マーケティングジャーナル
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特集論文 / 招待査読論文
起業家的シンボリック・マネジメント
― ベンチャーの事業成長を起動する「シンボル」の影響力 ―
軸屋 泰隆山田 仁一郎
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ジャーナル オープンアクセス HTML

2024 年 43 巻 4 号 p. 6-17

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Abstract

本研究は,ベンチャーの事業成長可能性を高める「起業家的シンボリック・マネジメント」の重要性とその影響力を示唆する概念研究である。「シンボリック・マネジメント」とは,複雑な市場環境においてベンチャーが取り組む新しい事業の識別可能性を高め,その意味を効果的に伝える手段である。また,「シンボリック・マネジメント」とは,ステークホルダーの想像力に訴えながら,「シンボル」それ自身の意味の連想をステークホルダーに誘発させる手段でもある。本研究は,ベンチャーは,「シンボリック・マネジメント」を適切に実践することで,熾烈な市場環境を生き抜き,自身の存続可能性を引き上げることが可能となることを概念的に示唆する。

Translated Abstract

This is a conceptual study that suggests the importance of “entrepreneurial symbolic management” in enhancing the business growth potential of ventures. Symbolic management is a means of effectively communicating the significance of a venture’s new business in a complex market environment by increasing its identifiability, while inducing stakeholders to associate symbols with their own meanings while appealing to their imagination. To date, studies have pointed out the importance of symbolic management, but there is little evidence that it is an effective strategy for venture business growth. In addition, the concept of symbolic management is complicated by similar arguments that exist in proximity, such as the identity argument and the brand argument, and researchers have not reached a consensus on a unified view of the concept. This study conceptually suggests that ventures can survive the fierce market environment and raise their own viability by appropriately practicing symbolic management.

I. はじめに

本研究は,ベンチャーの事業成長の可能性を高める「起業家的シンボリック・マネジメント」とはどのようなものかを明らかにすることを研究目的とする。

ベンチャーが取り組む事業が社会からの支持を獲得し,それを維持するために,起業家は効果的な「シンボリック・マネジメント」を用いなければならない(Clarke, 2011; Lamertz & Heugens, 2009; Schnackenberg, Bundy, Coen, & Westphal, 2019など)。「シンボリック・マネジメント」とは,複雑な市場環境においてベンチャーが取り組む新しい事業の識別可能性を高め,その意味を効果的に伝える手段である。例えば,ベンチャーは,ベンチャーが取り組む新しい事業についてビジュアルアイデンティティやタグラインを構築し,それらをベンチャーが取り組む事業のシンボルとする。そして,ベンチャーは「シンボリック・マネジメント」を行うことによって,参入した市場における識別可能性を高め,自らが創造した新しい事業に対するステークホルダーにとっての意味を伝え,ステークホルダーから事業への解釈を引き出しながら,市場機会を得て事業成長を加速させるのである。

これまでの研究では,「シンボリック・マネジメント」の重要性に関する指摘がなされつつも(Clarke, 2011; Lamertz & Heugens, 2009など),「シンボリック・マネジメント」の概念に対して,ベンチャーの事業成長戦略上の議論はほとんど見られなかった。また,「シンボリック・マネジメント」の概念に対して,アイデンティティの議論やブランドの議論など,近接する類似の議論が複雑に存在しており,研究者の間で統一的な見解には達していない。

本研究は,ベンチャーの事業成長における「シンボリック・マネジメント」の議論に関して「シンボリック相互作用論」および「ドラマトゥルギー」を理論的基盤とした文献レビューを行い研究の潮流を明らかにする。その上で,ベンチャーにとっての「シンボリック・マネジメント」の概念整理を行い,ベンチャーは「シンボリック・マネジメント」を適切に実践することで,事業成長を成し遂げ,自身の存続可能性を引き上げることが可能となることを概念的に示す。なお,本研究は概念研究論文(conceptual paper)であり,文献レビューと分析によって研究目的を達成することを企図している。また,本研究は「ベンチャーが取り組む新しい事業」を分析単位として研究を進める。

次の節では「シンボリック・マネジメント」の過去の研究潮流を明らかにするために,「シンボリック・マネジメント」の理論的基盤である「シンボリック相互作用論」のルーツから遡って考察を進める。

II. 研究の潮流

1. シンボリック相互作用論

「シンボリック相互作用論」は社会的な環境文脈において,主体がどのように導かれ,意味を創造していくのかを理解する上で重要な概念である。「シンボリック相互作用論」はDewey,Cooley,Meadといったプラグマティックな哲学者が議論し始め,さらに,Blumer,Goffman,Denzinといった社会学者が,その理論を発展させた。これらの一連の研究の取り組みが「シンボリック相互作用論」の議論のルーツだとされている。

Mead(1934)は,個人の個々の行動の意味から捉えて,社会的環境の議論に還元させる分析方法を示唆した。たとえば,Mead(1934)は,「個人の心は,意味を共有する他の心との関係においてのみ存在することができる」と述べている。Mead(1934)の理論は,基本的には,多くの個人同士の相互作用に関わる「社会的プロセス」の立場からの「行為の哲学」であり,環境との相互作用の中で経験する「個人の立場」に立った研究哲学であると言える。Meadの研究は,自己の発達,役割分担,重要なシンボルの概念などを含み,意味のある社会的相互作用の中で自己と社会的行動,社会的現実のダイナミックで発展的な性質を理解することの重要性を強調し,この視点の基礎を築いた。

「シンボリック相互作用論」を発展させた社会学者の中でもBlumerは,理論的視点としての「シンボリック相互作用論」という概念を最初に命名し,その理論構造を初めて体系化した人物である。Blumer(1986)が指摘した「シンボリック相互作用論」の中心的な特徴は,「現実世界は継続的であり,日常的な社会的相互作用から展開されているとして規定される」ということである。その規定によって私たちは現実の世界を,「連続的で創発的な外観」として見ることができる(Blumer, 1986)。

「シンボリック相互作用論」はアイデンティティの形成,社会化の過程,言語とコミュニケーション等のさまざまな社会的文脈の中でどのように「意味」が創造され,交換されるのかに関する研究に応用されてきた。Blumerによれば,「シンボリック相互作用論」の議論で語られる「意味」とは社会的な相互作用の中で構築され,交換される。一方で,社会的な相互作用の中で実践される「意味の構築」はセンスメイキング(Weick, 1995)のプロセスとして見ることもできる。行動と思考の相互作用は意味形成のための必要条件であり,「意味」は,行動と意味形成のための思考との間の連続的な相互作用から展開されるのである。

2. ベンチャー研究と「シンボリック・マネジメント」

ベンチャーの研究領域において,シンボリック相互作用論の議論を持ち込んだ鏑矢的な研究は,Sørensen, Lassen, and Hinson(2007)の研究成果である。Sørensen et al.(2007)は,当時のベンチャーの研究は,実証主義のパラダイムに従った機能主義的な世界観に支配されていると批判し,より,オープンでダイナミックで相互作用的な説明へと進化する必要があると主張した。

この主張が批判したのは,以前のベンチャー研究が,過度な合理性,構造性,直線性の議論に陥っているという点にある。Sørensen et al.(2007)は,当時の研究哲学における機能主義的な世界観による弊害として,「予測することや一般化できるルールや法則を解明することに終始しており,その結果として,起業プロセスを生み出す日常的なダイナミクスを,一元的で単純化した構造に凍結している傾向がある」と述べている。Sørensen et al.(2007)は,これらのギャップを埋める分析概念として「シンボリック相互作用論」の議論を持ち込んだのである。Sørensen et al.(2007)は,シンボリック相互作用論の議論を行う上での利点として,決定論的な議論ではなく,意味パターンの議論ができる点にあると述べている。さらに,Sørensen et al.(2007)は「予測可能な合理的論理の法則」ではなく「柔軟性のある多次元的相互作用」を語ることができるという意味での「言語の開発」を可能にできる点を強調した。

ベンチャー研究における「シンボリック・マネジメント」の研究はこれまで,そのマルチモーダル性が指摘されてきた。例えばClarke(2011)の研究は,ベンチャーが「視覚的なシンボル」を使用することで,ベンチャーの事業成長に直接的な効果を発揮することを明らかにしている。Clarke(2011)は,この研究で,ベンチャーが視覚的なシンボルを使う意味を3つの要素に分けて説明を試みている。それは,「利害関係者に適切な場面を提示すること」,「専門家としてのアイデンティティを作り出すこと」,「オーディエンスの感情を管理すること」である。また,Clarke(2011)は,ベンチャーが使う視覚的なシンボルは,「オフィスなどの場」,「名刺などの小道具」,「ユニフォームなどの服装」とそれらの「表現力」に分解して説明し,シリアルアントレプレナーなどの経験豊富な起業家ほど,ステークホルダーとの相互作用の中で,より幅広い視覚的シンボルを効果的に使っていることを明らかにした。

Barberá-Tomás, Castelló, De Bakker, and Zietsma(2019)は,社会起業家が社会に対して,プラスチック汚染は自分たちが当事者として責任があるということを納得させるだけでなく,さらにプラスティックの利用を拒否するように説得する方法について,「感情-シンボリック・ワーク」という概念を用いて説明を試みている。Barberá-Tomás et al.(2019)は,社会起業家たちが,アホウドリの赤ちゃんの胃袋の中に大量に蓄積されたプラスチックの写真や映像のような視覚的な「シンボル」を使って,オーディエンスの感情に対して強い情感を呼び起こしていると述べている。そして,社会起業家は呼び起こした感情エネルギーを,彼らの大義である社会変革へのエネルギーにしていると述べている。

Clarke(2011)の研究成果も,Barberá-Tomás et al.(2019)の研究成果も,視覚的な「シンボル」を使うことで,情報の発信者は,オーディエンスに対して「見たり,触れたり,影響を与えたり,気遣ったりする人間の能力」に訴えかけていると述べている。したがって,「シンボル」の研究者たちは,このような「シンボル」の感情エネルギーを引き起こす効果や,それらの効果を使って,起業家的な目的遂行能力を上げる方法に注目するよう呼びかけている。

これまで見てきたように,いくつかの「シンボリック・マネジメント」とベンチャーの事業成長に関する研究成果は,ベンチャーが「シンボリック・マネジメント」を行うことで,自らの成長可能性を引き上げることができることを理論的に説明している。しかし,ここで,ではどのようにしたら効果的な「シンボリック・マネジメント」を行うことができるのかという疑問が湧く。次の節では,ベンチャーがどのようにしたら「シンボリック・マネジメント」を効果的に行うことができるかについて過去の研究を参照しながら,特に「シンボリック相互作用論」を起源としつつも,その分析方法論的な役割として理論を発展させた「ドラマツゥルギー」という概念についてのベンチャー研究における意義について述べる。

3. シンボル同士のインタラクションとしてのドラマ

Goffmanは「ドラマツゥルギー」の概念を使って,アクター同士の社会的相互作用について演劇をメタファーとして理解する方法を提案した。ベンチャー研究における「シンボリック・マネジメント」の研究のいくつかは,この「ドラマトゥルギー」の概念を引用している(Clarke, 2011; Lamertz & Heugens, 2009; Lowe, Hwang, & Moore, 2011など)。

例えば,Lowe et al.(2011)は,「シンボリック・マネジメント」の議論でよく指摘される「個人の柔軟なアイデンティティと自己呈示という人類学的概念は,その大部分がゴフマンによって最初に概説されたものである」と指摘した。Goffmanは個人と社会の相互作用について「個人は自己呈示の演劇的プロセスに従事しており,それによって,ある集団との結びつきによって自分自身を定義することができるが,その内部では多くの集団や制度に対する忠誠心が絶えず交錯している」と述べている。社会的環境に存在しているアクターは,それぞれの場面によって,自分の目的に最も適していると感じる優先順位に基づいて,帰属関係が個別に成立するという主張である。Goffmanのアプローチに従えば,個人は単一の文化的な立場に属しているわけではなく,自らの自己呈示を通じて複数の文化に同時に帰属していると言える。

さらに,Goffman(1956)は,「ドラマトゥルギー」の「パフォーマティヴィティ」と言う概念について論じている。この「ドラマトゥルギー」における「パフォーマティヴィティ」の概念は重要である。なぜなら,ドラマの舞台に登場するアクター達は「パフォーマティヴィティ」という共通の目標に向かって演じるからである。Goffman(1956)は,この「パフォーマティヴィティ」によって,アクターはしばしば台本に書かれた期待に応えなければならないというアクターの「本人性の排除」の概念を強調している。いくつかの先行研究は,このGoffmanが述べた「本人性の排除」について実証的に分析している。

例えば,Poulter and Land(2008)は,世界的に著名なコンサルティングファームにおける新人研修を通じて,新人コンサルタントが,組織上の直接的な支配関係とは無関係に機能するように設計された当社の「行動基準」と呼ばれるドラマトゥルギーとしての文化的統制にいかに影響を受けているかについて実証している。Goffmanが述べた「本人性の排除」に対して,Höpfl(2002)は,「舞台に立ったアクターは,舞台のパフォーマティビティを上げるために,舞台裏(Back Stage)の自分を排除し,表舞台(Front Stage)における自らの役を演じることで,よいショーを行うための作為を成し遂げる」と指摘している。

また,Goffman(1956)は,「相互作用の間,個人はある種の属性,能力,情報を持っているとみなされ,それらが組み合わさることで,その場にふさわしい統一された自己が形成される」と述べている。また,彼は「舞台上の自分の行動の流れの表現的含意を通して,また単に参加すること自体を通して,本人は意識していないかもしれないし,他者も自分の行動をそう解釈していることに気づいていないかもしれないが,この受容可能な自己を効果的に相互作用の中に投影している」と述べている。つまり,アクターは,「舞台裏(Back Stage)」から「表舞台(Front Stage)」に立つことで,本人が意識しようがしまいが「その場にふさわしい自己」が形成されつつも,「自己はその事実を受容している」と指摘しているのである。

Höpfl(2002)は研究の中で,「ドラマトゥルギー」における「道具」の概念について実証的に分析している。アクターのパフォーマンスには象徴的な「道具」の操作が含まれ,それは「舞台裏(Back Stage)」と「表舞台(Front Stage)」とで異なって表現されると述べている。例えば,Höpfl(2002)は,飛行機の上での客室乗務員の接客態度や服装について例に挙げ,「客室乗務員の本質的に過酷な職務環境は,化粧や衣装などの舞台道具によって表舞台(Front Stage)では魅力的に昇華される」と述べている。したがって,ドラマトゥルギーにおける「台本化された役割」や「道具」とは,それらを通じてアクターを舞台裏(Back Stage)から,表舞台(Front Stage)へ引き上げるための手段なのである。無秩序な存在論的プロセスを秩序づけ,「登場人物」としてのアクターを創り出し,「台本化された役割」の規定を通じて,権力的不平等を実現する場としての組織を生み出し,維持するのである(Höpfl, 2002)。

Lowe et al.(2011)は,また,アクター同士の相互作用を観察するには,「出来事の構造」に焦点を当てる必要があると述べている。アクター同士の相互作用が,即興的なアクターたちによるセンスメイキングの前提条件となる。つまり,アクターたちは「出来事の連続性」を理解するのである。Weick(1995)は,「プロセスの連続的な動きに関する対話がなければ,連動した行動のセンスメイキングはできない」と述べている。つまり,アクター同士のセンスメイキングは,アクターが演じている舞台の上で「感覚的」とされるものの実行を促す台本や対話を用いて,一連の出来事に対して反復的に行われているである。

Czarniawska(2006)は,WeickのセンスメイキングのアプローチにGoffmanが与えた影響について「Goffmanの主な貢献は,映画から得た洞察によってフレームという概念をダイナミックなものにしたことである」と述べている。そして,その結果,「フレーミング」のプロセスは,「経験を組織化する人間の相互作用の力学」に関与することになる。GoffmanとWeickの見解では,相互作用とはアクター自身ではなくアクター間の行為で起こるものであり,「芝居を作り,行為者にアイデンティティを与えるのは行為者間の行為のつながりである」と述べている。Goffmanの理論に従えば,アクターはアイデンティティ構築の継続的なプロセスの中にあり,それは他者との相対的な関係を定義することと同義である。

Lowe et al.(2011)は,英国に住む韓国人起業家に対する質的な実証分析から,GoffmanとWeickが指摘する,アイデンティティ構築の継続的なプロセスの概念を使って,英国の韓国人起業家のカルチャーショックとカルチャー適合のプロセスを説明している。また,Lamertz and Heugens(2009)は,カナダのビール事業者の創業初期から事業成長へ至る過程において,ビールメーカーが「シンボリック・マネジメント」による継続的な自己呈示によって,外部のメディア事業者がどのように,ビール事業者の「シンボル」をメディア上で再構築していったのかについて,Goffmanの「ドラマトゥルギー」を使った分析的アプローチを使って制度論的立場から明らかにしている。

つまり,Goffmanの「ドラマトゥルギー」を使った社会的相互作用の分析アプローチは,ベンチャーの活動プロセスを理解し説明しようとするものなのである。Weick(1995)は,「今日の世界はあまりに豊かで,あまりに断片的で,あまりに動きが速いため,ひとつの現場を長時間訪れただけでは把握しきれない」と指摘し,Goffmanの「ドラマトゥルギー」を使った分析の方法論に賛同している。また,Lowe et al.(2011)もGoffmanの「ドラマトゥルギー」を使った社会的相互作用のアプローチについて「この種のブリコラージュは,おそらく今日のベンチャーの活動を描写するのに最もふさわしい手法である」と述べている。

4. 「フレーミング」と「キュー」と「筋書き(プロット)」

ベンチャーの活動について,「ドラマトゥルギー」を使った理論上の分析の方法を理解するためには,GoffmanとWeickが指摘した「フレーミング」と「キュー」という二つの概念を理解しなければならない。「フレーム」は意味の蓄積によって構成された抽象的な概念であり,「キュー」は意味を実現するための具体的な言葉であり行為である。Czarniawska(2006)は,GoffmanとWeickが指摘した「フレーミング」と「キュー」という二つの概念について,「フレーム」は,過去の瞬間の連続性の中で社会的に構成されており,「キュー」は,現在の瞬間に経験的に構成されると述べている。

もしアクターがこの2つの瞬間の間に関係を構築することができれば,意味が生まれる。つまり,センスメイキングの内容は,「過去の経験」を要約するフレームやカテゴリー,「現在の経験」を具体的に把握する手がかりやラベル,そしてこれら2つの経験を結びつける方法の中に見出される。この2つの経験を結びつける方法が「キュー」なのである。具体的な出来事のきっかけとなる「キュー」は,行動の中で意味をなすために使用される。

「ドラマトゥルギー」の概念を使った議論において,「フレーム」と「キュー」以外に必要な議論は,「筋書き」の議論である。「フレーム」は,アクターの演技の基礎となり,アクターは「フレーム」の中で「キュー」を拾い,与えられた「フレーム」に適した言葉や行為でそれらを演技する。しかし,「キュー」となる出来事同士をどのように連動したら,構造として結びつけることができるのかという疑問が湧く。また,どのような論理が「台本(プロット)」として存在し,そのようなつながりを構築するために使われているのかという疑問もある。こうした疑問に対して,Weick(1995)は,アクター間のセンスメイキングのプロセスとして,実践を観察することで答えが出せるだろうと示唆している。

ベンチャー研究において,「ドラマトゥルギー」の概念における,「フレーム」,「キュー」,「台本(プロット)」のアナロジーは示唆に富む。なぜなら,創業初期の資源が最も脆弱なベンチャーにとって,参入する市場の不確実性が高い場合にステークホルダーからの資源を獲得するために「フレーミング」を行い,「フレーミング」の効果を発生させるために,適切なタイミングで「キュー」を行う。また,ベンチャーとステークホルダーの間には,行為の連続性の中で意味が形成され,予定調和的に,それぞれの役割を全うさせる「見えざる台本(プロット)」の存在が形而上的に形成されていく可能性も考えられる。Weickは,この「見えざる台本(プロット)」について,センスメイキングを行うことで,実践の中から示唆を見出す必要性を説いたのである。

以上が,ベンチャー研究における「シンボリック相互作用論」,「ドラマトゥルギー」の概念を使った研究潮流である。これまで見てきたように,「シンボリック相互作用論」,また「ドラマトゥルギー」の概念は,ベンチャーの社会的な行動を理解するための重要なアナロジーとして議論が続けられている。次の節では,「シンボリック相互作用論」,または「ドラマトゥルギー」の視点をさらに深く理解するために,「シンボリック相互作用論」で議論される「シンボル」の概念について,これまでの研究で述べられている論点を整理する。

5. 何が「シンボル」で,何が「シンボル」でないか

1980年代,組織研究において「シンボル」と「シンボリック・プロセス」に関する研究が実践されていた。これらの研究は,記号論などの参照すべき研究領域や,「シンボリック相互作用論」などの理論的観点からの示唆を活用し,「シンボル」と「実体」とを区別している(Dandridge, Mitroff & Joyce, 1980など)。また,これらの研究では,様々な文脈や条件における組織における「シンボリック・マネジメント」について事例を提示することで,「シンボルの意味」や「境界条件」に関する研究を行ってきた。以下では,「シンボル」と実体の対応関係,「シンボル」の定義,組織が管理しようとする「シンボル」の側面について検討することで,「シンボル」の意味に関するこれまでの議論を整理する。

何が「シンボル」であるか,何が「シンボル」でないかを区別するには,「シンボル」と実体の違いを認識することが役に立つ。注目すべき論点は,「シンボルは心を真理に導くが,それ自体は真理ではない」ということである。例えば,Schnackenberg et al.(2019)は,「シンボルは真理の直接的な経験ではなく,真理の表象である」と述べている。Schnackenberg et al.(2019)は,取締役会を例に挙げ「取締役会は行動と結果を伴う特定の組織的文脈の中で起こる限りにおいて,実質的なものである。しかし,取締役会には,象徴的な意味合いとしても解釈が可能である」と述べている。例えば,Schnackenberg et al.(2019)は,「取締役会」の代替的な解釈について,取締役会という存在が,場合によっては緩やかに生成され,永続している存在として認識される可能性がある点を指摘している。こうして,シンボル化された「取締役会」は,社会的に同一視され,「真実の表象」へと変容していく。Schnackenberg et al.(2019)は,「真実の表象」が極めて重要な,もしくは反対に極めて無意味なことを表すようになる可能性を指摘したのである。こうした「真実の表象」は,客観的に経験されるのではなく主観的に創造されるという点で,実体とは異なっている存在なのである1)

6. ブランドは「シンボル」か「シンボル」でないか

ベンチャーの「シンボル」という概念について考察するにあたり,ブランド論の中で「シンボル」がどのように位置付けられるのかについての議論が必要となる。Aaker(1991)は,ブランド・エクイティについて述べた著書の中で,名前や「シンボル」は,ともにブランド・エクイティを構成する重要な要素であり,ブランドへの認知を獲得する助けになると述べている。また,Keller(2007)は,ブランド・マネジメントについて述べた著書の中で,「シンボル」とはブランドの中心的な要素であり,認知の強化に重要な役割を果たすと述べている。つまり,Aaker(1991)も,Keller(2007)も「シンボル」という概念について,ブランドの概念の一部であり,顧客からのブランドに対する認知に影響を与えると指摘している。

さらに,Aaker(1991)は,「シンボル」の役割について,それ自体が「認知」,「連想」,「好感または感情」を創造し,顧客のブランドへのロイヤリティと,知覚品質に影響を与えるとも指摘している。Aaker(1991)に従えば,例えば,ディズニーランドのシンデレラ城やミッキーマウスは,ディズニーランドにとっての「シンボル」として機能しており,顧客の認知に影響を与えている。同様に,コカコーラの缶やビンに印刷された赤と白のブランドロゴやダイナミックな曲線は,コカコーラの「シンボル」を表し,人々の認知に影響を与えている。

特にAaker(1991)が指摘していることとして,顧客にとって,「シンボル」は言葉(名前)よりもビジュアルなイメージ(シンボル)を学習する方が容易だとし,視覚的な「シンボル」の強みを強調している。この主張は,視覚的な「シンボル」を使うことで,ベンチャーは,ステークホルダーのようなオーディエンスに対して「見たり,触れたり,影響を与えたり,気遣ったりする人間の能力」に訴えかけているとして視覚的な「シンボル」の強みを指摘したClarke(2011)や,Barberá-Tomás et al.(2019)らの研究の主張と一致している。

一方で,ブランドの研究者たちは,これまでブランドの存在様態を議論してきた。例えば,Tanaka(2020)は,ブランドの3つの存在様態として,「認知システム」,「法的存在」,「社会的存在」の区分を挙げている。特に「認知システム」については,さらに「認知的成分」,「感情的成分」,「想像的成分」の3つの成分に分け,その中でもブランドにとって最も大事な成分として「想像的成分」を挙げている。Tanaka(2020)は,哲学,心理学,精神医学を引用し,なぜブランドにとって「想像的成分」が最も大事な要素なのかを説明している。

例えば,Tanaka(2020)は,Aaker(1991)が指摘したブランドにとっての連想の重要性を引き合いに出し,ブランドの連想を形作るためには,想像力が重要になると指摘している。ディズニーランドの中で踊っているミッキーマウスは,実際にはぬいぐるみの中に人が入っているが2)顧客は想像力によって,ミッキーマウスがあたかも生きているかのように見ているし,シンデレラ城はドイツやフランスのお城をモチーフにしているが,千葉県の浦安市に同様のお城が立っていることで,顧客はまるでそこにおとぎの国のお城があると想像する。つまり,人々は想像力によってディズニーランドのミッキーマウスや,シンデレラ城のような「現実には存在していないもの」に対して「夢」や「ファンタジー」を連想するのである。

Tanaka(2020)は,精神医学者のArieti(1976)を引用し,人々が想像力において最も重要な概念が「シンボル」であると述べている。想像力における「シンボル」の機能について,人々の意味を再生する精神の能力に訴える(Arieti, 1976)と述べ,「シンボル」が果たす役割について言及している。また,発達心理学者のUchida(1999)も,Arieti(1976)を引用し,想像力における印象の強い断片としての「シンボル」の機能をあげ,想像力は「シンボル」を統合し,因果推論によってさらに新しい表象を再生すると述べ,「これが想像の過程であり,最終的に知識の創造に結びつく」と指摘している。

7. 「シンボル」と実体とのデカップリング

Tanaka and Rokkaku(2017)は,ブランドが価値を創造していくプロセスについて,ブランドは実体に基づきながら実体から離れることによってブランドとして成立すると指摘している。ブランドが実体から分離(デカップリング)しているという指摘はこれまでのブランドの研究ではあまり言及されてこなかった。例えば,Aaker(1991)はブランド・アイデンティティとブランド・ビジョンについて述べているが,実体との分離性については言及していない。しかしながら,ブランドの成長過程において実体との分離性が有効であるのならば,ブランドの一部である「シンボル」と実体との分離性の議論も必要となる。

ここで,ベンチャーの先行研究を参照すると,ベンチャー研究の中で実体と組織のよく知られた特性との分離性について,新制度理論(DiMaggio & Powell, 1983; Meyer & Rowan, 1977)と制度ロジック(Thornton, Ocasio & Lounsbury, 2012)の概念によって示唆されてきた。新制度理論によると,ベンチャーの意思決定は,外部の制度環境における正統性の要請に従うベンチャー内部の行為者によって形成されると指摘している(DiMaggio & Powell, 1983)。一方で,Thornton and Klyver(2021)は,このような外的な制度的要因は容易にベンチャーの内部活動との対立に導くことができるだろうと指摘している。この対立は,例えば,ベンチャーが戦略的にシンボリックなあることを言いながら,実体は別のことをすることや,組織の中枢機能と周縁部の機能を敢えて構造的に分離するなど,「シンボル」とベンチャーの実体とのデカップリングを実施することによって,適切な「シンボリック・マネジメント」が可能となることを指摘している。これらの「シンボル」と「ブランド」及び「実体」との概念上の関係性について図1に図示した。

図1

シンボルとブランドとアイデンティティの関係性の概念図3)

8. セグメンテーションと個人とのデカップリング

他方,例えば消費財を取り扱った事業を主力事業にしているベンチャーの事業成長を説明するためには,ベンチャーが対峙する消費者行動の側面からの議論も必要になる。消費者行動論は,個々の顧客をセグメンテーションによって捉えることで,その文化的な特性を捕捉する方法を理論的に説明し,マーケティング活動に取り組む企業に示唆を示してきた。一方で,個人の消費行動は必ずしも,セグメンテーションと連動しない可能性もある。したがって,消費者に対するセグメンテーション内の文化的な特性と,個人の消費者行動とのデカップリングという視点に立った議論も必要になる。

DiMaggio(2013)は,個人の知識や気質が,例えば家庭や職場環境といった異なるカテゴリーの生活状況にどのように関係するかという領域独立性の議論が重要になると述べている。DiMaggio(2013)は,多くの研究者はセグメンテーションされた一般的な価値観が正確な予測因子であると想定しているが,このアプローチは誤った分析レベルで文化的影響を捉えることにつながるとして,このアプローチに警鐘を鳴らしている。

つまり,DiMaggio(2013)は,特定の個人の行動がどのようにセグメンテーションとは独立に作用するかを認識しなければ,個人の状況特有の気質と文化的特質によってセグメンテーションされた特徴とを混同してしまうと指摘したのである。このDiMaggio(2013)の見解に立脚するならば,個人とベンチャーとの相互作用の議論において,文化的にセグメンテーションされた消費行動の捉え方と,特定の個人の消費行動の捉え方とを分けて評価することが重要となる。

このDiMaggio(2013)の指摘は,ベンチャーの顧客セグメンテーションと顧客個人の特性の議論に応用できるだけでなく,ベンチャーの資金調達やリクルーティング活動におけるセグメンテーションと個人との特性の議論にも応用が可能となる。

9. ブランド確立以前の「シンボル」の役割

ここで,創業間もないベンチャーの事例を検討する。創業初期のベンチャーは,事業を立ち上げ,顧客を獲得し,組織体制を適切に発展させながら事業成長を成し遂げていく。しかし,顧客基盤を固める前のベンチャーは,継続的に売上を計上し,利益を得ることが難しいだろう。したがって,創業初期のベンチャーは,事業成長させるための資金が特に脆弱なものとなる。事業資金が脆弱であれば採用コストが高い優秀な従業員の採用はままならないし,ましてや能力の高い役員の採用は非常に困難となる。さらには,そのような脆弱性の高いベンチャーは,投資家に事業成長を納得させることも難しく,投資家からリスクマネーを獲得することは困難となる。つまり,創業初期のベンチャーは,あらゆる経営資源が本質的に脆弱なのである4)

そのような経営資源に乏しい創業初期のベンチャーが,社会的に自社の優位性を誇示することはさらに難しい活動になる。つまり,ベンチャーにとって創業初期の事業基盤が極端に弱い過程において自社や,自社が取り組む事業の「ブランド」を確立させることは原理的に困難なのである。しかしながら,創業初期のベンチャーは何らかの手段を使い,ステークホルダーから認知され,ステークホルダーからのコミットメントを引き出す必要がある。その際,限りがある経営資源を集約的に使用することで,ベンチャーは生き残りをかけるだろう。その限りある経営資源の重要な投下先が「シンボル」なのである。

したがって,ベンチャーは,自社の取り組む事業の「ブランド」確立「前」の段階において,まず自社にとっての「シンボル」を定義し,「シンボル」に自社が取り組む事業の意味を与え,意味を蓄積しながら「シンボル」それ自身の価値を確立させる努力が必要になる。一旦「シンボル」が確立されると「シンボル」は「ブランド」の確立にポジティブな影響を与えるだろう。さらに「ブランド」を確立させた「後」のベンチャーは,「ブランド」がベンチャーの実体にポジティブなフィードバックを与え,ベンチャーはさらに社会からの正統性を獲得できる可能性がある。この螺旋的な構造が,創業初期のベンチャーの成長プロセスなのである。以上の示唆を図示した図2を以下に示す。その上で,最後にこれまでの議論を総括した概念的含意を示した後,本研究の結論を述べる。

図2

初期段階のベンチャーの螺旋的事業成長

III. 概念的含意

本研究は,ベンチャーの事業成長と存続可能性を高める「シンボリック・マネジメント」とはどのようなものかを明らかにすることを研究目的としていた。以下では,これまでのレビューを統括し,本研究が示唆する四つの概念的含意を示す。

一つ目は,「シンボル」は社会的な環境文脈において,ベンチャーという主体がどのように社会から認知されて,社会的な意味を創造していくのかを理解する上で,重要な概念であるということである。これまでの研究では,ベンチャーが取り組む事業の成長過程における「シンボル」の機能や役割の重要性について指摘した研究はほとんど見られなかった。またベンチャーが取り組む事業をブランドとして確立する「前」の段階の取り組みにはほとんど焦点が当てられてこなかった。本研究は,特に資源が乏しい創業初期のベンチャーが,事業の脆弱性を乗り越える上で,「シンボル」が果たす重要性について強調している。

二つ目は,「シンボル」が持っている特徴的な機能と役割の内容に気づくことが必要であるという点である。ベンチャーの「シンボル」は,ブランドや実体への認知の強化に重要な役割を果たしている。また,ベンチャーの「シンボル」は,ステークホルダーの想像力に訴えながら,「シンボル」それ自身の意味の連想をステークホルダーに誘発させる機能を持っている。つまり,ベンチャーは「シンボル」を適切に活用することで,ベンチャーが取り組む新奇性が高い事業について社会から事業の持つ意味や役割についての認知を獲得し,事業そのものへの理解を得ることができるのである。

三つ目は,「シンボル」が,実体とデカップリングしていることへの示唆である。ベンチャーの「シンボル」は,客観的に経験されるのではなく主観的に創造されるという点で,ベンチャーの実体とは異なっている存在である。これは,ベンチャーと「シンボル」との間のデカップリングだけでなく,顧客,投資家,従業員といったステークホルダーのセグメンテーションと個人とのデカップリングについても当てはまる。ベンチャーは,「シンボル」と実体とがデカップリングしているが故に,社会的な状況文脈に応じた適切な「シンボリック・マネジメント」を行うことができるのである。

四つ目は,「シンボリック相互作用論」ならびに,「ドラマトゥルギー」を使った社会的相互作用の分析アプローチは,ベンチャーとベンチャーが取り組む事業や顧客との相互作用を理解する上で重要な方法論的アプローチであるという点である。ベンチャーは事業成長を実現するにあたって,ステークホルダーとの社会的な相互作用を通して,ベンチャーや社会にとっての意味の形成が必要条件となる。「シンボリック相互作用論」ならびに,「ドラマトゥルギー」の理論的レンズを通すことで,観察者はアクター同士の社会的な相互作用の輪郭を観察することが可能となる。

これまでの議論を整理し「起業家的シンボリック・マネジメント」を命題として定義するならば,「命題①:ベンチャーが事業成長を成し遂げ,自身の存続可能性を高める上で必要不可欠なシンボルを見定め,シンボル自身の意味を定義すること」,「命題②:ベンチャーのアイデンティティとシンボルをデカップリングさせ,ステークホルダーとの新しい意味システムを構築し,実践すること」となる。以上の概念的含意をまとめた図が図3になる。

図3

初期段階のベンチャーによる「起業家的シンボリックマネジメント」概念図

IV. 結論

本研究は,文献レビューと「シンボリック相互作用論」ならびに,「ドラマトゥルギー」のレンズを理論基盤としながら,ベンチャーの「シンボル」ならびに「シンボリック・マネジメント」の概念について考察してきた。「シンボル」は,ステークホルダーの想像力に訴えながら,「シンボル」それ自身の意味の連想をステークホルダーに誘発させる重要な役割を担っている。また,ベンチャーはそれらの影響力を駆使することで,既存の意味システムを破壊し,起業家的な理念やビジョンに対する目的遂行能力を引き上げることが可能となる。ベンチャーは,「起業家的シンボリック・マネジメント」を適切に実践することで,ステークホルダーの想像力と対話しながら事業成長を加速させ自身の生存可能性を高めていくことができるのである。

1)  ベンチャーの「シンボル」は,当初は社会的な相互作用の中で「主観的に」創造されるが,その後,社会的な相互作用が進展するにつれ「間主観的な」状態へと移行するものと考えられる。

2)  ディズニーランドは公式にはぬいぐるみの中に人が入っていることを認めていない。

3)  Hirasawa(2013)はベンチャーのリーダーが組織アイデンティティをいかに発展させるかについて議論しているが,ここでは起業家的リーダーの役割とベンチャーのアイデンティティ形成との関係性については議論に含めていない。

4)  Stinchcombe(1965)は,このベンチャーの持つ本質的な脆弱性を「新しさの負債(liability of newness)」と呼んでいる。

軸屋 泰隆(じくや やすたか)

京都大学経営管理大学 博士後期課程。京都大学リサーチ・フェロー。早稲田大学大学院経営管理研究科 修士(専門職:MBA)。専門は,アントレプレナーシップ,ベンチャーの修辞戦略,認知社会学。

山田 仁一郎(やまだ じんいちろう)

北海道大学経済学研究科博士課程修了(博士・経営学)。大阪市立大学教授,英国クランフィールド大学客員フェロー,仏ボルドー大学客員教授,豪州グリフィス大学客員教授を経て,組織学会理事,企業家研究フォーラム理事,日本ベンチャー学会副会長,2021年より現任。

References
 
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