マーケティングジャーナル
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特集論文 / 招待査読論文
デジタル社会におけるブランド戦略
― リキッド消費に基づく提案 ―
久保田 進彦
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2020 年 39 巻 3 号 p. 67-79

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Abstract

デジタル化は現代の消費環境を特徴づける重要な要素の1つである。社会生活や経済活動の各所にデジタル技術が用いられることで,消費環境は大きく変化している。それではデジタル化が進展する中で,企業や組織のブランド戦略はどのような方向を目指すべきであろうか。本研究ではこうした問題意識に基づき,Bardhi and Eckhardt(2017)によって提示された「リキッド消費」を鍵概念としながら,デジタル社会におけるブランド戦略について俯瞰的に検討していく。具体的には,まずKubota(2020)における議論を引き継ぐかたちで,リキッド消費をブランド消費行動の観点から再検討する。そしてここから,文脈への適合と消費の手軽さがもたらす心地よさの重要性を指摘する。つづいて「裾野を広げる戦略」と「生活の中に溶け込む戦略」という,リキッド消費に対応した2つのブランド戦略を提案する。そして最後に,研究全体を振り返るとともに,限界点や今後の課題について議論する。

Translated Abstract

Digitization is one of the key elements that characterizes the modern consumer environment. The use of digital technology in various areas of social life and economic activities has greatly changed the consumption environment. Consequently, what direction should the brand strategy of a company or organization aim for as digitalization advances? Based on these issues, the brand strategy in the digital society is considered from a bird’s-eye view, using “liquid consumption”, presented by Bardhi and Eckhardt (2017), as a key concept. Specifically, liquid consumption will be reexamined from the perspective of brand consumption behavior based on the discussion in Kubota (2020). The importance of comfort brought about by contextual fit and easy consumption is then pointed out. Next, two brand strategies corresponding to liquid consumption are proposed: “Strategy of expand the range” and “Strategy of blending in with the daily life”. Finally, reflection upon the entire thesis, limitations and future issues are discussed.

本研究は,Bardhi and Eckhardt(2017)によって提示された「リキッド消費」を鍵概念としながら,デジタル社会のブランド戦略について大きな視点から検討するものである。Kubota(2020)はデジタル社会における消費環境の変化について確認したうえで,リキッド・モダニティおよびリキッド消費について説明し,さらに通時的データを用いてリキッド化が社会に浸透している様子を観察した。本研究はこの議論を引き継ぐかたちで,リキッド消費をブランド消費行動の観点から再検討したうえで,消費環境の液状化(リキッド化)に対応したブランド戦略のあり方について検討していく。したがって「リキッド消費が台頭する中で,企業や組織のブランド戦略はどのような方向を目指すべきかについて俯瞰的に検討すること」が,本研究の目的である。

なお,Tanaka(2017)が指摘するように,具体的な企業活動において,純粋なブランド戦略だけのアクションというものは(知的財産に関する活動を除いて)ほぼ存在しない。現実にはブランド価値を高めるための経営戦略,マーケティング戦略,コミュニケーション戦略があるだけである。このため本研究において提示されるブランド戦略も,消費環境の液状化を念頭においた,ブランド価値を高めるためのマーケティング活動となる。

本研究は4つの節から構成されている。第I節では,リキッド消費をブランド消費行動の観点から再検討する。第II節と第III節では,リキッド消費に対応した2つのブランド戦略を提案する。第IV節では,論文全体を振り返るとともに,限界点や今後の課題について議論する。なおブランド戦略は,消費者マーケティング(B to Cマーケティング)でも産業財マーケティング(B to Bマーケティング)でも重要だが,本研究では前者を念頭に議論を展開していく。

I. リキッド社会におけるブランド消費

1. リキッド消費環境におけるブランド消費傾向

リキッド消費に対応したブランド戦略について検討する前に,議論の前提となる,リキッド消費やその影響について簡単に整理する。リキッド消費には,①短命性,②アクセス・ベース,③脱物質という特徴がある。より具体的には,人々が個々のブランドに対して一時的にしか価値を見いださなくなり(ブランドの価値が文脈特定的となることで,その寿命も短くなり),その時々に応じて,最適なブランドとつきあうようになり,所有にこだわらなくなる(使用や消費できれば良いと考えるようになり,経験に価値を見いだすようになる)(Bardhi & Eckhardt, 2017; Kubota, 2020)。

リキッド消費は消費行動全般に影響を及ぼすと考えられるが,ブランド消費行動に焦点を絞った場合,①使用価値の重視や使用価値志向の行動,②量的な意味での物質主義の強まり,③活発なブランド遷移,④専有志向の弱まり,⑤ロイヤルティとコミットメントの希薄化,⑥不即不離の関係,⑦流動的な愛着,⑧コミュニティの変化といったことが重要となる。これらの特徴は,価値観に関するもの,ロイヤルティないしはスイッチングに関するもの,リレーションシップやコミュニティに関するものに分けられる(Kubota, 2020)。表1はこうした視点から,リキッド消費環境におけるブランド消費傾向について整理したものである。

表1

リキッド消費環境におけるブランド消費傾向

Bardhi and Eckhardt(2017)を参考に筆者作成)

2. 文脈への適合と消費の手軽さがもたらす心地よさ

1から分かるように,リキッド消費環境では,消費者はその時々の文脈に応じて,最適なブランドを消費していくことになる。そしてブランド選択がより実利志向的な基準で行われるようになり,ブランドを消費することから得られる現実的なベネフィットがいっそう重視されるようになることで,この傾向はさらに拍車がかかることとなる。

これまで消費者があるブランドを選択する理由は,ブランドの消費から得られる実用的なベネフィットだけでなく,そのブランドが特定の社会において発揮する意味的な価値である「象徴的価値」や,それまでのブランド経験に基づいた「自己とブランドの結びつき」などからも影響を受けるとされてきた(Keller & Swaminathan, 2020; Kubota, 2018, 2019b)。また,特定の売り手や関係者との通時的な互恵性を規範とする「関係的交換」からも影響を受けると考えられてきた(Kubota, 2012)。

しかしリキッド消費を特徴づける文脈適応的で実利志向的な消費は,より大きな効用を追い求める変化に富んだ消費によって支えられることになり,ブランド選択に安定性をもたらすこうした要素の影響を小さなものとする。すなわち個々の取引が「その歴史と予想された将来の中で眺められる」(Dwyer, Schurr, & Oh, 1987, p. 12)ような状態から,「ある取引を,当該時点においても,またその事前や事後においても,当事者間のその他すべてから分断する」(同, p. 12)ような状況へとシフトさせ,ブランドとの関係を身離れの良いものにする。

こうしたなか,マーケターの基本的な課題は消費者の流動的なニーズに適切に対応することとなる。またそのためには,①文脈に応じて(場面や状況に合わせて)製品を変化させたり,あるいは最適な製品を組み合わせて,消費者のそのときのニーズにフィットした価値を提供することと,②選択や購買や使用に伴う消費者の労力を低減する(売り手が代行する)ことで,より簡単に,その文脈に応じたブランドの消費を可能とすることが重要となる。なぜなら上述した「より大きな効用を追い求める変化に富んだ消費」を実現するには,その時々に応じた選択肢が提供され,なおかつそれらをより少ない努力で自由に選択したり消費したりできることが求められるためである。すなわち,リキッド消費を前提としたブランド・マーケティングでは,文脈への適合(contextual fit)と,ブランド消費の手軽さ(easy consumption)を実現することがポイントになる。

また文脈への適合と消費の手軽さという2つの効用を得ることで,消費者は心地よさ(comfort)を感じることになる。なぜなら,いつでも,簡単に,その場に応じたブランドを消費できることで,消費者の快適性はいっそう高まるためである。この文脈への適合と消費の手軽さがもたらす心地よさ(時間や手間をかけることなく,すぐさま簡単に,その場に応じた満足が得られる心地よさ)は,リキッド消費に対応したブランド戦略の鍵となると考えられる。

3. 2つの戦略

リキッド消費を前提としたマーケティングにおいて重要と考えられる文脈への適合と消費の手軽さを踏まえると,「裾野を広げる」と「生活の中に溶け込む」という2つの戦略を導くことができる。これらはいずれも,リキッド消費に対応したブランド戦略の鍵である,文脈への適合と消費の手軽さがもたらす心地よさを消費者に提供するものである。

その詳細については以下で論じるが,裾野を広げる戦略とは,リキッド消費におけるブランド・スイッチング傾向の高さを肯定的に捉えたうえで,より多くの消費者を自社ブランドのユーザーとして獲得する戦略である。これに対して生活の中に溶け込む戦略は,必要なときに必要なものを提供するブランドとなることで,消費者の日常をかたちづくる存在となることを目指す戦略である。したがって裾野を広げる戦略が「心地よい取引」を武器として,より広い範囲から顧客を獲得しようとする「幅」の戦略であるのに対して,生活の中に溶け込む戦略は,離反することを忘れてしまう「心地よい関係」を武器として,顧客との関係を深化させていく「深さ」の戦略だといえる。またこれら2つの戦略は,個々の消費者との間に相互作用を期待する程度(個別的相互作用に依存する程度)においても異なっている。

以下ではそれぞれの戦略について説明していくが,1つ目の裾野を広げる戦略が従来型のブランド戦略の応用であるのに対して,2つめの生活の中に溶け込む戦略はこれまでのブランド戦略と趣を異にするものである。そこで前者については要点を押さえた簡潔な議論に留め,後者についてはやや分量を割いて議論をすることにする。

II. 裾野を広げる

1. 戦略の概要

第1の戦略は,リキッド消費におけるブランド・スイッチング傾向の高さを肯定的に捉えたうえで,より多くの消費者を自社ブランドのユーザーとして獲得しようとするものである。そこでは消費者がブランド間を頻繁にスイッチングすることを前提としたうえで,自社ブランドを大量に購買してくれる消費者(いわゆるロイヤル・ユーザー)だけでなく,購買額や購買頻度が相対的に低い消費者にも目を向けていくことになる。またそのためには,消費者にとって,手軽で買いやすい状態を提供することが必要となる。したがってこの戦略の本質は「心地よい取引」を提供することで,より多くのユーザーを惹きつけることにある。

この戦略の背後には,Ehrenbergが指摘した「ダブル・ジョパディ」とよばれる経験的法則が理論的基盤として存在する(Ehrenberg, 1969; Ehrenberg, Goodhardt, & Barwise, 1990; Uncles, Ehrenberg, & Hammond, 1995)。Ehrenbergは過去数十年間にわたり,多くの市場データを分析することで,市場シェアの高いブランドは市場浸透率(その市場を構成する人々のなかで,ある一定期間内に一度でもそのブランドを購入したことのある人の割合)が高く,購買頻度(ある人が一定期間内にそのブランドを購買する回数)もやや高い傾向にあることを発見した。そして,市場シェアの低いブランドは,顧客の少なさ(低市場浸透率)とロイヤルティの弱さ(低購買頻度)という二重苦(double jeopardy)を背負っていると指摘した。

Ehrenberg et al.(1990)は,ダブル・ジョパディが生じるメカニズムを次のように説明している。市場には「極めて類似」(very similar, p. 85)しており,消費者にとって「同等のメリット」(equal merit, p. 85)を持っている複数のブランドが存在する。こうした同質的なブランドであっても,マーケターが何をしているか(あるいは過去に何をしていたか)によって知名度は大きく異なっている。このとき,知名度の高いブランドと低いブランドの双方を知っている数少ない消費者は,いずれも同等のメリットであるため,双方を同じ確率で購買する。他方,大半の消費者は知名度の高いブランドしか知らないので,それを購買する。結果的に,知名度の高いブランドは多くの顧客を獲得することになり,知名度の低いブランドは少ない顧客しか獲得できなくなる(低市場浸透率)。さらに知名度の低いブランドは,取り扱い店舗が少ないなどの理由で,入手が困難だったり,目につきにくかったりする。このため,知名度の低いブランドを購買してくれる数少ない消費者の購買頻度も,相対的に低いものとなる(低購買頻度)。

こうして市場シェアの低いブランドは市場浸透率も購買頻度も低いものとなるわけだが,これまで行われた数多くの調査や分析から,市場シェアの高いブランドと低いブランドを比べたときの購買頻度の違いは,実際にはわずかであることが分かっている(Ehrenberg et al., 1990; Uncles et al., 1995)。したがってダブル・ジョパディに基づく議論では,市場シェアに大きな影響を及ぼすのは市場浸透率であり,大きなブランドを目指すには,多くのユーザーを獲得しなくてはならない(市場シェアを向上するには市場浸透率を高める必要がある)という結論に至るのが一般的である。

ここまでの説明から分かるように,ダブル・ジョパディの考え方はリキッド消費ととても相性が良い。既述のように,ダブル・ジョパディが生じる背景には,消費者はブランド間に大きな違いを知覚しておらず,入手しやすいブランドを中心に容易にスイッチングをするという環境が存在している。そしてこうしたダブル・ジョパディ現象が生じる条件は,特定のブランドに対して強いこだわりを持たず,その時々に応じたブランドを選択したり,あるいは入手しやすいものを購入するという,リキッド消費が示唆する購買行動にうまくあてはまる。

以上から,手軽で買いやすい状態を提供することで,できるだけ多くの消費者を自社ブランドのユーザーとして獲得しようとする戦略が導けることになる1)。この第1の戦略は市場浸透率を高めることを目標とするものであり,より多くの消費者を自社ブランドのユーザーとして取り込もうとするものであることから,「裾野を広げる」戦略と命名されている。裾野を広げる戦略には3つの下位戦術が考えられる。

2. 戦術1:選択・購買・使用を容易にする

第1の戦術は「選択・購買・使用を容易にする」というものである。これは,その場に応じた価値(とりわけ使用価値)を,簡単に選び,手に入れ,使えるようにすることを意味している。より多くの消費者を自社ブランドのユーザーに取り込むには,その製品カテゴリーに対して強い関心がなかったり,単位期間あたりの使用量が少ない,いわゆるライト・ユーザーにも目を向ける必要が高まるため(Sharp, 2010),こうした工夫はとても大切となる。

第1の戦術の要点となるのが「ブランドの意味の分かりやすさ」である。ブランドの意味を分かりやすくするのは,ブランドの意味の処理流暢性(processing fluency)を高めることに他ならなない。そうすることで,ブランドの理解が容易になり,知識や動機づけが十分でなくとも,その場のニーズにフィットしたブランドを選びやすくなる。

もう1つ要点となるのが「手続きの容易さ」である。これは,ブランドを選択したり,購買したり,使用するために必要となる労力が少ないことであり,より簡単に手に入り,より簡単に使用できる状態を実現することで達成される。たとえば発注,支払,配送の手続きを自動化したり,省力化することは手続きの容易さにつながる。個人売買サイトの「メルカリ」は,こうした容易さの追求によって大きな成功を得ている好例であろう。「メルカリ」では個人売買に伴うさまざまな作業を自動化することで,消費者自身が手を煩わせることなく,簡単に取引ができるようになっている。

さらに「安心感」を高めることも重要である。自分自身の選択に間違えがないことを簡単に確証できる仕組み,たとえばお墨つきを得られたり,誰かに褒めてもらえるような仕組みをつくることで,消費者は安心して購買ができるようになる。プラットフォーム上のエンドース型ラベリングである「Amazon’s Choice」は,こうした仕組みの1つといえる。

3. 戦術2:消費者が多様性を楽しめるようにする

第2の戦術は,「消費者が多様性を楽しめるようにする」というものである。これは,その時々の場面や状況に合わせて最適なブランドを消費したいという,バラエティを求める消費者の欲求に応えようとするものであり,移り気な消費者を満足させるアプローチといえる。

第2の戦術を実践する方法は少なくとも2つある。1つは,特定のブランドを使用し続けながら,変化に富んだ消費を経験できるようにする方法である。消費者が飽きることのないように,頻繁に新製品を発売したり,リニューアルを続けることで,多様性を提供できれば,彼らを特定のブランドに留められる可能性が高まるであろう。いま1つは,消費者を特定のブランドに留めることをあきらめ,積極的にバラエティー・シーキング行動を支援する方法である。この場合,ブランド・ポートフォリオを充実させることで,極力自社ブランド内を回遊してもらえるような仕組みが有効となる。

4. 戦術3:非能動的な選択を促す

第3の戦術は,「非能動的な選択を促す」というものである。いわば「コカ・コーラ」でもジュースでもよいときに,「コカ・コーラ」を選んでもらえる確率を高める戦術である。

リキッド消費環境では,現実的な効用や機能性が重視され,実用的なベネフィットに価値が見いだされるため,象徴的な価値による差別化が難しくなる。このため,多くのブランドにとってコモディティ化が促されることになる。ブランド間に大きな違いが感じられないようになれば,深く考えずに,とりあえず買ってみるといった行動が多くなる(Assael, 1981)。

非能動的な選択の1つは,たまたま目についたから買った,たまたま思いついたから買ったといった,偶発的な選択である。このタイプの戦術の鍵となるのが,ブランド認知とセイリエンス(顕現性)を高めることである。ブランド認知の深さと幅を広げるとともに,高いセイリエンスを維持することで,ブランドの存在感を保つことが可能となる(Kubota, 2019a)。同時に入手容易性(availability)を高めることも重要である。流通経路を強固にして,簡単に買える環境を整えることは,手軽な選択を促すための基本といえる。こうした考え方は,広告コミュニケーションの領域では古典的なRay(1973)のモデルや,Ehrenberg(1974, 1997)のATRモデル/ATRNモデルに依拠するものである。

非能動的な選択には,無意識的あるいは習慣的な選択もある。消費者にとって,気がつかないうちに,いつのまにか特定のブランドを選択していることは珍しくない(Yamada, 2019)。無意識的な選択を促すには,感覚マーケティング(sensory marketing)や選択アーキテクチャ(choice architecture)の研究が大いに参考となる。

III. 生活の中に溶け込む

1. 戦略の概要

第1の戦略が個々の消費者との相互作用を前提としないものであるのに対して,第2の戦略は相互作用によって一人一人の消費者に関する理解を深め,パーソナライズされた対応を提供しようとするものである。そこでは事前に細かな取り決めをすることなく,消費者がその時々に求めるものを察して,ブランド側が自ら柔軟に対応をしていく。そしてその際に,生活の中のできるだけ多くの場面で接点をもうけることで,消費者の日常をかたちづくる存在となっていく。消費者の生活になじみ,一体となっていこうとするものであることから,「生活の中に溶け込む」戦略といえる。

たとえば現在であれば,Appleに代表されるエコシステム型のブランドや,Amazonのような生活を多面的にサポートする小売サービス・ブランドは,消費者の生活の中に深く溶け込んでいる。こうしたブランドは,必要なときに必要なものを届けてくれるものとして認識されており,存在することがあたりまえであり,なくなってしまうと困るものと思われている。

2. 価値へのアクセスシステム

生活の中に溶け込んだブランドの強みは,離反することを忘れてしまう心地よさにある。必要なときに必要なものを届けてくれることで,ブランドとの間に心地よい関係が形成され,消費者はいつのまにか継続して利用したり,自然と買い続けてしまうことになる。

意外かもしれないが,このようなブランドのあり方は,リレーションシップ・マーケティングの理論的構図と一致する。リレーションシップ・マーケティングの基本ロジックの1つは,関係的資源と関係的契約によって計算的コミットメントを高め,長期的かつ安定的な,好ましい関係を構築することにある(Kubota, 2012)。こうした関係の典型とされるのが,日本の自動車産業における承認図方式の取引である。そこでは,売り手である部品供給業者が,買い手である自動車会社の要望について自ら学習するとともに(関係的資源の形成),公式的および非公式的な相互作用によって信頼関係を形成することで,詳細な仕様書がないままに,いいかえれば事前に明確な指示や契約が存在しない状態で(関係的契約の状態),買い手の意図を推察しながら取引対象となる部品を設計していく(Asanuma, 1997)。

かつて,こうしたリレーションシップ・マーケティングのロジックを消費者ブランドのマーケティングへ適用することは,顧客と直接的に接触する機会を持つ比較的小規模な対面的サービス(高級ホテルや美容室など)を除いて難しかった。しかしその後,インターネット環境の普及により個別顧客との接点が確立され,またコンピューター技術の進歩により顧客情報の個別処理が容易になったことで,メーカーや大規模サービス業においても実現が可能となった。デジタル時代に入ることで,ブランド・マーケティングはリレーションシップ・マーケティングを適用できるものに変化したのである。

もう1つ重要なこととして,リレーションシップ・マーケティングとブランド・マーケティングの類似性がある。あまり指摘されることがないが,両者は基本的な発想において共通項がある。リレーションシップ・マーケティングは,顧客に「この相手であれば間違えのない取引が期待できる」と認識されることで,友好的で,持続的かつ安定的な関係を顧客との間に形成しようとする。いわゆる顧客満足型のマーケティングが,顧客に提供される製品やサービスのパフォーマンスに焦点を合わせるのに対して,リレーションシップ・マーケティングは製品やサービスを提供する行為者のパフォーマンスに焦点を合わせるわけである(Kubota, 2012)。

このリレーションシップ・マーケティングの基本発想のポイントは,製品やサービス自体が変化しても,取引を継続しやすくする部分にある。そしてブランド・マーケティングも同様に,消費者に「この記号がついていれば,間違えのない結果が期待できる」と認識されることで,製品やサービス自体が変化しても,安定して売れ続ける環境を形成する。以上のようにリレーションシップ・マーケティングとブランド・マーケティングは,いずれも製品やサービスを超えた次元で取引の見込みを高めようとするものであり,「期待と可能性のマーケティング」であるという点で一致している。

こうした点を意識すると,ブランドとは優れた製品やサービスとしてではなく,優れた製品やサービスを提供できるシステム(あるいは優れた経験を提供できるシステム)として存在することがよく分かる。そして生活の中に溶け込む戦略は,ブランドが本来的に持つこの性質をいっそう強調することになる。つまり,毎回の取引で都度都度製品を吟味しなくても,そのブランドの製品ならば間違えないだろう,そのブランドならば確実に私を喜ばせてくれるだろうといった認識を消費者に持ってもらうことが目標となる。またそこでのブランドの機能は,消費者自身が努力しなくても,自然と満足が得られる状態を提供することとなる。

ここまでの議論に基づくと,生活の中に溶け込むという戦略の本質は,「関係的資源と関係的契約を組み合わせることで,顧客に自動的に満足が提供されるようにすること」だということが分かる。そして,こうした自動化された満足の提供によって,ブランドは「価値へのアクセス・システム」と認識されることになる。たとえば,どの車に乗っても,電子キーがその人のパーソナル・セッティングやBGMの好みを覚えているカーシェアリング・ブランドであれば,そのブランドから提供されているのは,もはや車そのものではなく,快適な運転という価値である。このときブランドは快適な運転という価値へのアクセス・システムとして存在することになる(Bardhi & Eckhardt, 2017; Gruen, 2016)。

3. 消費者-オブジェクト集合体

関係的資源によって個別化された対応が可能となり,関係的契約によって事後的な対応が可能となる(Kubota, 2012)。しかし顧客に対してより包括的な満足を提供するには,それぞれのブランドが独自に対応するよりも,複数のブランドが連携する方が有効かもしれない。この傾向は,エコシステム型やプラットフォーム型のブランド以外において,特に顕著になるだろう。

複数ブランドの連携を意識すべきであるのは,現実の動きからも指摘できる。これまでブランド論では,消費者を起点として,特定のブランドとの関係をダイアディックに記述することが多かった。しかしデジタル化(特にIoT化)が進むにつれ,消費者の思いも寄らないところでブランド同士が自律的に振る舞い,連携し合うことも多くなってきた。より身近な例をあげれば,インターネットやスマートフォンの中では,すでにさまざまなサービスが結びつき,ブランド同士の関連性が深まっている。これらは消費者とブランドの関係性を,「消費者」と「自律性を持った複数のブランドの集まり」との関係性として記述する必要が生じてきたことを意味している。

こうした大きな流れをふまえ,Hoffman and Novak(2018)は,Delanda(2006)による集合体(assemblage)の理論をベースに「消費者-オブジェクト集合体」(consumer-object assemblages)という考え方を提示している。彼女らは,IoT化によって実現するいわゆる「スマート・オブジェクト」について,他の存在物と影響を及ぼし合う能力を持っており,生き物と同類の存在物であると主張する。そしてモノが一定の自律性を持つようになり,自らの外部と相互作用を展開するようになるならば,「伝統的な人間中心の考え方では,消費者IoT経験を概念化するのに十分ではない」(p. 1180)と主張する。こうして提案されるフレームワークが,上述した消費者-オブジェクト集合体である。

Hoffman and Novak(2018)の消費者-オブジェクト集合体において,人間は「消費者」とよばれ,人間以外の存在は「オブジェクト」とよばれる。オブジェクトにはスマート・オブジェクト(e.g., スマート・スピーカーや自動運転車),スマート・オブジェクトを要素とする集合体,非物理的なインターネット接続サービス(e.g., Spotify),物理的な非スマート・オブジェクト(e.g., ドア,照明,コンセント),集合体の中で消費者やスマート・オブジェクトと相互作用を展開するペットのような人間ではない生き物などが含まれる。

この消費者-オブジェクト集合体のなかで,消費者はさまざまな経験をすることになるが,そこにおける経験とは,昨今マーケティング領域でいわれる経験とは異なるものである。Hoffman and Novak(2018)はマーケティング領域で用いられている「経験」という概念について,消費者をブランド刺激やマーケティング刺激の受け手としてみなすことが一般的であり,消費者経験を反応として捉える視点を採用する傾向にあると批判する。そして消費者経験とは本来,創発的(emergent)なものであると主張する。また彼女らは,「相互作用とは経験が生じる前提となる『構成要素』である」(p. 1181)と述べて,反応ではない消費者経験が生じるには相互作用が必要となるとも主張する。こうして彼女らは消費者経験概念を再検討することを提唱し,それを消費者-オブジェクト集合体の議論へとあてはめる。

消費者-オブジェクト集合体は,多様な相互作用を認める非人間中心的フレームワーク(nonhuman-centric framework)であり,そこには,①消費者とオブジェクトとの間で展開される,消費者中心的な部分間相互作用,②消費者と集合体との間で展開される消費者中心的な部分-全体相互作用,③オブジェクトとオブジェクトの間で展開される非消費者中心的な部分間相互作用,④オブジェクトと集合体との間で展開される,非消費者中心的な部分-全体相互作用が組み込まれている。このような考え方について,彼女らは「モノに関するすべては消費者との関係によって結びつけられているという,今日支配的である人間中心的な視点に対して挑戦を投げかける」(p. 1180)ものだと述べている。

消費者-オブジェクト集合体というフレームワークでは,さまざまな要素間で相互作用が展開され,さらにそれらが互いに影響を及ぼしあっていると考える。たとえばあるインターネット接続型トースターは,ネット上の他のトースターと比較することで,自らの使用頻度が多いか少ないかを知る。そして十分に使用されていないと判断すると,消費者の注意を引くために自らレバーを動かして,パンを焼くという仕事をおねだりしたりする。この例の場合,オブジェクトとオブジェクトが相互作用を展開しつつ,さらにこれがオブジェクトと消費者の相互作用に影響を及ぼしていると捉えることができる。

4. 消費者-オブジェクト集合体の有効性

消費者の生活に溶け込む戦略にとって,消費者-オブジェクト集合体という考え方を用いるメリットは2つある。1つは,それぞれのブランドが独自に対応するよりも,複数のブランドが連携する方が,より効果的にブランド・エクティを構築や維持できることである。もう1つは,マーケターが,消費者との間にどのようなスタイルの関係や経験をつくりだしていくかを考えるために役立つことである。

(1) ブランド・エクティの構築と維持

はじめに第1のメリットについて説明する。リキッド消費という環境のなかで消費者の生活に溶け込もうとするブランドにとって,消費者-オブジェクト集合体の構成要素となることは,ブランド・エクティの構築や維持の可能性を高めることになる。なぜならば,消費者-オブジェクト集合体は,ロイヤルティや愛着の形成を促進する可能性があるからである。

不可欠性とロイヤルティ Hoffman and Novak(2018)は,消費者がさまざまな製品を集合体のなかで継続的に使用しつづけ,集合体と相互作用を繰り返すうちに,その集合体に対して不可欠性(indispensability)の感覚を抱くようになると指摘している。彼女らのこの指摘は,顧客のロイヤルティが低下しがちなリキッド消費環境であっても,ブランドは集合体の要素となることで(そして可能であれば,集合体のなかでできるだけ有利なポジションを獲得することで),それ単体で消費者に接するときよりも,継続的な取引を実現できる可能性があることを示唆している。こうした可能性は,さまざまなアプリによって構成されたスマートフォンという存在に対して不可欠性を感じている消費者が珍しくないこと,そしてスマートフォンの要素になることで,各々のブランドのアプリは,それ単体で市場に存在したときよりも高い使用頻度を獲得できることからも実感できるであろう。

愛着や関係性の構築 Hoffman and Novak(2018)は,消費者が集合体のなかで相互作用を繰り返すうちに,自己拡張と自己拡大がみられるようになるとも述べている。彼女らはBelk(1988)が提唱した自己拡張理論(self-extension theory)にしたがって,消費者は自らのアイデンティティを集合体へと拡張する(集合体や集合体を構成するオブジェクトを自己の延長のように感じるようになる)ことがあると主張する。またAron and Aron(1986)が提唱した自己拡大理論(self-expansion theory)にしたがって,消費者は集合体を自己に内包する(集合体や集合体を構成するオブジェクトの諸側面を自己の中に取り込むことで,その資源,パースペクティブ,アイデンティティを自らのもののように感じるようになる)こともあると主張する2)(see also Aron et al., 2005; Kubota, 2017; Reimann & Aron, 2009)。つまり「消費者は[集合体の中で],自己拡張によってより多くのことができるようになり,自己拡大によってより多くのものになることができる」(Hoffman & Novak, 2018, p. 1194)というわけである。

こうした自己拡張や自己拡大による結びつきは,Kubota(2017, 2018, 2019b)が論じるブランドとの同一化ないしは愛着の形成メカニズムとほぼ同じであり,リキッド消費環境におけるブランド・リレーションシップのかたちの1つを示している。同時に,ブランド・リレーションシップ(ないしは愛着)が生じにくいリキッド消費環境であっても,ブランドは集合体の要素となることで(そして可能であれば,集合体のなかでできるだけ有利なポジションを獲得することで),消費者との心理的結びつきを形成できる可能性があることを示唆している。

(2) 消費者との関係や経験の検討

消費者-オブジェクト集合体は,マーケターが,リキッド消費環境において消費者との間にいかなる関係や経験をつくりあげていくかを考えるツールとしても効果を発揮する。

関係的ジャーニー Hoffman and Novak(2019)は,Hoffman and Novak(2018)の議論をさらに展開することで,ブランドへのロイヤルティやリレーションシップの基盤となる関係的ジャーニー(relationship journeys)をいかにデザインするかについて論じている。彼女らは,心理学領域で開発された対人円環モデル(interpersonal circumplex model)を用いつつ,消費者とオブジェクトがそれぞれどのような役割を担うか(互恵的か非互恵的かという次元と対応的か非対応的かという次元)によって,両者の関係性を4つの概略的スタイル(相補的な主従関係,非対応的な主従関係,パートナー関係,不安定関係)および16の関係スタイルとして記述する。そしさらに,これらを通時的に変化させることで,消費者とオブジェクトの間の主従関係を動態的な関係的ジャーニーとしてデザインできるとしている。

リキッド消費という環境のなかで消費者の生活に溶け込もうとするブランドにとって,消費者との関係をどのように形成していくか,そしてそのためには関係における両者の役割をいかに変化させていくかは重要な問題である。消費者-オブジェクト集合体というフレームワークは,こうした問題を検討するためにも有効なツールとなる。

柔軟な視点の提供 消費者-オブジェクト集合体を,いかなる消費経験を展開すべきかを検討するためのツールとして捉えた場合,柔軟な視点の提供という機能も見落とせない。

まず消費者-オブジェクト集合体は,消費者とオブジェクトを対等な存在として位置づける視点を与えてくれる。非人間中心的な視点から環境を捉えることは,ブランド・マネジメントのプランニングにおいて,思考の自由度を格段に高めることになるだろう。たとえば既述のように,オブジェクトとオブジェクトの相互作用がその後の消費者中心の相互作用に影響を与えるということは,消費者とオブジェクトの間で生じる経験が「消費者およびオブジェクトから構成されるより大きな集合体の中にネストされたもの」(Hoffman & Novak, 2018, p. 1184)であり,それらに依存したものでありうることを意味している。ここから,消費者のブランド経験はそのブランドだけでなく,集合体の中に存在する他のさまざまなブランドやオブジェクト(モノや生き物)によっても生み出される,という視点を持つことができる。

また消費者-オブジェクト集合体は,このような相互作用重視の視点を通じて,経験という概念を見直すきっかけも与えてくれる。既述のように,現代マーケティング領域で用いられている経験という概念には,消費者をブランド刺激やマーケティング刺激の受け手としてみなしたうえで,マーケターによって与えられた刺激に,理想的なかたちで反応させることで生まれるものといった意味合いが含まれている。たとえばKawaguchi(2018)は,経験経済の代表的論者であるPine and Gilmore(1999)が主張する経験について,消費者は企業の演出のなかで,ある瞬間やある時間に,企業が提供してくれるコト(-ing)に価値を見いだすという考え方に基づくものであり,そこにおける経験は企業によって演出されたイベントの中で生成されるものであると指摘している。あるいは経験価値マーケティングの代表的論者であるSchmitt(1999)が主張する経験についても,マーケターによって与えられたある種の刺激に反応して生じる個人的な出来事であると指摘している。もちろん,こうしたダイアディックで反応的な経験観が誤っているわけではない。しかしブランド化されたオブジェクトが一定の自律性をもち,互いに関連性を深めはじめている今日において,デジタル化の黎明期に行われたPine and Gilmore(1999)Schmitt(1999)の議論をいまいちど見直すことは有意義であろう。

(3) 消費者-オブジェクト集合体の有効性と難しさ

ここまで,消費者の生活に溶け込む戦略において,消費者-オブジェクト集合体という考え方を用いるメリットについて述べてきた。そこでは消費者-オブジェクト集合体が,消費者の生活に溶け込む戦略において,ブランド・エクティの構築と維持を達成するための規範的モデルとなるとともに,ブランドがいかなる消費経験を展開すべきかを柔軟に検討するためのツールとしても役に立つことが指摘された。

もちろんブランド戦略の策定者が,価値へのアクセスシステムを設計するうえで,こうした考え方を完全にとりこむことは容易ではない。なぜならそこで構築されるシステムは,これまでのマーケティンングで実践されてきたものと比べて,あきらかに複雑で不確実なものだからである。しかし,少なくとも集合体的な発想を意識することは,デジタル社会の中で自社ブランドを消費者の生活の中に溶け込ませていくために有効であり,また消費者-オブジェクト集合体というフレームワークは,こうした消費者経験に対する新しい捉え方を支援するツールとなると考えられる。

IV. むすび

1. まとめと考察

本研究では,リキッド消費が台頭する中で企業や組織のブランド戦略はどのような方向を目指すべきかという問題意識に基づき,Bardhi and Eckhardt(2017)によって提示された「リキッド消費」を鍵概念としながら,デジタル時代のブランド戦略について,俯瞰的に検討してきた。具体的には,リキッド消費をブランド消費行動の観点から再検討したうえで,ブランド価値を高めるためのマーケティング活動として「裾野を広げる」戦略と「生活の中に溶け込む」戦略を提案した。

裾野を広げる戦略とは,リキッド消費におけるブランド・スイッチング傾向の高さを肯定的に捉えたうえで,消費者にとって買いやすい状態を提供し,より多くの消費者を自社ブランドのユーザーとして獲得しようとするものであった。生活の中に溶け込む戦略とは,相互作用を通じて消費者に関する理解を深め,パーソナライズされた対応を提供することで,消費者の生活になじみ,一体化していこうとするものであった。したがって,裾野を広げる戦略が「心地よい取引」を武器として,より広い範囲から顧客を獲得しようとする「幅」の戦略であるのに対して,生活の中に溶け込む戦略は,離反することを忘れてしまう「心地よい関係」を武器として,顧客との関係を深化させていく「深さ」の戦略であった。

このように本研究はリキッド消費を前提としてブランド戦略を検討してきたわけだが,すべての消費がリキッドに向かうわけではなく,これまで通りソリッド消費も残ることを忘れてはならない。たとえば物質主義的な消費者は,リキッド消費と距離を置き,自己とブランドの結びつきを強めることで,社会的な不確実性と不安を管理しようとする傾向があるとされる(Bardhi & Eckhardt, 2017; Belk, 2010; Rindfleisch, Burroughs, & Wong, 2009)。また,ゆっくりとした消費をすることで,ハイペースで多忙な日常生活から逃げる機会を求める人たちがいることも指摘されている。(Husemann & Eckhardt, 2019)。さらには,「流動性はおめでたいことではなく,むしろ個人化の脆弱性を弱めるリスクと不確実性の条件に関連している」(Bardhi & Eckhardt, 2017, p. 3)という指摘もあり,今後リキッド消費を避けようとする動きがでてくる可能性も十分ある。

したがってリキッド消費という概念を,消費スタイルのシフトではなく拡張だと理解することはきわめて重要である。周知のように,これまで提唱されてきたオーソドックスなブランド戦略には「ブランド認知の深さと幅を広げる」「強く・好ましく・ユニークなブランド連想を構築する」「ブランド・リレーションシップを形成する」(ファンを増やす)などがある(Keller & Swaminathan, 2020)。本研究で新たに提唱した「裾野を広げる」と「生活の中に溶け込む」という戦略は,これらに代わるものではなく,新たに加わるものである。その意味で本研究は,ブランド戦略の策定者の視野を広げるものだといえる。

2. 限界点と今後の課題

デジタル化は人々の消費生活に大きな影響を及ぼしており,いまやマーケティング領域でも盛んに議論が行われている。たとえばごく最近にも,“Consuming Technocultures”(技術文化の消費:Kozinets, 2019)というキュレーション論文がJournal of Consumer Researchに掲載され,デジタル技術が消費文化全体にさまざまな影響を与えていることが論じられた。

この論文で目を引くのが「今,新しい何かが起こっている。それは,これまで気づかれなかったことや,予見されていなかったことである」(Kozinets, 2019, p. 620)という部分である。そしてこのくだりは「技術的な創造物は,私たちを映し出し,私たちを結びつけ,私たちと同じような姿になり,私たちを形づくり,私たちに置き換わり,私たちをコントロールしている」(同)という指摘につながる。

デジタル化はかつてなかった変化を社会にもたらしており,本研究ではそうした環境におけるブランド戦略について,できるだけ柔軟な視点から検討してきた。デジタル社会におけるブランド戦略のかたちを示したという点で,本研究には学術的にも実務的にも一定の価値がある。しかし同時に,以下のような限界点や課題も内包している。

第1は,リキッド消費をどのように測定するかについて言及されていないことである。リキッド消費を鍵としてデジタル社会におけるブランド戦略を考えるうえで,この測定の問題は,研究者にとっても実務家にとっても最大の課題である。

第2は,本研究で提示した2つの戦略が極めて大局的かつ抽象的な水準に留まっていることである。いうまでもなく,ブランドと技術の関係は日々変化している。たとえば今日,消費者のスマート・デバイスにはいくつものブランド・アプリがインストールされているが,わずか10年ほど前まで,ブランドがアプリを持つことは一般的でなかった。こうしたデジタル環境の変化の激しさを考慮し,本研究では意図して具体的な手法を示さず,大枠の提案に留めてきた。しかし同時にこれは,本研究で示した戦略の妥当性の検証を困難にしている。したがって今後は,本研究で示された戦略を具体的な手法に展開し,妥当性を細やかに確かめる努力が必要となる。そして仮説,検証,再検討という再帰的なプロセスによって見直しがなされ,より妥当性の高い知見へと修正が加えられていくことが期待される。

さらに上述した2つの問題に加えて,本研究で提案した戦略が「善いもの」であるかについての検討も重要である。たとえば裾野を広げる戦略は,ときとして消費者にスイッチングや買い替えを促すことになる。こうした加速型のマーケティングに対する批判は古くからなされてきた(e.g., Packard, 1960)。裾野を広げる戦略は,仮にそれが計画的陳腐化を促すタイプのものでなかったとしても,結果的に不要な買い替えを促してしまうものならば,問題点を抱えているといわざるをえない。

またブランドの意味の分かりやすさを追求することは,ときとして消費者に提供される(すなわち社会全体に流通する)価値を,表面的で,深みに欠けたものとする可能性がある。そして同時にそれは,消費者の経験を「忍耐,努力,労力のいずれも必要としない行為または活動において即時的に促される浅い満足」(Kawaguchi, 2018, p. 133, 143, 149)に基づいたものへと誘導する可能性もある。Kawaguchi(2018)は,こうした容易に得られる浅い満足を繰り返し経験することが,それへの嗜癖しへき(addiction)をもたらす危険性を示唆している。

さらに生活の中に溶け込む戦略には,ノモフォビアのようなデジタル中毒を加速させる可能性がある。ある実務家はこうした問題について,私たちの大多数は,いまやボタンを押すだけで即座に満足を得ることができると指摘し,オンラインから得られる「インスタント満足」(instant gratification)を繰り返すことが,実生活における動機づけの欠如をもたらすと危惧する。そして「指先だけで同じような感情を得られるのに,なぜ長期的な目標にむかって取り組むことになろうか」と警告する(Folkes, 2019)。したがって,本研究で提示した戦略は,収益性という観点だけでなく,社会性といった観点からも,さらに検討されるべきであろう。

(本研究は科学研究費助成事業(18K01885)の助成を受けたものである)

1)  本研究の趣旨から外れるためここでは深く議論しないが,ネットワーク外部性が存在する場合,この第1の戦略の有効性はさらに高まるであろう。

2)  これまでself-extensionもself-expansionも「自己拡張」と訳されてきたが,本研究では両者を区別するために,長さなどが「伸びる」という意味があるextensionを「拡張」と訳し,面積などが「広がる」という意味があるexpansionを「拡大」と訳すことにする。

久保田 進彦(くぼた ゆきひこ)

青山学院大学経営学部教授。専門はブランドおよび広告コミュニケーションを中心としたマーケティング。著書に『はじめてのマーケティング』『そのクチコミは効くのか』『リレーションシップ・マーケティング』(いずれも有斐閣)など。

References
 
© 2020 The Author(s).
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