マーケティングジャーナル
Online ISSN : 2188-1669
Print ISSN : 0389-7265
書評
川北眞紀子・薗部靖史(2022).『アートプレイスとパブリック・リレーションズ ― 芸術支援から何を得るのか』有斐閣
大西 浩志
著者情報
ジャーナル オープンアクセス HTML

2023 年 43 巻 2 号 p. 120-122

詳細

大原美術館やサントリーホールなど企業の芸術支援は,どのような目的で行われ,どのような効果を企業や社会にもたらすのか。筆者たちは,パブリック・リレーションズの観点から,企業とステークホルダーとの関係構築というコミュニケーション効果に着目し,「アートプレイス」という場を中心にしたコミュニケーション・フレームワークを提示した。提案された理論と多様な事例研究は,アート・マーケティング領域における研究者だけでなく実務家にとっても,アートの社会やコミュニティに与える貢献効果を考えるうえで参考となる。

I. 本書の問題意識

本書の序章にて述べられている通り,近年のVUCAの環境下にある企業や組織は「手本のない世界」に直面し,「(広義のパブリック・リレーションズの意味で)これまでのコミュニケーションが効かない」状況で,ステークホルダーからの「ソーシャルグッドへの要求」の高まりによって,SDGsをはじめとした社会貢献の取り組みへの対応が必要となってきている。そのような状況において,「そもそも何が問題なのか」という企業のパーパスやミッションとなる課題を発見し設定するアート思考(Akimoto, 2019)やアーティストとのワークショップなどでの相互作用から組織学習やイノベーションを促進するアーティスティック・インターベンション研究(例えば,Journal of Business Research, 2018の特集を参照)などが注目されている。このようなアートとビジネスとの関係について本書では,これまで企業が行ってきた物理的な空間で実施される芸術支援(例えば,企業が運営する美術館やコンサートホール,および,企業が協賛する芸術祭やアート・コミュニティなど)を対象として,「アートが存在し人々がそれに触れることができる場」をアートプレイスというメディアとして捉え直し,「アートプレイスにさまざまな人が参加し交流する」ことで「企業が人々と接触するための有力なメディア」となり,企業とステークホルダーをつなぎ「長期的に良い関係を築く」というパブリック・リレーションズにおけるコミュニケーション効果があることを,事例研究をもとに理論化することを問題意識としている。

II. 本書の特徴

本書の特徴は,第一に,これまでアート・マーケティング研究領域で課題となってきたアートの評価について,著者たちが専門分野とするパブリック・リレーションズ(広報)のフレームワークを適用した点である。まず,アートプレイスが提供・設定される場が運営企業の内部なのか外部なのかという軸を適用してPESOモデルに従ってそれぞれ「外部化(ペイド)」と「内部化(オウンド)」に分け,次に,アートプレイスでの相互作用の深さの高低を軸として「交流型」と「鑑賞型」に分け,最終的に4つのタイプに分類した(下記の図1)。本書の第一部(1・2章)と終章では,これらの4タイプのアートプレイスにおいて,どのような特性のアート・コンテンツが適しているのか,またステークホルダーとの関係性の特徴(範囲,深さ,期間)やもたらされる内部効果と外部効果について,全体のコミュニケーション・フレームワークの提示と効果がまとめられており,研究的な視点だけではなく実務においても参考となり有用であると考える。

図1

アートプレイスの4分類

出典:川北・薗部,2022,p. 31,表2-1より

第二の特徴は,実際のアートプレイスについて8つの取り組みの事例が掲載されており,それらを提供する企業や組織の担当者に対して実施された詳細なデプスインタビューを基に,それぞれのケース研究から多様な情報を読み取ることができる点である。本書の第2部(3~7章)でオウンド・アートプレイスの5事例と第3部(8~10章)でペイド・アートプレイスの3事例について,上記のコミュニケーション・フレームワークに基づいて分かりやすく事例が整理されている。8つのアートプレイスの事例には,資生堂やサントリー,大原美術館など国内企業による芸術支援活動の黎明期から長期的な取り組みを行っている事例もあれば,2016年にメセナアワード大賞を受賞した日本毛織株式会社(ニッケ)の「工房からの風」や株式会社ロフトワークが提供するクリエーターと企業の交流プラットフォーム事業など比較的新しく地域に根差した事例もあり,多様な事例が紹介されている。さらに,それぞれの企業・組織がなぜ当該アートプレイスに取り組むようになったかという当初の機縁や目的などの背景情報から説き明かし,場合によっては長期間の活動になるに従って,目的が変容しアートプレイス・タイプが鑑賞型から交流型に移行した経緯なども詳細に記述されている。このような,内部情報に基づく詳細な経緯などの知識は,特に,これからアートプレイスの活用を考えている企業の実務家やアートプレイスを運営している組織の担当者にとって参考となり有用であると思われる。また,各事例において,どのようなステークホルダーがアートプレイスに参加し,内部と外部のステークホルダーの間でどのようなコミュニケーションが行われたのか,アートプレイスを介した参加とコミュニケーションの流れとして図示されており,時に複雑なステークホルダー間の関係性となっている事例を理解するうえで大きな助けとなっている。

第三に,本書には本編の後に補論が加えられており,パブリック・リレーションズ研究の理論だけではなく,メディア論や文化経済学,アート・マネジメント,経営学など関連領域の既存研究を学際的に概観できるようになっている。これらの関連分野の既存研究の情報は,これからアート・マーケティングに関連する研究を志向する研究者にとても参考となると思われる。

III. アート・マーケティングの今後の課題

評者も上記のアート思考やアーティスティック・インターベンション研究に興味を持ち研究会を運営している立場として,ここでは本書の課題というよりもマーケティング領域全般について,現状およびこれからのアート・マーケティングの課題を述べたい。

第一に,ビジネスやマーケティングの領域におけるアートや芸術の研究や研究者自体がまだまだ少ないことである(本書でもアートのスポンサーシップに関する研究論文はスポーツ領域の5分の1以下だと指摘されている)。本誌の168号(2023年Vol. 42, No. 4)で「文化とマーケティング」を特集するなど意欲的な取り組みも行われているが,マーケティングの領域の海外ジャーナルを含めても研究論文は多くない。さらに,マーケティング実務においてもアート思考が注目され,様々なアート思考ワークショップが実施されつつあるものの,それらを実践するファシリテーターの人材不足が課題となっている。ファシリテーターには,アートに関する知識に加えてビジネス実務に関する知識もある程度は必要とされ,さらに,アートとビジネスとの間を橋渡しできるコミュニケーション能力も求められる。例えば,武蔵野美術大学は2019年にクリエイティブイノベーション学科を新設しており,今後はアートとビジネスの双方で活躍する人材が増えることを期待したい。

第二に,アートの価値について本書の補論1にて文化経済学やアート・マネジメント領域での見解がまとめられているものの,マーケティング領域もしくはビジネス実務の観点からアートの効果について,全般的に取り組まれている研究がまだまだ不十分である。本書は,パブリック・リレーションズの観点からステークホルダーとの関係性の構築と維持を目的に設定したうえで,オウンド・アートプレイスは長期的な深い関係性の構築に寄与し,ペイド・アートプレイスはクリエイティブ人材との接点を短期的ながら低コストで実現するといった効果を導いており,マーケティング領域におけるアート効果の解明へ繋がる成果となっている。同時に,筆者たちは芸術支援活動のスポンサーシップの効果について定量的な研究も行っており(Sonobe & Kawakita, 2020),ビジネスの実務においてアートの効果を位置づけるためのデータに基づいた測定指標の開発にも貢献している。

最後に,デジタル技術の進展にともなうアート体験の進化への対応があげられる。本書は物理的な空間でのアート体験を対象としているが,物理的な場を伴わないオンラインやメタバース空間におけるヴァーチャルなアート体験が現実のものとなっている。特に,新型コロナ感染症への対策から,多くの美術館や劇場などがオンライン配信等を行うようになり,鑑賞者側にもヴァーチャルなアート体験に対する一定のニーズが確認されている。こういったリアルな交流をともなわない場面においても,本書で示された効果がみられるのか,また,リアルとヴァーチャルな場での異同についても,さらなる研究が期待される。

「アートを支援し,アートに支援される」と筆者らが述べている通り,企業側がビジネスの論理で一方的にアートを支援しているのではなく,アートやアーティストからの多様で深い恩恵を企業や社会の側が受けているという認識を持つことが重要である。本書で提示されたフレームワークは,アート・マーケティング研究における社会やコミュニティへの貢献効果を議論する嚆矢となるであろう。

References
 
© 2023 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
feedback
Top