マーケティングジャーナル
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特集論文 / 招待査読論文
パートナーとの協働を通じた起業家の目的形成
― 株式会社ヌーラボの事例研究 ―
吉田 満梨二宮 麻里三井 雄一大田 康博
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2023 年 43 巻 2 号 p. 30-41

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Abstract

先行研究では,起業家の機会認識や目的達成の動機が,起業の行動や成果に影響を与えることが指摘されてきた。一方で,起業家がスタートアップの起業,成長,株式上場(IPO)といった目的を,どのようなプロセスを経て形成するのかは,十分に議論されてこなかった重要な研究課題である。本研究では,2004年3月に福岡市で創業し,2022年6月に東証グロース市場への上場を果たした,株式会社ヌーラボの事例研究を通じて,この課題に答えることを目的としている。分析の結果,ヌーラボの起業,成長,上場という新たな目的が見出された3つのフェーズにおいて,自発的パートナーとのコラボレーションの結果として新たな目的が形成される一貫したパターンが確認された。最後に,理論的示唆と実践的示唆を議論する。

Translated Abstract

Previous research has suggested that entrepreneurs’ perceptions of opportunities and their need for achievement have an impact on their entrepreneurial actions and outcomes. However, the process through which entrepreneurs develop their goals for starting, growing, and listing their startups remains an important research question that has not been fully explored. This study aims to address this gap by conducting a case study of Nulab Inc., a company founded in Fukuoka City in March 2004 and listed on the TSE Growth Market in June 2022. The findings reveal a consistent pattern of goal formation through collaborative efforts with spontaneous partners across the three phases. Lastly, we discuss the theoretical and practical implications of these findings.

I. 問題意識と先行研究

本研究は,「スタートアップは,どのようなプロセスを経て,当初は明確でなかった新たな事業機会の認識や目的を形成するのか」という問題について,ヌーラボの事例研究を通じて検討する。

先行研究では,起業に先立つ明確な機会の認識や,起業家の目的に関連する達成動機が,起業行動や起業家の成果に影響を与える重要な要因であるとみなされてきた。例えば,起業家の動機に関する調査では,自分自身や家族を支えるために十分なお金を稼ぐことを主要な目的とする「生計確立型起業家」(necessity entrepreneurs)と,何らかの利益を得られる機会の活用を通じて成功を収めることを動機とする「事業機会型起業家」(opportunity entrepreneurs)を区別し(Reynolds, Bygrave, Autio, Cox & Hay, 2002),前者がスタートアップの成長に対して好ましい影響を与えることが指摘されている。また,起業家の達成欲求(need for achievement: nAch)(McClelland, 1965)のような動機が,起業家的行動を説明する個人要因として指摘されてきた(Johnson, 1990; Stewart & Roth, 2007)。ただし,こうした個人の特性は成果に直接影響するわけではなく,高い目標の設定を媒介することではじめて,ベンチャーの成長に影響することも実証されている(Baum & Locke, 2004)。

こうした議論からは,いったん事業機会が見出され目的が明確になれば,それに対して起業家が高い達成欲求を持ち,高いパフォーマンスが導かれる,というプロセスが想定される。起業家的機会や目的は起業家的行動の先行要因と考えられている。しかし,当初は収入が主な目的の生計確立型起業であっても,その過程で新たな事業機会を見出す可能性もある。また機会は,かならずしも発見されるわけではなく,むしろ創造されるものであるとする議論(Alvarez & Barney, 2007)や,起業家が明確な機会や目的に基づいて行動を開始するのではなく,むしろ手持ちの手段から行動を開始し,新たな機会や目的を形成するという指摘(Sarasvathy, 2001)を踏まえると,そもそも,どのような起業家の行動が,新しい機会の認識と達成すべき目的の形成を可能にしたのかを明らかにすることは,重要な研究課題であると考える。

近年のアントレプレナーシップ研究では,エキスパート起業家から発見された意思決定論理である「エフェクチュエーション(effectuation)」が注目されている。従来,起業家は,目的に対して最適な手段を追求する合理的意思決定を行うと捉えられてきた。こうした「コーゼーション(causation,因果論)」のアプローチとは対照的に,エキスパート起業家は,最初から明確な機会や目的が見えていなくとも,利用可能な手段を活用して,実行可能な意味のある行動を着想し,それを無理のないリスクの範囲で一歩一歩実行し,行動を起こしたからこそ得られる他者のコミットメントや偶発性を取り込んで,「何ができるか」をアップデートしていくサイクルで進んでいく(Sarasvathy, 2008)。こうしたエフェクチュエーションに関する研究では,スタートアップの成長プロセスにおける意思決定のダイナミックな変化を分析する事例研究の蓄積もなされているが,ただしその焦点はエフェクチュエーションとコーゼーションの切り替えがどのような要因によって起こるのか(e.g., Reymen et al., 2015)や,2つの論理のどのような組み合わせが業績に好ましい影響を与えるのか(e.g., Mauer, Nieschke, & Sarasvathy, 2021)などに当てられており,起業家にとっての新たな目的の形成プロセス自体を特定するものではない。一つの事例の中で目的の形成プロセスが観察されても,それが異なる事例でも観察可能なパターンになりうるかも,明らかではなかった。

II. 事例研究の対象とデータ

上記の研究課題に取り組むための方法として,本研究ではスタートアップの創業から株式上場(IPO)に至るまでのプロセスを対象にした事例研究を行う。Yin(2018)では,事例研究は,「どのように(how)」また「なぜ(why)」という問題が投げかけられた場合に望ましい戦略であると指摘されている(p. 9)。成長を遂げたスタートアップが,どのように新たな事業機会や目的を形成したのか,なぜ事前には意図されなかった成果に至ったのか,を明らかにしようとする本研究課題にとって,事例研究は適合的な研究方法と言える。

対象事例の選定では,理論的視点にもとづき,2004年3月に福岡市で創業し,2022年6月に東証グロース市場への上場を果たした株式会社ヌーラボ(以降,ヌーラボ)を分析対象とした。ヌーラボは,「チームで働くすべての人に」をコンセプトに,プロジェクト管理ツール「Backlog(バックログ)」,ビジュアルコラボレーションツール「Cacoo(カクー)」,ビジネスチャットツール「Typetalk(タイプトーク)」など,チームのコラボレーションを促進する複数の自社プロダクトの開発・提供を行う企業である。同社がオンライン上で提供するコラボレーションツールは現在1万件以上のチームに導入され,2023年3月期の連結売上高は前期比19%増の27億円となった。福岡に本社を置きながら,国内は東京と京都,海外はシンガポール,ニューヨーク,アムステルダムにもオフィスを展開し,多様な国籍で構成される社員の数は130名を超える。このように近年,急成長を遂げているヌーラボではあるが,創業者の橋本正徳氏は起業した当時,「2人目の子供が産まれたこともあり『とにかく収入を上げなければ』と必死だった」(Hashimoto, 2021, p. 3)と語るように,ヌーラボの創業は「生計確立型起業」に近いもので,当初から明確な事業機会やIPOを含む目的を見据えていたわけではなかったことから,新たな事業機会と目的の形成を分析する対象としてふさわしいと考えた。

また,ヌーラボの創業の地である福岡市は,近年スタートアップ都市としても注目されている。福岡市長・高島宗一郎氏が2012年秋に「スタートアップ都市ふくおか」を宣言して以降,起業家コミュニティの醸成に注力し,創業を支援するFukuoka Growth Next(FGN)やスタートアップカフェの開設,スタートアップ減税が導入され,ベンチャーキャピタル(VC)やシェアオフィスなど支援産業も新たに生み出されるなど,まさにスタートアップエコシステムが形成されている。ただし,ヌーラボが創業・成長した時期には,こうした環境の支援が福岡市に十分あったわけではなく,むしろ橋本氏らによる働きかけの結果,実現したのが,先述の高島氏によるスタートアップ都市宣言であった。つまり,起業プロセスとスタートアップエコシステムの形成が並行的に進んだ事例としても,ヌーラボの事例は注目される。

ヌーラボがどのようなプロセスで創業・成長し,橋本氏がどのような意思決定をしてきたかは,創業者の橋本氏に対する複数回のインタビュー調査データに加えて,日本経済新聞の記事やWEBメディアの記事,ヌーラボのホームページ・ブログ・プレスリリース,橋本氏の著書,福岡のスタートアップエコシステムを構成する別の当事者へのインタビューデータなども参照できるため,複数データのトライアンギュレーション(Yin, 2018, pp. 126–128)による分析の妥当性確保ができると考えた。また,インタビューに参加した複数の調査者の解釈を付き合わせることで,バイアスを最小化する工夫をした。事例分析の執筆後に,ヌーラボにも原稿を読んでもらい,事実誤認がないことを確認した。

以下では,橋本氏がヌーラボを創業するまでの時期からIPOに至るまでを3つの時期に区分して分析する。それぞれのフェーズは,ヌーラボの起業,成長,上場にかかわる新たな目的が見いだされた時期であり,フェーズ毎に異なるパートナーとの協働を通じて,新たな機会や目的の認識が形成されるプロセスを確認することができる。また,各フェーズを個別のケースと捉えてケース間分析を行った結果,類似のパターンが観察されるのであれば,「追試」の論理(Yin, 2018, p. 55)にしたがって,発見されたパターンの再現可能性を確認できると期待される。

III. 事例分析1)

1. コミュニティ活動を通じた仲間との創業

ヌーラボの創業者である橋本正徳氏は,1976年に福岡市で生まれた。小学生時代に,任天堂の「ファミリーコンピュータ」のゲームや音楽を自作できる周辺機器「ファミリーベーシック」で初めてプログラミングと出会い,高校時代には日本電気のパソコン「PC-9801」でのプログラミングやエレクトロミュージックの作曲活動にのめり込んだ。社会人になりインターネットが普及すると,活動はHTMLを駆使したウェブサイトの制作や,テクノミュージックを集めたディレクトリ型のサーチエンジンの開発へと発展し,そこで知り合った音楽仲間とのライブ演奏やインディーズ・レーベル「ドンタク」の立ち上げも行った。ドンタクでは,年齢も居住地も様々な20名程の仲間が,毎月1曲ずつ持ち寄り1枚のアルバムを作成したが,ジャケット制作,営業,CD-Rへの書き込み等,各自が得意なことやできることを,誰に言われるでもなく自ら率先して行った。橋本氏にとって,こうした共同作業を賑やかに楽しむ時間がとても心地よかったといい,その後も複数のコミュニティ活動に関与していく。

高校時代に仲間と展開したもう一つの活動が,演劇だった。高校卒業後はより個性的で多様な面白い仲間を求めて上京し,演劇の専門学校に入学した。演劇を通じて学んだことの一つは,「一人では到底思いつかないような想定外のアウトプットこそ,コラボレーションの妙だ」ということだった。例えば,所属劇団では,即興演劇をひたすら繰り返すことで生まれるアイデアの点と点を結んで脚本のストーリーを作り上げる手法を用いており,役者一人ひとりの個性がコラボレーションすることで,一人の脚本家からは生まれない,想定外の舞台を作ることができた。

ただ「人生そのものが演劇であり,舞台に立たなくても共に過ごす仲間は劇団である」ことに気づき,また成人後は家族を持ち真面目に働くべきという考えから,東京で出会った婚約者と共に1998年に福岡に戻り,家業の建築業で定職に就いた。3年働いた後,独立起業する道を模索し始め,DTPの請負いや八百屋の商売に着手するがすぐに辞めてしまった。

そこで,一般的な組織の経営を一度体験したいと,2001年に人材派遣会社のプログラマに転身した。3年後の独立を目指して働きながら,エンジニア仲間などと一緒に,Java言語の勉強会等も行うプログラム言語のコミュニティ「Mobster(モブスター)」を立ち上げた。Mobsterでは,海外発のオープンソースソフトウェア(OSS: Open Source Software)の情報をいち早くキャッチして日本で広める勉強会を行ったり,ソフトウェアの開発手法等を学んだりしたが,自分たちで開発したソフトウェアもOSSとして公開し始めた。

こうした活動の背景には,橋本氏自身の特性もあった。幼い頃から長い間じっとしていることが苦手で,入試や様々なテストでも途中退出してしまうことがあった。人材派遣会社の入社後も,研修時に騒いでいるとクレームを受けたりする一方で,興味のあることや好きなことには何時間でも時間を忘れてのめり込むことができた。「プログラミングには興味があるが仕事はつまらない」,「もっと楽しくしていきたい」との思いから,次第に,OSSのコミュニティ活動に傾倒していった。

そうした中で,プログラミングに関するWebサイトでの連載2)や専門誌への寄稿,書籍出版3)なども行うようになる。仕事でも,クライアントから指名で仕事を任されるなど,プログラマとして着実に評価されるようになっていった。仕事の内容に比して給与は上がらず,当時400万円ほどの年収で妻と子供を養う生活は苦しかったのだが,Mobsterのコミュニティは次第に盛り上がりを増し,福岡での勉強会に東京から飛行機で駆けつける人もいた。当時の自然な盛り上がりについて,橋本氏は次のように述べている。

「特にビジョンや目標を掲げることなく,まずはプログラミングや音楽や演劇など,共通の趣味や好きなことを持つ仲間が集まって,その楽しい仲間と楽しいと感じることを試していて,気づくと面白いコンテンツがどんどん創造され,その活動を通してさらに仲間が増える。そのような現象の渦の中に身を置くことをとても面白く感じていました。」(Hashimoto, 2021, p. 126)。

何かは分からないが大きなことを成し遂げられそうな期待が高まっていた。そんな中,橋本氏はちょうど入社から3年の2004年3月に28歳で人材派遣会社を退社し,福岡市で株式会社ヌーラボを設立した。共同創業者の縣俊貴氏と田端辰輔氏は,いずれもOSSコミュニティの仲間であり,「コミュニティ活動と何ら変わらずやっていこう,もっともっと楽しくやっていこう」「その結果として,お金も稼げたら最高だ」という気持ちでの“カジュアル創業”であった。あらかじめ作りたい製品や大志があったわけではなく,フリーランスの延長線上で「自分の会社で長く,生活していけるだけのお金を稼いでいきたい」と考えていた。

福岡で起業したことにも,「住んでいたから」という以上の積極的理由はなかった。実際には,ヌーラボで注力していたJavaの技術を求めるクライアント企業の多くは東京に立地し,福岡には非常に少なかった。ただ東京の単価で受注ができ,生活コストの安い福岡で開発することは,小規模ながら自社プロダクトの開発への投資を可能にする余裕を生み出すことに貢献した。

2. 自社プロダクト開発とユーザーとの協働

2004年の会社設立後も,コミュニティと同じくビジョンやミッション等を特に定義せず,経営計画も立てなかった。「とにかく楽しく。給与も含め,エンジニアが働きやすい会社にしたい」という大まかなイメージと,「福岡で一番になりたい」という思いはあったが,何で一番なのかを含め,具体的な目標が設定されていたわけではなかった。起業理由の一つは,家族のために収入を増やすことだったため,橋本氏自身も創業から3年ほどはクライアント先に常駐して売上を作り,その後も受託開発がヌーラボの主な収入源であった。

一方で,そうした創業期に共同創業者の縣氏により発案されたのが,現在もヌーラボの中心的プロダクトの一つ,プロジェクト管理ツール「Backlog」であった。当時もプロジェクト管理のイシュートラッカー(課題管理システム)やバグトラッカー(不具合管理システム)等の業務用ツールは存在し,ヌーラボでも受託開発のプロジェクト等で利用していた。しかし,そのインタフェースは必要最低限の機能しかなく,使っていて楽しくなかった。そこでBacklogでは,まず,シンプルで遊び心のあるインタフェースが作られ,当時の業務ツールでほとんど使われていないグリーンを基本配色とし,もう一人の共同創業者田端氏の落書きから生まれたキュートなゴリラのキャラクターをプロダクトのアイコンに採用した。また,ユーザーのアイコン設定をいち早く取り入れる,携帯電話等で使用されるカジュアルな絵文字を盛り込む,本名でなくハンドルネームの設定も可能にするなど,プロダクトのあらゆる側面に「仕事が楽しくなる」仕掛けをちりばめた。

もう一つの大きな特徴は,どこにいてもインターネット環境さえあれば利用できるASP (Application Service Provider)という形式を採用したことだった。2005年当時の業務用ツールは,ソフトウェアをダウンロードして社内サーバーにシステムを構築するインストール形式が大半だったが,そのためにはサーバーの調達,データベース等ミドルウェアのインストール,最後に必要なコラボレーションツールのインストールと非常に手間がかかり,セキュリティ関係の設定も含めて,プロジェクト立ち上げだけでも大仕事だった。これに対してBacklogでは,ノートPCとネットワークさえあれば,どこでもプロジェクトの管理や確認はもちろん,メンバーとのコミュニケーションも可能になる。

2005年6月,「プロジェクトにおける課題やバグ,TODOなどをWeb上で一元管理し,プロジェクト関係者間の情報共有とプロジェクトの進捗管理にかかるコストを引き下げることを目的」とする,Backlogのベータ版が正式にオープンし,無料で公開された。無料のベータ版としてリリースした背景には,熱意ある初期ユーザーにいち早く使ってもらい,彼らの声を聴くことでサービスの完成度を高めたいという期待もあったが,OSSと同じく「とにかく自分たちが良いと感じたものを,似たような環境にいるエンジニアに一人でも多く使ってもらいたい」という思いが強かった。サービス開始後,想定外のアクセス数にサーバーがダウンする事態も起こったが,「色味が明るくてテンションが上がる」「コミュニケーションが気軽に取れるようになった」など期待通りの反響があった。

反面,「なぜ仕事用のツールに絵文字が必要なのか」といった批判の声も少なくはなく,また,クラウドやSaaSとして現在は一般化しているASP形式も当時まだ珍しかったため,自社のプロジェクト情報を他社のサーバーで管理することへの抵抗感も強かった。しかし何よりも,ブログラマである自分たち自身がまさに望んでいた仕事の進め方を,Backlogを利用することで体験できている実感があったため,「仕事を楽しくする」という考えに共感してくれる人を中心に広まることが期待された。

ヌーラボが受託開発を請負っていた企業や,交流のあった福岡のITコミュニティの仲間などが,初期ユーザーとして実際に利用してフィードバックを提供してくれた。そうしたユーザーのリクエストから,現在も人気がある絵文字「ごますり」「ぺこ」「てへ」も生まれた。さらに,Backlog開発時の想定ユーザーはシステム開発のプロジェクトマネージャーやエンジニアであったが,実際にはWebデザイナーのように自分達でサーバーを構築しない人々も活用し,インストール不要で即座にプロジェクトが開始できるという素晴らしい体験が非常に重宝された。ユーザー数が数千に上ったため有償サービス化を決め,2006年7月には,デザインを大幅にリニューアルし,プロジェクト数やユーザー数を大幅に拡大したBacklogの有料版(初期費用3,150円,月額1,890円~)が正式リリースされた。

ただし2006年時点でも,Backlogは縣氏1名のみが開発に携わり,他のメンバーが受託開発によって会社の収益を支える体制だった。その後も,ユーザーと意見交換をする「Backlogユーザーの集い」が2007年に東京で初めて開催されるなど,継続的にユーザーのフィードバックを得ながら,ニーズが高い機能が次々と追加され,さらにユーザー数を拡大した。2016年12月には,Backlogのユーザーインタフェース(UI)の大規模なリニューアルが行われたが,その際にも2か月間のテスト期間に多くのユーザーが新バージョンのベータ版と旧バージョンを使い比べて多くの意見をフィードバックし,それが仕様に反映されるというコラボレーションを通じて,良いプロダクトが実現した。

Backlogに典型的にみられるように,ヌーラボのプロダクトは,ヌーラボ社内の現場から自発的に生みだされ,特別なフィードバックを提供するユーザーとのコラボレーションを通じて成長するパターンを辿る。例えば,Backlogの機能の中でも評価の高い,仲間に感謝の気持ちを伝える「スター機能」も,開発された2009年当時の業務系ツールで一般的ではなかった。この機能は,ヌーラボに入社したばかりのエンジニアで,後にTypetalkも立ち上げる吉澤毅氏により実装された。その後,ユーザーからの「もっと気持ちよく連打したい!」というフィードバックを受け,UIリニューアルの際にさらに使いやすく改良された。

自社プロダクトの第2号である,Web上で作図・共同編集ができるビジュアルコラボレーションツール「Cacoo(カクー)」開発のきっかけも,Backlog上で仕様のやり取りをする際に設計図を編集したい,という現場の声だった。当時,Google Docsのようにオンラインで文書を作成・共有できるツールは一般化していたが,ワイヤーフレームや設計図のような図形・ダイアグラム・デザインの作成は,ローカルのコンピュータ上のソフトウェアで行うしか手段がなかった。そのため,アップロードに手間がかかるだけでなく,編集できるのは作業者のみで気軽なフィードバックができない,という問題があった。こうしたストレスを解消するため,ブラウザ上での美しい図の作成,オンライン文書への図表の簡単な挿入,複数人での同時編集などをできるようにしたのが,Cacooであった。Cacooは構想からわずか6ヶ月後の2009年11月にベータ版がリリースされ,ヌーラボの社内でも,福岡本社と東京・京都の拠点間でのリモート会議のホワイトボード代わりに活用された。

また,「デザインや画像を扱うのに言葉は必要ない」ため,Cacooは,英語版と日本語版が同時公開されたが,橋本氏自身は海外に行った経験がなかった。そこでベータ版リリースと同時期に,共同創業者3人で初めてニューヨークを訪れ,大規模なカンファレンス「WordCamp NY 2009」に出展した。それをきっかけに,海外のオンラインメディアが取り上げ,登録ユーザー数が約8,000名に急増した。ベータ版の期間には約6万2,000名が登録し,うち6割を120カ国以上から構成される海外ユーザーが占めた。ユーザー数の増加に対応し,サーバーをAWS(Amazon Web Service)の仮想サーバーに移し,2010年9月30日には,ベクター形式の出力や共有フォルダの機能を追加した有料プランを用意し,Cacooの正式サービスをリリースした。海外でのユーザー増加を受けて,2011年にシンガポールにアジアの統括会社ヌーラボアジアを,2014年にはニューヨークにNulab, Inc.を設立した。

こうして着実にユーザー数を増やしたヌーラボは,2012年には自社開発プロダクトのみで黒字を達成した。2013年に創業時からの受託開発事業を終了し,自社開発プロダクトへの専念を決定する。2014年2月には,自社開発プロダクト第3号となる,ビジネスチャットツール「Typetalk」もリリースした。Typetalkは,先述のBacklogスター機能を生み出した吉澤氏が開発した。既存のチャットツールでは全社で暗黙知を共有したい時に不便という問題意識と,30歳までに自分のサービスを世に出したいという思いによって,実現されたものだった。

3. スタートアップ都市・福岡とヌーラボの上場

ヌーラボが会社として成長を遂げた時期に,橋本氏はもう一つ別のコミュニティ活動を始動させた。それは,「テクノロジーとクリエイティブの祭典」のコンセプトを掲げるイベント「明星和楽」の立ち上げであった。始まりは,2011年8月にブランコ株式会社の山田泰弘氏,株式会社サイノウの村上純志氏,62Complex株式会社の市江竜太氏と共に集まって,何か大きなことをやりたいという衝動に突き動かされ,米国のSXSW(South By South West)のようなイベントを福岡で構想したことだった。それは3か月後の明星和楽に結実し,2011年11月11~13日の3日間,昼はスタートアップの起業家によるピッチコンテストやテクノロジー,ゲーム,アニメ,そしてアートなどについてのトークショー,夜はクラブイベントが3日間連続で開催され,1,250名を動員した。開催の目的をあえて明確には掲げず,カオスな状況を作ることで新しい文化が生まれることを期待した企画だった。それは実際にITやテクノロジーに興味を持つ数千人の市民を福岡中心部にあふれさせる「一種の社会運動」となり,祭典を機に異業種の交流も活性化し,起業家やクリエーターが集うきっかけになった。

橋本氏が実行委員会を主宰し,ガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社(以下,ガンホー)の創業者で,当時スタートアップ支援を行うMOVIDA JAPAN株式会社の代表であった孫泰蔵氏も明星和楽のアイデアに賛同し,スーパーバイザーを務めた。壇上でプレゼンテーションやパフォーマンスを披露した50名以上の人々の中には,2010年に当時最年少の36歳で福岡市長に就任した,高島宗一郎氏の姿もあった。高島氏の参加は,橋本氏らが複数のルートからアプローチして取り付けたものだった。

2012年9月8~9日に開催された2年目の明星和楽の参加者はさらに3,500人に増えた。その壇上で,高島氏は,スタートアップの創業支援などを行う指針を示した「スタートアップ都市・ふくおか」宣言を発表した。民間イベントで市が公式な会見を開くことは異例のことだったが,これをきっかけに,福岡にスタートアップが活性化していく機運が生み出されていった。2014年5月には,福岡市が国家戦略特区「グローバル創業・雇用創出特区」の認定を受け,同10月にワンストップ開業窓口機能などを担う「スタートアップカフェ」を開設した。2015年12月からは外国人の創業活動を支援する「スタートアップビザ」の受付を開始し,2017年4月には,官民共働型の創業支援施設「Fukuoka Growth Next(フクオカグロースネクスト,FGN)」を開設,さらには福岡市が国に提案して実現した国税の「スタートアップ法人減税」に併せ,福岡市独自の市税の軽減措置として,法人市民税を最大5年間全額免除する制度を導入した。

こうした起業家がチャレンジしやすい環境づくりの結果,2014年以降の福岡市の開業率は,政令指定都市のうちトップを連続で達成し4),特にITなどクリエイティブなスタートアップが盛んな都市として認知されるようになった。福岡市では,2000年の福岡市創業者育成施設の開設,2003年の「福岡市創業者応援団」の組織化など,スタートアップ支援の取り組みがいち早く展開されてきたが,こうした土壌に,明星和楽5)をはじめとする,ボトムアップのコミュニティによる基礎がつくられ,その上に,高島市政によるトップダウンの支援政策が加わったことで,福岡の起業ムーブメントが花開いたと言える。

一方で,こうした橋本氏自らが関与して生み出した環境変化は,ヌーラボへの人々の期待も変化させていった。それまで同社は出資を一切受けず,VCからの幾度の打診も断り続けてきた。その理由の一端は,橋本氏自身が,出資を得て八百屋を起業した経験で「起業したのに雇われている」と反発を感じ,「トップダウンは自主性をつぶす」という確信を持っていたためだといい,2015年のインタビューでも「外部資金を積極的に活用する方法は急成長を求める場合にはいいと思いますが,私たちはゆっくりとやりたいですね。」と発言している。

しかしその後,2017年にヌーラボは,East Venturesを引受先とする1億円の資金調達を実施した。当時,3つの自社プロダクトはいずれも高く評価され,売上高約6億円の8割強を稼ぐBacklogも,2016年のUIの大幅リニューアルを経てユーザー数が前年比40%とさらに成長が加速していた。一方,Cacooは200万人以上の海外ユーザーを抱えるものの無料版の利用者が多かったことから,オランダ・アムステルダムに拠点を新設し,海外マーケティングの強化を図ることや,プロダクト間の連携を強化することなどが理由とされた。

福岡県全体でも,2017年の未上場企業の資金調達額は前年比約3倍の115億円となった。一方で,福岡にはIPOをする会社が少なく,若い起業家を引き付けている現状はあるものの,ロールモデル(手本)の不足を指摘する声も出ていた。スタートアップ都市を象徴するFGNでも,2019年からの第2期スタートに際し,「(ユニコーンの卵となる)企業価値10億円の企業を100社輩出する」ことが先5年の目標に掲げられた。福岡市には,開業率以上の成果が期待されるようになっていた。

こうした中,それまで規模拡大よりも「社員が自由にサービスを開発できる環境」を重視してきた橋本氏だったが,その環境を維持するためにも,ユーザー規模を拡大し,財務面での基盤強化も必要と考え始めた。こうしたタイミングでの外部資金調達によって覚悟が決まり,上場も意識し始めた橋本氏は,福岡での起業家ロールモデルの不在を指摘する声にも,「自分たちがその役割を担う」と明言するようになっていく。

この時期には経営体制にも変化があり,2017年3月に,元AWSジャパンでマーケティングを統括していた小島英揮氏が非業務執行取締役,元株式会社アラタナでCFOを務めた井上宗寛氏が社外監査役として,経営に参画した。他方で,2019年3月には,共同創業者の一人で,プロダクトマネージャーを務めてきた縣氏がヌーラボを離脱した。

2020年,新型コロナウイルスの感染者が全国で拡大し,企業でテレワークが推進されると,在宅勤務中にも仕事のアイデアや進捗状況をメンバーで共有できるTypetalkの利用が急増し,業務を一括管理できるBacklogの導入も,大手企業や官公庁で相次いだ。ヌーラボはこうした動きに対応し,2020年3月に,VCのNOWやXTech Venturesなどが運営する3つのファンドを引受先とした第三者割当増資により約5億円を調達し,大企業の情報システム部門等の管理者が大勢の利用者のIDを一元管理できる「Nulab Pass」を同年8月に発売した。

ただし,こうした企業成長を支えていたのもやはり自発的なコラボレーションであり,2017年には,自然発生的に繋がって活動していたBacklogのユーザーからの要請で,「Backlog User Group(JBUG)」というコミュニティ活動が開始された。ヌーラボもスポンサーとして,正式にイベントを支援している。こうした活動を通じて,ヌーラボのプロダクトの利用も,IT業界を超えて,事務作業やイベント運営のスケジュール管理などを含む,幅広いシーンに拡大し,さらなるユーザー数の増加に寄与した。

ヌーラボは,2023年4月からFGNの最上位スポンサーにも就任した。「橋本氏に憧れて起業した」というスタートアップが出てくるほどに,橋本氏とヌーラボの成功は,福岡発スタートアップの実質的ロールモデルになった。そうした中で同社は,2004年の創業から18年,「スタートアップ都市・ふくおか」宣言から10年を経た2023年6月28日に,東証グロースに上場した。橋本氏は「コミュニティの中で上場する企業が出たことはそれなりに意味のあることだろう。経験や体験を共有することで,次の人たちが効率よく準備できるようになれば」と語っている。

IV. 事例分析からの発見

本研究では,橋本氏がヌーラボを創業する以前からIPOを達成した現在までを分析対象とし,当初起業家自身にとって明確でなかった,少なくとも3つの新たな目的の形成を確認した(表1)。このプロセスを通して,いくつかの一貫した特徴がみられた。

表1

事例分析における3つのフェーズ

第一に,ヌーラボの創業,自社プロダクトによる事業成長,福岡発スタートアップとしてのIPOという3つの目的それぞれは,橋本氏が当初から意図していたわけではなく,その時期にコラポレーションを行うパートナーとの関係性に基づいて,新たに見出され,実現されたことである。例えば,橋本氏はヌーラボの創業以前から独立起業を模索していたものの,2名の共同創業者や独立後も仕事を発注してくれるクライアントの存在があったからこそ,勤め先で働き続けることや,フリーランスとしての独立ではなく,ヌーラボという会社の設立に至ったと考えられる。

第二に,プロセスが進むたびに,パートナーの種類と規模が拡大し,それにより橋本氏やヌーラボが可能な行動もより大きくなっていることである。当初エンジニアが働きやすい会社を目指し設立されたヌーラボだが,結果として自社プロダクトのBacklogが開発されると,そのコンセプトに共感したユーザーもパートナーに加わり,社員だけでなくユーザーとのコラボレーションを通じて,逐次新たな機能・プロダクトの開発が行われた。その中でCacooが生み出され,多くの海外ユーザーを獲得したことがヌーラボの海外展開に繋がった。あるパートナーとのコラボレーションの成果は,さらなるパートナーとの出会いや関係に繋がり,その結果,さらに実現可能な別の目的が形成される,というパターンが繰り返し観察できる。

第三に,これら3つの目的形成のプロセスを通して,顧客(クライアントおよびユーザー)は重要なパートナーであり続けてきたが,フェーズ毎に誰が中心的な顧客で,彼らが購買以外のどのような役割を果たすのかは,異なっていることである。第I期には,橋本氏のエンジニアとしてのスキルを評価したクライアント企業が継続的な開発委託を行い,第II期には,ヌーラボの自社プロダクトに対して,ITコミュニティを中心とする初期ユーザーが製品改良・開発のためのフィードバックを提供し,第III期には,幅広いユーザーから構成されるコミュニティが,プロダクトの使用シーン拡大に貢献した。つまり,新たな顧客と彼らのエンゲージメントの両方が,その都度生み出され続けてきたのである。逆に,もし既存顧客との間に構築された関係維持のみが目指されていたならば,ヌーラボは現在も受託開発中心のビジネス,あるいはエンジニアに特化したプロダクトのみを提供する企業になっていた可能性も考えられる。

第四に,橋本氏は3つの分析フェーズ毎に異なるパートナーと,OSSコミュニティ,ヌーラボ,福岡のスタートアップコミュニティという,3つの独立したコミュニティを立ち上げたが,それらは互いに連動して機能していることである。OSSコミュニティはヌーラボの創業・成長を支えるだけでなく,福岡スタートアップコミュニティの基礎となるムーブメントを生み出した。ヌーラボは,OSSコミュニティの仲間を想定ユーザーとするコラボレーションツールを開発し,福岡スタートアップコミュニティを牽引した。福岡スタートアップコミュニティは,OSSコミュニティに新たな方向性を与え,ヌーラボの成長を加速した。こうした相乗効果は,異なるコミュニティのいずれにも橋本氏がいたからこそ可能であったと考えられる。

さらに,パートナーの関係性を拡張し,コラボレーションを通じて新たな目的を共創し,異なるコミュニティ間の相乗効果が生み出された背景には,プログラミング,音楽,演劇でも共通する,コミュニティやコラボレーションに関する橋本氏の価値観が強く影響していたことも理解できる。橋本氏は,その著書の中で『ビジョナリー・カンパニー2—飛躍の法則』(ジム・コリンズ著,日経BP)の「『何をすべきか』ではなく『誰を選ぶか』からはじめれば,環境の変化に適応しやすくなる」という言葉を引用し,コミュニティでは,あえて最初はビジョンや目標を掲げないことが重要で,そうすれば特定分野のスキルや情報に詳しい「偏愛家」が集まり,次に,みんなの偏愛を集めると「何ができるのか」「何をすべきか」を決めて,目標をつくって進むことを好むと述べる。その理由は,多様で一匹狼的な仲間を集めたチームであれば,これまでと全く異なる予想外のアイデアが生まれるためだという。橋本氏が創ったコミュニティのいずれにも,こうした価値観が徹底されており,どのような成果に至るかは分からなくとも,活動自体に意味を見出して楽しみ,仲間に貢献することに喜びを感じる,多様なパートナーのコラボレーションを通じて,思わぬ目的が生み出されると言える。

こうした経緯を踏まえると,ヌーラボは2022年に上場を果たしたものの,上場企業として期待される更なる成長と企業価値を追求するだけではなく,今後新たに形成されるパートナーとのコラボレーションを通じて,ヌーラボあるいは橋本氏自身が,より大きい新たな目的を形成する可能性も十分に考えられる。

V. ディスカッション

ヌーラボの事例研究を通じて,いくつかの理論的示唆も整理できる。先行研究では,起業家自身やそのチームといった主体があらかじめ明確な目的を持っていることが,起業家としての行動や成果につながることが指摘されてきた。一般に,起業や成長,IPOといった成果は,明確な意図と目的への動機づけによって達成されると考えられがちだが,ヌーラボの事例では,目的ありきで着手されなかったからこそ,橋本氏自身の想定を超えた起業家的成果につながったと言える。逆に,目的を始めから固定し,それを達成する最適な手段を求める発想では,ヌーラボの創業や成長にとって重要な要因であった,新たな顧客との関係構築や多様性を持つ自発的なパートナーとのコラボレーションが阻害され,新たに創発した目的や機会も見落としてしまう恐れがある。事前に想定した目的が達成されたかどうかだけでなく,新たな目的がプロセスの中でどのように創発し,起業家にとっての成果につながるのか,を検討することは,スタートアップのみならず,新たな市場機会の創造に関する研究でも,重要な課題になると考える。

また,ヌーラボが創業し最終的にIPOに至ったプロセスでは,一つのコミュニティを構成する橋本氏とパートナーとの協働だけでなく,異なるコミュニティ間の相互作用が重要な役割を果たしたことが確認された。橋本氏を理解する上で,スタートアップの創業経営者という一面のみに光を当てて分析するならば,OSSコミュニティや福岡のスタートアップエコシステムへの関わりは橋本氏個人のプライベートな社会活動として捨象される可能性もある。しかし,複数のコミュニティに関与している主体の多面性を踏まえた分析を行うからこそ,多くの発見が可能になることは,経営の実践を理解する上で重要な視点であると考える。また,橋本氏とパートナーによるコミュニティの形成のように,主体と環境との相互作用を通じて形成される実践や,さらには複数のコミュニティ間の影響関係のように,異なる実践間の相互作用を分析するには,現実を捨象せず,複雑な因果メカニズムを明らかにすることのできる事例研究の適合性は高いと言える。

一方で,新たな事業機会を生み出す起業家自身も,自らの行動を通じて生み出される複雑な相互作用をあらかじめ予測して最適なアプローチを採用したり,意図的にデザインして望ましい結果を出したりすることは不可能である。ただし,橋本氏の実践からは,コラボレーションを通じて新たなアイデアや目的の創発を促し,自発的な参加者と共にそれを実現していくマネジメントの手がかりを得ることができる。

また,もう一つの実践的示唆として,本研究では,地方におけるスタートアップエコシステムの新たな可能性も確認できた。これまで,スタートアップの成果には,立地が大きな影響を与えることが指摘されてきた。物流コストがほぼかからない1990年代のIT産業でも,東京23区への立地がスタートアップの成長率に寄与することが明らかにされ(Honjo, 2004),インターネット普及後の2007年の調査結果でも,全国のIT企業の43.8%が東京都に立地し,福岡県の企業は3.2%に過ぎないことが示された(Nakazawa & Minetaki, 2009)。スタートアップが東京に集積する主な理由には,人材や顧客,出資者といった資源へのアクセスの容易さが挙げらる。そうした資源を求めて,地方で起業したスタートアップであっても,さらなる成長加速のために本社を東京に移転するケースも見られる。しかし,橋本氏による働きかけを通じて形成された福岡のスタートアップエコシステムが,結果的にヌーラボがIPOに至る強い追い風となったように,地域の行政や大企業に所属する人々をも含む形で,多様で自発的なパートナーとの関係が構築され,コラボレーションを通じて環境自体をより良く作り変えていくことができるのであれば,地方での企業も決して不利にならない可能性がある。

演劇や音楽,OSSコミュニティから,ヌーラボという企業,福岡のスタートアップエコシステムへと,コラボレーションの範囲を拡張してきた橋本氏の実践は,今後もさらに新たな自発的パートナーとの関係を構築しながら拡がりうると考えられる。本研究では,そうしたプロセスの中から繰り返し新たな目的が形成されることを確認したが,起業,成長,IPOという目的形成プロセスにおいて,特にどのようなタイプのパートナーが,どのような役割を果たしたのかは,フェーズ毎の違いも見られる。分析では,3つの時期のそれぞれで,新たな顧客と彼らのエンゲージメントの両方が,その都度生み出され続けてきたことも確認された。マーケティング研究では,とりわけ「サービス・ドミナント・ロジック(S-D logic)」(Vargo & Lusch, 2004)の提唱以来,価値が,常に受益者を含む様々なアクターによる資源統合を通じて共創されるものであることが強調されてきた(Vargo & Lusch, 2008)。ヌーラボの事例では,こうした事実に加えて,顧客関係の強化,新製品・サービスの事業化,市場拡大のそれぞれのフェーズでは,異なるスキルと知識(オペラント・リソース)の交換が求められることも示唆された。こうした問題をさらに理解していくためには,今後の研究において,複数の企業間のケース間分析を通じてフェーズ毎の特徴を横断的に検討することも,意義があると考えている。

謝辞

ご多忙の中インタビュー調査へのご協力をいただいた,株式会社ヌーラボ代表取締役の橋本正徳氏に,この場を借りて御礼申し上げる。

なお,本研究は,日本学術振興会 科学研究費事業 基盤研究C「起業エコシステムにおけるバウンダリー・オブジェクトの生成過程」(21K01668)の助成を受けている。

1)  以降の事例記述のうち,特に注記のないものは,橋本正徳氏へのインタビュー(2021年8月3日オンラインと2023年3月22日にヌーラボ本社にて実施),Hashimoto(2021)の内容,日本経済新聞の記事12本,ウェブメディアのインタビュー記事9本,ヌーラボのブログ記事5本,プレスリリースを含むヌーラボホームページの内容4本,明星和楽の実施報告書等の公刊資料から引用を元に内容を構成した。引用元の資料リストは,紙幅の制約により記載しないが,著者への問い合わせを通じて取得可能である。

2)  ITmediaが運営するエンジニア向け専門サイト「@IT(アットマーク・アイティ)」での連載など。

3)  橋本正徳・吉原日出彦(2004)『Javaプログラマのためのもっとプログラミングが好きになる本』秀和システム,橋本正徳・縣俊貴(2003)『Javaセンスアッププログラミング(Front programmer series)』秀和システム。

5)  明星和楽はその後も,2013年にはロンドン,2014年には台北でも開催され5,000名を集客した。

吉田 満梨(よしだ まり)

神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。博士(商学)。首都大学東京(現・東京都立大学)都市教養学部助教,立命館大学経営学部准教授を経て,現職。主要著作に『マーケティング・リフレーミング』(有斐閣,共編著),『デジタル・ワークシフト』(産学社,共著)など。

二宮 麻里(にのみや まり)

大阪市立大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(商学)。福岡大学商学部専任講師,准教授を経て現職。主要著作に『酒類流通のダイナミズム』(有斐閣)

三井 雄一(みつい ゆういち)

大阪市立大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。博士(商学)。清泉女学院短期大学,九州産業大学を経て現職。

大田 康博(おおた やすひろ)

大阪市立大学大学院経営学研究科後期博士課程単位取得退学。経営学博士。徳山大学(2022年度より周南公立大学)経済学部教授を経て,現職。著書に『繊維産業の盛衰と産地中小企業』(日本経済評論社)

References
 
© 2023 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
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