2021 年 40 巻 3 号 p. 89-99
昨今のデジタル技術の進化と普及により,これまでにない量や形式のデータが生成され,それらを分析するためのAIや基盤技術をマーケターは活用できるようになった。金融事業から出発したSBIグループでは,その機会を活かしてグループ会社間のシナジーによる価値創造を実現するために,2012年にグループの持株会社であるSBIホールディングス株式会社の社長室直下にビッグデータグループを設けた。このグループはデータ基盤整備やグループ会社のデータ活用能力向上などの様々な施策に取り組み,グループ全体の顧客基盤の成長などに見られる通り,成果に貢献してきた。その成功要因として,従来の情報システム開発と分けてのデータ基盤整備,システム導入ではなく価値創造を目的としてのリソースの確保,グループ横断での会議や勉強会開催によるノウハウ共有や各部門の課題把握,ワークショップなどによる社員のデータに基づく意思決定への意識改革の支援,更にこれらを支える経営陣のコミットメントが示唆された。
Recent advancement of digital technologies allows marketers opportunities to access and employ more and broader types of data, AI and infrastructures in their decision making. The SBI group, who started internet financial business, established their big data analysis group under the CEO office of SBI holdings, Inc. in 2012 to make best use of such opportunities and to achieve value creation through synergies among group companies. This team developed a data analysis platform, enhanced group-wide analysis capabilities, and contributed to business growths as seen in the number of total accounts of group companies. The following five aspects were identified as success factors: An independent data analysis platform development from traditional IT management, securing resources by aiming at achieving value creation rather than system implementation, group-wide meetings to share best practices and to learn challenges among each group company, support to reform employees’ mindset to adapt to data-driven decision-making, and commitment and involvement by senior management teams to support those initiatives.

データサイエンティスト育成のための勉強会
出典:SBIホールディングス株式会社
本ケースでは,1999年の創業以来金融サービス事業を中心に,様々な事業分野で成長を続けてきたSBIグループにおける,近年のビッグデータを活用したデータドリブン経営に向けた取組をみていく。
ICTの発展がマーケティングに及ぼす影響の一つとして,新しいデータ活用の機会が挙げられる。インターネットというチャネル通じて企業が顧客と直接取引やコミュニケーションを図れるようになったことで,いわゆるビッグデータが生成されるようになった。そしてクラウド化などによるITシステムのコストパフォーマンスの飛躍的な改善によって,それらのデータを企業自らが保持し,分析を行ってマーケティングや企業のマネジメントに活用することが可能となった。
そのような環境の変化から,マーケティング部門の課題の一つとしてビッグデータの対応やマーケティングアナリティクスの強化が挙げられている。SBIグループでは本社社長室に2012年8月にビッグデータグループ(以下BDグループ)を設置以来,SBIグループ全体のCenter of Excellenceとしての機能を担い,データドリブン経営に向けた活動に取り組んできた。そこで本ケースではその設立の経緯からどのようにグループ全体のハブとしての役割を果たし,成果を出してきたかを見ていく。
SBIグループの歴史は,1998年9月に当時のソフトバンク株式会社の取締役会における持株会社制導入の決議を受けた各事業部門の子会社化による分離独立の中で,金融事業をドメインとする事業会社の中間持株会社であるソフトバンク・ファイナンス株式会社の1999年4月の設立によって始まった。
その当時の環境変化として,金融緩和政策とインターネットの普及が挙げられる。前者については,金融緩和以前の日本での金融業界では新しい金融会社の設立は当時の大蔵省による認可制であり,誰もが希望すれば参入出来る状況にはなかった。また米国における株式手数料の自由化が米国では1975年に実現されている一方,日本では一回の取引における手数料は認可制であり,証券各社が自由に設定できるものではなく,各社が横並びの状況にあった。このような状況を打破し,市場の活性化を狙って進められたのが金融緩和政策である。この政策が様々な企業の金融市場への参入を後押しすることとなった。
次にインターネットの普及については,米国で1995年のマイクロソフト社によるWindows95発売によってPCの普及が進んだ。更に1999年に商用での提供が開始されたADSLにより定額料金,常時接続というユーザーにとっての利便性が向上し,同年の携帯電話でのインターネット接続サービスも開始されたことで,インターネット利用率は1997年の9.2%から2003年には64.3%までに急激に上昇することとなった。これらの外部環境の変化に機会を見出し,日本でもインターネットでの金融業の機運が高まり,日系・外資系問わずオンライン証券会社の日本市場への参入が続くこととなった。
ソフトバンク・ファイナンス株式会社設立後,同グループは様々な金融事業会社の設立と選択集中,次世代の中核的産業としてのバイオテクノロジー産業を捉えての同分野への進出などを経て,そして近年では地方創生への貢献,オープン・アライアンスの推進,新しい社会形態に向けたインフラ整備を3大戦略として推進し,2020年3月末現在,グループ全体として22カ国・地域に303社,従業員数8,003名,収益3,681億円となっている。
このような20年余りでの成長要因の一つとして,SBIホールディングス株式会社代表取締役社長を務める北尾吉孝氏は,創業当初から企業生態系(図1)を意識した運営を行ってきたことを挙げている(Kitao, 2005)。ソフトバンク社において米国のインターネットベンチャー企業への投資を担当する中でこの考え方を知り,事業ポートフォリオを構築する企業相互間の関連性が高いほど収益性が高いというリチャード・P・ルメルトの研究や,急激な技術革新が進む時代においては,従来の競合他社との競合から,相互にシナジーの働く企業群やユーザーも巻き込んだビジネス生態系が競争戦略上重要になるという議論が,SBIグループとしての方向性につながっていった。

企業生態系のイメージ
出典:SBIホールディングス株式会社
SBIグループにおいてビッグデータ活用の中心的な役割を担うBDグループは,2012年8月に設立された。この部門の立ち上げから関わってきたSBIホールディングス株式会社社長室ビッグデータ担当次長の佐藤氏によると,ボトムアップとトップダウン双方向での動きが背景にあった。
ボトムアップ面では,海外での動向をいち早く察知し,社内での対応の検討を進める動きがあった。2010年代に入りマーケティングテクノロジー領域の進化の1つとして,セグメンテーションのようなデータドリブンな広告戦略を推進するために組織の内外へのデータの流れを管理するソフトウェア(Gartner, n.d. a)であるData Management Platformの構築・活用の動きが米国を中心に広がりを見せていた。日本ではまだその動きが広がっていなかったために情報収集に限界がある中で,海外の動向を伝えるサイトでこのトレンドを把握し,個別の部門や事業会社ではなく,グループ横断でデータを統合的に活用するための組織の必要性が議論され,経営層に向けてそのための部門設立の上申が同年の春頃から行われていた。
一方トップダウン面では,もともとSBIグループ設立時の基本的なコンセプトとして生態系の考え方が取り入れられていたことから,グループ間でのシナジーをどう向上させていくかは,常に経営視点からの課題でもあった。その目的を実現するために,インターネットを活用した最適な金融商品提案のために2007年6月にはグループシナジー推進室が設立された。そしてグループ事業会社間での顧客の統合や,クロスセル・アップセル,その成果の把握など,顧客に特化したデータの活用を更に強化していくため,顧客データの活用にフォーカスした部門としてBDグループが経営トップである北尾氏の意向により設立されることとなった。
新しい部門を設立する際の議論の1つとして,どの部門の配属にするかという点がある。新しい部門が,特に複数の事業部門や企業間にまたがっての取組を行う際に,各部門や各企業での協力をどれくらい得られるかは,その部門が持つ影響力にも左右される。この点を踏まえ,SBIグループではBDグループが社長室直下の組織とされた(図2)。前述の通りBDグループの発足前から,グループ会社間でのシナジーの追求,各事業会社で利用されている顧客IDの統合,個人顧客向け家計簿ソフトの提供とその活用などの取組が同時並行的に進められる中で,それぞれの取組を別の部門が担当した場合,グループ全体で足並みを揃えて進めていくことの難しさが課題となっていた。そのため,これらの取組からの知見を活かして発展的にデータ戦略の立案やその実践を行うための新しい部門を発足させる際に,トップマネジメントの判断により社長直下の配属とされることとなった。

グループ横断的な組織
出典:SBIホールディングス株式会社
2. BDグループとその役割次にBDグループのSBIグループ全体の中での役割について見ていく。前述の通りグループ会社間のネットワーク価値を追求する際に,蓄積されたデータをただやみくもに分析するだけでは価値につなげることは難しい。課題を見つけ,意思決定し,行動に移すことによってはじめてデータから価値を生むことができるという考えの基,BDグループは「機動的な実行部隊としてのCenter of Excellence(=横断的専門組織,以下CoE)」の役割を担っている。
体制は企画担当が6名,データサイエンティスト11名,エンジニア2名,各事業会社からの出向者4名,事務担当1名という合計24名体制となり,主な業務として①分析のための基盤作り,②各グループ会社との分析や意思決定に関する取組,蓄積されたノウハウの各グループ会社への横展開といったSBIグループ間の連携,③新規事業や外部企業との連携推進など多岐に渡る。
データ基盤については,分析の対象となるデータとして60を超えるサイトやモバイルアプリからの月間20億ヒットを超えるアクセスログ,グループ会社57社の広告施策データ,40万件/分に及ぶ市場心理指数などを,グループ会社間のID連携やOpenID Connectなどの顧客連携基盤を通じて連携し,目的に応じてクラウドやオンプレミスの分析基盤を使い分け,40TBのデータ容量からなる基盤の構築と運用を行っている(図3)。

データ基盤概要
出典:SBIホールディングス株式会社
グループ会社との取組においては,①提案段階:それぞれの課題に合わせて蓄積されたデータを分析し,新たな価値を生み出す機会を調査,②データ分析とAI構築段階:データの前処理や可視化,特徴量生成,モデリング,③実装段階:社内システムへの実装,クラウド上のAPI開発やダッシュボード作成,④運用段階:予測結果のモニタリングや,構築されたモデルのアップデートと,最初から最後のフェースまで一気通貫で対応している。
ノウハウのグループ会社への横展開としては,業績に連動するグループ全体での指標を定義して継続的に確認すると共に,グループ横断での会議を定期的に実施することで,グループ会社全体のデータ活用力向上を図っている。特に後者については,各グループ会社の責任者を参加メンバーとして毎月開催される「グループデータ活用推進会議」と,ボードメンバーやグループ会社代表を参加メンバーとして半年毎に開催される「グループビッグデータ会議」を開催することで,ビッグデータの取組に関わるメンバーだけでなく,経営層もビッグデータの取組に関わり,経営層の意思決定にまで活用されるための仕組み作りがなされている。
さらに組織的なデータ活用力向上に向けて,CoEとしてBDグループが担当できる取組には限りがある。そこで佐藤氏によるとここ数年,一人でも多くの社員が自ら取組を進めることができるよう,社員を市民と位置づけ,市民データサイエンティストを育成してデータサイエンスの民主化=誰もが取り組める体制を目指した様々なレベルでの取組にも注力しているという。データ活用が推進されるほど取組の数は増える一方,必要とされる業務知識の幅が広がり必ずしも対応できなくなってくるためだ。難易度が高く,かつ期待される効果の大きな案件はBDグループで担当する一方,ニッチな業務知識が求められるテーマには市民データサイエンティストが対応していくことで,より幅広く,かつより大きな価値創造の実現を目指している。
この市民データサイエンティストの育成では,個人向けにはグループ全社に向けたデータサイエンス勉強会を開催し,AI活用事例やプロジェクトの推進方法から始まり,データの準備と前処理,アルゴリズム理解,効果検証分析といったプロジェクトで必要となる一連のテーマがカバーされている。またグループ会社という単位では,前述の勉強会への参加者と共に,部門長や部門担当者も交え,それぞれの業界別AI活用事例や機械学習の概要についてのAI基礎勉強会,ワークシートに基づき,課題の発見や優先順位付けからプロジェクトの具体化のためのテーマ創出ワークショップ,そしてワークショップでの挙げられたテーマから実際に分析を行うテーマの選定とデータ分析・活用までを並走して実施することも行っている。特に現在では予測結果を施策に結びつける業務フローが確立されている。
新規事業や他企業との連携では,生態系の考え方を更に発展させ,これまでの金融分野を中心にした自社グループ会社を超えて,様々な業種のグループ外企業との提携による自社グループ単独では実現出来ない,顧客に向けた価値提供をするための「オープン・アライアンス戦略」に基づく取組が進められている。
その一例として,2018年10月に株式会社SBI証券とCCCマーケティング株式会社の間で設立された株式会社SBIネオモバイル証券での金融サービス提供が挙げられる。個人投資家,特に若年層・投資未経験層の資産形成第一歩のためのサービス提供を目的としたこの提携では,若年層を中心に幅広く支持されているTカードの購買データを活用した投資情報の提供がサービスの柱の1つとなっている。これまで自社グループでは蓄積されていない新たなデータを組み合わせ,顧客に対してより価値の高い投資情報に向けたデータの統合,分析,サービス内容の更新を,事業会社と共にBDグループが支えている。
2012年に発足してからのデータ分析基盤構築やデータ蓄積を経て,BDグループでは2016年からAI活用が本格化してきた。2020年7月現在では70を超えるプロジェクトが案件化されており,その中で38プロジェクトが稼働中となっている。
部門が発足した直後はマーケティング関連の取組がメインだったものの,データの蓄積,体制の強化,ノウハウの構築が進むにつれて,マーケティング以外の領域にも取組が広がってきた。その例として,SBI損害保険株式会社の保険金の不正請求検知のためのAIの活用事例を取り上げる。
当時損害サービス部門の担当者の課題,保険金の支払いを行うかどうかの判断を行うためには高い精度のモデルが必要とされていたが,分析観点では扱うデータが顧客,契約,保険金請求データなど多岐にわたるため,モデル構築が困難であった。また本番環境への実装時はPythonによる環境構築も新たに必要だったが,Pythonでモデル構築を行うと1モデルあたり数十時間,更に場合によっては計算が完了しないケースも発生していた。
それらの課題に対し,顧客からの保険金支払い請求について個別にAIにより不正リスクスコアを算出して,リスクスコアが低い場合は保険金支払いに進み,一方で不正リスクスコアの高い請求については専門のセンターで調査を実施した。そしてその調査結果からのデータを反映してモデルの精度を高めるサイクルを回していった。AIの活用により,スコアの算出に有効となる特徴量の選択が自動的に行われるようになり,新たな特徴量の作成に集中し,少量のデータから有効なアルゴリズムの選定がなされることで,効率的な精度検証やアルゴリズム選定が実現されるようになり,モデル開発の生産性が大幅に向上した。その結果として検証期間において年間数千万円規模の不正請求の検知ができるようになった。
またこのような数々の取組の成果をSBIグループ全体として見た場合,その指標の1つとしてSBIグループ設立当初からネットワーク価値を追求してきたことから,証券会社や銀行会社での口座数,ローン系会社での保有顧客数,銀行口座管理サービスの登録者数,金融・経済情報サービス利用者数,保険契約件数などのSBIグループ各社合計での顧客基盤数の推移が考えられるが,過去5年間となる2015年3月から2020年3月までのデータを比較してみると,顧客基盤の件数は年平均成長率で10.2%の成長を遂げている(図4)。

SBIグループの顧客基盤推移
出典:SBIホールディングス株式会社
主なグループ会社の2020年3月末時点の業績を見ても,SBIのネオモバイル証券の値を含むSBI証券の口座数は5,428千口座で,これはオンライン証券だけでなく,大手証券会社を含めた比較でも業界第1位,また預り資産残高でも12.9兆円と,オンライン証券会社の中で第2位の企業に対し2倍に近い差をつけて1位となっている。銀行業界でも住信SBIネット銀行株式会社の開業は2007年9月と後発ながら,2020年3月末での口座数は392.9万口座,預金残高ではインターネット専業銀行の中で第1位となる53,923百万円に達している。
前述の通りBDグループとグループ会社によって,SBIグループではマーケティング面であるサービスの顧客に別のグループ会社のサービスを推奨するようなクロスセル・アップセルの取組,そしてマーケティングを超えて蓄積されたデータや分析力を活用した業務改善の取組などが行われている。佐藤氏によると「BDグループでは発足直後は基盤整備が中心の先行投資の状態で,マーケティング領域での成果が現れ始めたのが2017年頃から,そしてコストセンターではなくプロフィットセンターとして貢献出来る実感を持ち始めたのは2018年頃で,現在ではプロジェクト単位で収益の見える化が図られており,そして何より何億円レベルで収益増やコスト削減が実現出来ている」ということから,これらのBDグループが関わってきた数々の取組の成果も,SBIグループの成長に寄与しているものと考えられる。
2. BDグループ発足時を中心としたチャンレンジ様々なデータ活用の取組を進めていく中で,BDグループでは新しい取組であるために,時として検討しなければいけない事項や,克服しなければ行けない課題にも直面してきた。そこで以下ではこれらの検討事項や課題について見ていく。
まず新しく部門を立ち上げる際に検討しなければいけない点として,部門の役割分担,特に他の部門との間で,どの業務をどの部門が担当するかという議論が考えられる。例えばデータ基盤は情報システム部門にも関係するために,BDグループとの間での役割分担について議論が持たれた。佐藤氏によると,情報システムで担当している既存の業務があり,新しい取り組みのためのリソースがないことから,必要に応じて情報共有などは行っていくものの,ビッグデータ関連の取組は新しいグループが情報システム部門とは独立して担当するということになった。この決定によるメリットとして,既存システムの枠に囚われることなく,新しい技術の導入を進めていくことにもつながったという。
またマーケティング面からは,各グループ会社にもマーケティング部門があるために,その部門との役割分担を行うことが必要だった。この点については,過去の経験からの知見も踏まえてトップマネジメントからデータを各マーケティング部門がバラバラに管理するべきではないという方向性が示されていたことから,社長室直下のBDグループに集約することになった。一方でビッグデータ活用力のグループ全体での底上げに向けた戦略や能力などの落とし込みは,情報共有や必要な場合には出向という形でビッグデータ部門に受け入れることで実現できるとの判断から,組織面でグループ会社のマーケティング担当者のBDグループへの集約は行われず,これまでの組織体制が継続された。
次に新しく部門を立ち上げる際には,その価値を関係者にどのように認めてもらい,取組に必要なリソースを確保していくかが大きな課題の1つとなる。予算をどのように確保したかについて,佐藤氏は①データには価値があり,それを各グループ会社から提供してもらい,活用するための基盤に向けた予算という位置づけを行い,②マーケティング領域での広告施策や各事業会社のウェブサイト内でのクロスセルを目的とした相互送客施策など,比較的短期で成果を出しやすい施策からの投資対効果を訴求すること,という2点を経理財務部門との議論を進める中でのポイントに挙げた。
この予算の確保は,各グループ会社のマーケティング部門からBDグループへの関心を高める上でも大きな役割を果たすこととなった。情報システム部門と同様に,各マーケティング部門においても既に取り組んでいる業務とそれに応じて割り当てられる予算があるために,新しい施策やツールなどを試したいと考えてもその実現は必ずしも容易ではない。「このマーケター達の課題に寄り添う形で,自部門の予算負担なしにBDグループの導入した基盤などで新しいことが試せると思ってもらえたことが,マーケティング部門に関心を持ってもらうための要因」と佐藤氏は振り返る。
更にマーケティング部門からの関心を勝ち取る別の要因として,佐藤氏は自部門の価値をどのように理解してもらうかについても触れた。グループ会社のマーケティング部門やパートナー企業が参加する定例では,パートナー企業からの報告や提案は,その企業が担当する領域のみの,そして場合によっては一ヶ月遅れのデータに基づくこともあった。そのため,自グループで構築したデータ基盤からのより多面的,かつリアルタイムな指標を分析して戦略立案の支援を図ることが,このグループの価値を高めることにつながったという。
また新たな試みは必ず成功するわけではないため,取組が想定通りに進まないことがあり,各グループ会社への取組の提案時には「また新しい取組ですか。前回の取組では成果がでていなかったですよね」という反応を受けることもあったが,このような状況で自分たちの価値を理解してもらう助けとなったのが,前述のノウハウなどのグループ会社への横展開を目的としたグループ横断での会議体だった。取組を繰り返す中で,小さくても成功体験を積み重ねることで,定例の会議体の中で,成功と失敗それぞれの事例を共有していった結果,「自部門では成功していなくても,他部門ではこのような成功例も生まれているということを理解してもらえたことは大きかった」と佐藤氏は述べた。
これまで設立から8年間に渡るBDグループの取組を見てきたが,本節ではそれらの取組が各グループ会社に広がり,成果を生み出すことにつながったという成功要因を考察していく。
データに基づく意思決定に向けた取組という点で,一連の取組はデータドリブン経営と考えることも出来るが,データドリブン経営を「これまでにない大きな経営インパクトを創出するための全社変革であり,デジタル技術や人工知能(AI)などの技術を活用し,ビジネスのあらゆる局面においてデータ主導での意思決定をする経営」と定義すると,それを進めた際にぶつかる壁として,①データの壁,②リソースの壁,③組織の壁,④マインドの壁が挙げられている(Kurokawa, Hirayama, & Sakurai, 2019)。
最初のデータの壁とは,すぐにデータが分析に活用出来ないことや,投資対効果を明確化が出来ないことを指すが,これらはBDグループが発足当初を中心に注力してきたテーマの1つである。近年情報システムの分野でバイモーダルITという考え方が広まってきている。これは既存の業務システムとそのデジタル化をモード1とし,新しい問題を解決や,未知で不確実性が高い領域に対応していくための探索的な取組をモード2(Gartner, n.d. b)とするものだ。BDグループはモード2に相当する部分を自身の役割として特に発足当初にデータ基盤の整備を集中して進めることで,他の既存システムの維持運用業務に追われて情報システム部門がデータ分析に必要なデータの前処理などに対応出来ず,データ分析が進まないというデータの壁によって生じ得る状況を回避することに成功している。
次にリソースの壁については,IT部門の重要性が高まる一方で,これまでアウトソースに頼ってきた結果,自社にノウハウが蓄積されていない点が課題として指摘されている。前述の通りSBIグループでは発足当時から生態系に基づき,グループ会社間のシナジーによる価値創造の実現を目指してBDグループの発足前から取組が行われてきたため,一定のノウハウを持つ社員によってBDグループを立ち上げることが出来た。また人材と共に必要な予算面で,経理財務部門との議論において,データ基盤構築というシステム導入ではなく,投資対効果を実現しやすいマーケティング関連の施策実行を目的とした予算折衝を行ったことが,予算という最も大事なリソースの獲得に繋がった。また現在でも投資対効果については重要視されており,データサイエンティストが目標を設定する際に,効果を金額に換算した値を含めることにしている。
さらに組織の壁とはAIなどのシステムを構築や分析を担当する部門と,分析結果を意思決定などに活用する事業部門の間に存在する溝や,取組が全社最適ではなく個別の部門最適に向けたものになってしまうことである。この点に対してはまず,SBIグループの創業以来の「企業生態系の形成」や「グループシナジーの徹底追及」という事業構築の基本観を徹底することが行われてきた。また担当者や経営層など複数の階層からの参加者によるグループ横断での継続した会議の実施により,グループ会社の能力を高めると共に,それぞれのグループ会社の課題の理解や状況の把握につなげている。
マインドの壁は,従来の上司の経験則による指示から,データに基づく意思決定に移行するために求められる意識変革を示している。変革については,「セルフエボリューションの継続」というSBIグループの経営理念が果たす役割が挙げられる。事業を担当するグループ会社に向けては,BDグループがデータ基盤を活用して行っている主要指標のモニタリングを通じての改善提案や,勉強会やワークショップなどを開催してグループ会社に自ら働きかけにより,データドリブンな取組へのシフトが支援されている。またBDグループでも変革という点では,若手データサイエンティストの育成を中心に,スキル向上のための仕組みが提供されており,社内チャットツールで質問チャンネルの設置や,各種セミナー,勉強会への参加,産学連携などの機会を継続的に活用して,メンバー各自が自身の能力をアップデートに努めている。社員がこれらの取組を進める背景には「セルフエボリューションの継続」が全社員間で長期的・普遍的な価値観として共有されていることが考えられる。
最後にこれらの要因を支える重要な点として,経営陣の役割についても触れておきたい。「分析力を武器とする企業を支える柱」の1つとしても,経営幹部のコミットメントが挙げられている(Davenport & Harris, 2007)。もともと北尾氏はソフトバンク時代から米国のベンチャー企業への投資経験などを通じてインターネットについての理解を深めていた。更に前述の事業構築の基本観によってグループ間のシナジーを追求する取組による知見から,トップマネジメントの意向としてBDグループを社長直下の部門としてグループ会社との取組において影響力が高まる工夫や,人員や予算など必要なリソースの割当がなされたことが,BDグループの取組を進める上で大きな役割を果たした。
これまで本ケースではSBIホールディングスのBDグループ発足の背景,取組を見てきた。最後に本節ではまとめとしてSBIグループの取組からの実務面への示唆を取り上げていく。
前節ではデータドリブン経営を目指す上での壁に対して,SBIグループの様々な取組がそれを乗り越えるための役割を果たし,成果につながっていることが明らかになった。この点について佐藤氏は「BDグループの検討段階で,必ずしも今後どのような課題に直面することが分かっていて,その対応として様々な取組をプランニングした訳ではない」とのことだったが,データドリブン経営に取り組む企業にとって,どのような課題があり,何を行うべきかを検討する上で,BDグループの取組からは多くの示唆を得ることができる。
第一にデジタル技術面で,これまでの情報システムとの特徴の違いを認識した上で,必要な人材やリソースを確保してデータ基盤の整備に自社で取り組んできた点が挙げられる。同じ情報システムではあっても,モード1とモード2では全く異なるアプローチが必要となる。データやそれをマネジメントしていく能力は,データドリブンマネジメントに欠かせない無形資産であるため,自社で取り組むことが求められる。
第二に前節で触れたデータドリブン経営の実現に向けた4つの壁の中で,データ以外はリソース,組織,そしてマインドの壁であるため,情報システム関連以外の取組の重要性が挙げられる。BDグループでも,リソースを確保するためにシステム導入ありきではなく,価値創造とそのための投資対効果の考慮,組織面では会議体の運営や各部門へのアプローチ,マインドという点でも経営理念に基づき,変革を支援するための仕組み作りに大変多くの労力が割かれていた。
第三に経営層の役割の重要性である。データドリブン経営は特定部門の変革ではなく,全社変革である以上,その実行は経営層自身が取り組む必要がある。SBIホールディングスでのBDグループの設立には現場担当者からの上申がある一方で,トップマネジメント自身がデジタル化の進化とその影響を理解し,部門設立後も会議体への参加や,「技術進化を素早く取り込む」という事業構築の基本観に基づき,その取組や重要性,そして成果などを社内外の様々な機会で継続して発信し続けるなど,BDグループの活動がSBIグループでの成果につながる中で,経営層が大きな役割を果たしている。
最後にマーケティングが果たす役割についての検討が必要となる。マーケティングに活用できるテクノロジーが進化する中で,データやテクノロジーをどのように活用していくのか。データドリブン経営に向けた全社変革における部門間連携や社員の変革に対し,どのような役割が果たせるのか。経営層がデータドリブン経営に向けた変革を推進する中で,どのような貢献が出来るのか。
これらを中心に,デジタル時代のマーケティングやデータドリブン経営に向けて,SBIホールディングスの取組は,多くの貴重な示唆を得られるであろう。
本ケースの執筆においては,SBIホールディングス株式会社社長室ビッグデータ担当次長佐藤市雄氏に多大なるご協力をいただいた。佐藤氏には個別の取材での質問へのご回答と共に,ご講演内容やその背景について詳細なご説明を頂いた。ここに記してご協力に厚く御礼を申し上げたい。
今井 紀夫(いまい のりお)
一橋大学大学院経営管理研究科国際企業戦略専攻博士後期課程に在学中。修士(統合マーケティングコミュニケーション)。専攻はデジタルマーケティング。