづいて、さまざまな角度からこの傾向について分析を加えた。日本の社会学者達は、海外の多様な社会学の理論・方法論を学ぶことに多大の労力を払う。理論・方法論は、分析のための道具ではなく、即自的な価値をもった存在すなわち物神(フェティシュ)となっていく。そこには、社会調査は研究の障害となるといった倒錯した意識さえ生まれてくる。この傾向は、学ぶことを優先し、考えることを軽視する日本の文化によって強化される。また、社会学者は、欧米先進諸国との媒介者としての戦後の進歩的知識人と「大衆への蔑視」を共有し、このことがまた、大衆との接点をもつことを必要とさせる社会調査に対する忌避を生む。媒介者としての社会学者は、自足的・閉鎖的世界に安住してしまっている。今、社会学者に求められているのは、その世界からの脱却である。
  • 大澤 真幸
    2002 年 1 巻 p. 55-65
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    今日、社会学の教育にあたっているすべての者が、ひとつの困難に直面している。親密圏を越えた全体社会に対する関心や想像力を、若者たちがほとんどもたないように見えるからだ。本稿は、こうした困難をもたらす要因自身を、社会学的に説明しようと試みるものである。言い換えれば、本稿は、社会学とその教育の可能条件を、社会学的に説明するための予備的考察である。第一に、原初的な共同体における呪術的な治療師の実践が、すでに、端緒的な社会学であることを示す。第二に、固有の意昧での社会学-一個の学問分野としての社会学-は、経験に対して完全に外在する超越的他者の視点を内部化したことで構成される、視点の重層化によってもたらされる旨、論ずる。第三に、いわゆる「オタク」は、この超越的他者の視点をめぐる謎に対して、短絡的で偽装的な回答を与えようとする試みのひとつとして解釈できる、ということを示すだろう。最後に、来るべき社会学のモデルを、知のキリスト教的な様式の内に求めることができる所以を論ずる。
  • 片桐 新自
    2002 年 1 巻 p. 66-68
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
特集Ⅱ 社会調査の多様性と可能性
  • 中野 正大
    2002 年 1 巻 p. 69-
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
  • 谷 富夫
    2002 年 1 巻 p. 70-80
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    ある社会現象に対する問題意識が生まれた時、その<問題>を解明しようとして、たとえば社会学の<アスペクト>が選択される。M・ヴェーバーが近代西欧における資本主義誕生の謎を解く鍵として着目した<アスペクト>は、当時勃興しはじめた中産階級にとっての「行為の意味」、職業倫理であった。こうして<問題>と<アスペクト>が決まれば、それにふさわしいデータ収集の<方法>が割り出されてくる。ある面で歴史社会学といえなくもない『プロ倫』で、「ウェストミンスター信仰告白」や「フランクリンの教説」などの史料、質的データが用いられたのは当然であろう。このように実証研究が<問題>と<アスペクト>と<方法>の緊密な連結のもとで営まれることは誰でも知っている。何の変哲もない研究モデルではあるけれども、実証研究における三者の密接不可分性を強調し、あえてこれに「三位一体論」という名前を付けてみたい。私たちの「民族関係の社会学」もまた、三位一体論に基づく社会調査の一例である。
  • 山田 富秋
    2002 年 1 巻 p. 81-91
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    エスノメソドロジーの文献の中でフィールドワークそれ自体に言及したものは少ない。しかしながら、エスノメソドロジーによって方向づけられた仕事も多くある。エマーソンたちによればそれは、インタビューや当事者の会話を(1)特定の文脈(コンテクスト)にもどしてやり、文脈に即してメンバー自身のカテゴリー化実践を特定化する。さらにはポルナーの「ラディカル・リフレクシヴィティ」の教えにしたがって、(2)調査者自身の調査行為を含めた調査プロセスの自己言及的な批判的分析をすることにある。この調査方針は、シルバーマンたちの提唱する啓蒙主義以降の批判実践としての調査である。それは、相互行為のシークエンスに沿った言説編成を、フーコーの言う「真理」を産出する権力装置として批判的に解釈する実践である。ここでは長野県の精神障害者の共同住居の調査の一場面を取り上げ、私たち調査者の行為自体を俎上に上げる。ここで明らかにされたのは、地域福祉のモデル・ストーリーを強化するかたちで、調査者が対象者の言説に挑戦するプロセスである。もし調査者が対象者の言説を地域福祉のモデル・ストーリーによって抑圧したり、選別したりしていくならば、ここでの活動の現実と多様性を切り捨てていく結果になるだろう。したがって、調査者はこうした批判実践を通して自らの調査を巻き込んだ言説編成をそのつど問題化しなければならない。
  • 吉川 徹
    2002 年 1 巻 p. 92-101
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    現代階層論は、ジャーナリスティックには活況を呈しているようにみえる。しかし同時に様々な困難な課題を抱えていることも指摘される。本稿ではこの現状をふまえて、あらためて1955年以来のSSM調査研究を中核とする階層研究史を見直した。その結果、1980年以降の約20年は、戦後〜高度成長期という前時代と比較すると、十分な説明がなされないままで残されていることを指摘できる。そうであるからこそ、この空白の20年を埋めるものとして、原純輔と盛山和夫は「寛かさの中の不平等」という現代階層論の大きな指針を示しているのである。だがこの論調もなお、「戦後」という|日来の時代認識からは相変わらず自由ではない。それゆえにまた、時系列比較研究に特有の先行研究との分析の重複、新しい時代の特性(=現代社会論)の軽視が繰り返されるおそれがある。同時に現在の微細な階層差(豊かさの中の不平等)は、社会意識局面などに対する階層要因の影響力の弱まりをけじめとしたいくつかの課題を、階層研究のフロンティアにいる次世代の研究者に突きつける。
  • 小林 久高
    2002 年 1 巻 p. 102-106
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
  • 大村 英昭
    2002 年 1 巻 p. 107-113
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
  • 金屋 平三
    2002 年 1 巻 p. 114-116
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
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編集後記
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