マーケティングジャーナル
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マーケティングケース
欧米富裕層をターゲットにしたインバウンド・観光マーケティング
― 「日本の地方」と「世界の旅人」をつなぐワンダートランク社 ―
小野 雅琴
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2024 年 43 巻 4 号 p. 86-95

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Abstract

株式会社wondertrunk & co.は,「日本の地方を世界の旅行地に変える」をミッションに2016年に設立されたインバウンド専門会社である。本論は,観光地を製品として捉える観光マーケティングと従来のマーケティングの違いを踏まえ,日本の今後の観光政策の方向性,すなわち,「持続可能な観光」,「消費額拡大」,および「地方誘客促進」を実現すべく,欧米富裕層をターゲットに観光マーケティングを実施してきた当社の取り組みを検討する。具体的には,観光庁・自治体と共同で実施するディスティネーションマーケティング事業,および,欧米富裕層向けの旅行会社事業に焦点を合わせて分析し,徹底的なマーケティング分析やSTP戦略の立案,海外旅行会社との関係構築,そしてラグジュアリーな観光サービスのカスタマイゼーションを,成功要因として同定する。

Translated Abstract

Wondertrunk & Co., founded in 2016, is an inbound company with a mission to transform local regions in Japan into global travel destinations. Based on the difference between tourism marketing, which considers tourist destinations as products, and conventional marketing, this paper examines Wondertrunk & Co.’s approach in the context of tourism marketing. This approach targets wealthy Western travelers to fulfill the objectives of Japan’s tourism policy of “sustainable tourism,” “expansion of consumer spending,” and “promotion of regional tourism”. The analysis focuses on destination marketing campaign projects carried out in collaboration with the Japan Tourism Agency and local governments, as well as the tourism business tailored to wealthy Western travelers. This paper concludes that the key success factors are (1) comprehensive marketing analysis and STP strategy development, (2) relationship building with international travel agencies, and (3) customization of luxury tourism services.

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出典:「wondertrunk & co.」公式サイト(https://www.jp.wondertrunk.co/)wondertrunk & co.社転載許諾済

I. 国際観光市場における日本の現状と課題

1. 観光産業の重要性

現在,世界規模で国際観光市場の躍進と拡大が見込まれており,国際観光客の誘致が一層重要性を増している。UNWTO(国連世界観光機関)が公表した「International Tourism Highlights 2020」によれば,2019年における自国から国外への国際観光客到着数は前年比4%増の14億6,000万人に達し,また,国際観光客による旅行先での消費から得る観光地の収益額,すなわち国際観光収入の総額は同3%増の1兆4,810億米ドルであった。観光産業は,世界で最も急成長している経済セクターの一つと言えるであろう。

もっとも,2020年3月頃に発生した新型コロナウイルス(COVID-19)によるパンデミックは,世界の実体経済へ多大な負の影響を及ぼし,インバウンドの減少による観光・交通等のサービスの低迷も顕著であった。しかしながら,2023年5月の発表によれば,2023年の第1四半期における国際観光客数は,パンデミック前の水準の80%に回復した。これは驚異的な回復力であり,観光産業が今後の成長と繁栄が見込まれる市場であることを示唆している(UNWTO, 2023)。

2. 日本の観光産業の現状と課題

世界の国際観光市場が拡大する中で,2000年代以降の日本も経済成長の著しい中国(中華人民共和国)などの近隣アジア諸国の海外旅行需要の拡大を受けて,インバウンド観光振興を国策として官民挙げて取り組んできた。具体的には,2003年,小泉純一郎政権が,「住んでよし,訪れてよしの国づくり」を理念とする観光立国宣言を打ち出し,同年から訪日旅行を促進するビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)を開始した(Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, 2004)。このキャンペーンの下では,韓国,中国,台湾,香港,米国というアジアを中心とした5つの国・地域が重点市場とみなされ,インバウンド誘致活動が活発に展開された。さらに,2008年10月には,ビジット・ジャパン・キャンペーンの企画や観光事業の発達促進・調整を目的として,観光庁が創設された。観光庁において企画された施策は,観光局(JNTO)が実施する仕組みとされた。観光庁は,1963年に制定された旧「観光基本法」を,2006年に「観光立国推進基本法」へと全面改定し,観光産業を21世紀における日本の重要な政策の柱と位置付けた(Japan Tourism Agency, n. d._a)。同法では,観光立国実現のための計画の策定も義務付けられ,翌年の2007年には「観光立国推進基本計画」が打ち出され,2010までに訪日外国人旅行者数が1,000万人と目標値が定められた。以後5年おきに計画が改定され,2017年の改定においては,2020年までに訪日外国人旅行者数が4,000万人,訪日外国人旅行消費額が8兆円と目標数値が引き上げられた(Japan Tourism Agency, 2017)。

このような日本政府による観光政策の後押しもあって,日本のインバウンド市場は,順調な拡大傾向を示した。国際観光客到着数は,リーマンショックや東日本大震災の影響による一時的な減少傾向が見られたものの,2015年からは急激に成長し,2015年は1,973万人,2017年は2,869万人,コロナ前の2019年は3,188万人を記録した(Japan National Tourism Organization, n. d.)。

しかし,政策目標の4,000万人には達しなかった。訪日外国人旅行消費額も4.8兆円まで増加したものの,8兆円の目標数値には至らなかった。さらに,国際比較を行うために2019年の地域別の国際観光客到着数を見てみると,まず,欧州が最も多く,全世界の51%を占めている。次いで,アジア・太平洋が25%,米州が15%となっている。国別に比較すると,1位のフランスは8,932万人,2位のスペインは8,350万人,3位のアメリカは7,925万人,4位の中国は6,570万人,5位のイタリアは6,451万人となっている。以下,トルコ,メキシコ,タイ,ドイツ,イギリス,オーストリアと続き,日本はトップ10にランクインしておらず,12位に留まった(UNWTO, 2021)。欧米先進国や,アジア圏の中国,タイに比べて,日本はまだ低い到着数しか,受け入れに成功していないのである。

2017年に改訂された「観光立国推進基本計画」は,コロナ禍で改訂が延期され,2023年3月に,6年ぶりに改定された(Japan Tourism Agency, 2023)。この新たな「基本計画」によると,コロナ感染拡大前の2019年時点で,訪日外国人旅行者の人数について,目標の約8割にしか達しておらず,旅行消費額と地方部宿泊数については,約6割にとどまってしまった。訪日外国人旅行者の一人当たり消費額単価は伸び悩み,高付加価値旅行者(着地消費100万円以上の旅行者)の獲得シェアも低かった。訪日外国人旅行者の8割が訪問先上位10都道府県に集中する中,一部観光地では,観光旅行者による混雑,マナー違反等,住民との課題も生じていた。そこで,今後の観光政策の方向性として,大阪・関西万博が開催される2025年に向けて,観光の質的向上を象徴する「持続可能な観光」,「消費額拡大」,および「地方誘客促進」の3つをキーワードに,持続可能な観光地域づくり,インバウンド回復,および国内交流拡大の3つの戦略に取り組むことが計画されている。

II. wondertrunk & co.社

1. 企業概要

株式会社wondertrunk & co.は,「日本の地方を世界の旅行地に変える」をミッションに2016年7月に設立されたインバウンド専門会社である。観光庁やJNTO・自治体やDMOに対する訪日外国人誘致戦略のコンサルティング業務,インバウンド広告・PR,旅行商品開発等を統合的に企画・実施するディスティネーションマーケティング事業と,主に欧米市場の富裕層を顧客基盤とする旅行会社事業を展開している。多様なバックグラウンドを持つ40人以上の多国籍のメンバーで構成され,東京原宿に本社,五島及び北米に支社を構えている。同社に特徴的なのは,2020年7月,欧米を中心とした富裕層専門旅行会社「The Art of Travel」と旅行事業を統合し,さらに,独自のトラベルネットワーク(世界20ヶ国100社以上の旅行メディア・旅行会社,150人以上のトラベルクリエイター)を活用して事業を行っている点である(Wondertrunk & co., n. d._a)。

2. 有能な起業家

さらに特筆すべきことは,代表取締役共同CEOの高橋亘氏と岡本岳大氏は,10年以上に及ぶ博報堂時代に,マーケティング戦略の立案・統合コミュニケーションの企画制作などの業務に従事してきた。その上で,両名とも,2009年より世界17カ国の市場でビジット・ジャパン・キャンペーンを担当し,また,観光庁のツーリズム推進事業の専門家としてコーチや委員などを歴任してきた。つまり,彼らは,観光業以外の幅広い広告とマーケティングに関する見識を有すると同時に,インバウンド領域において深い知見を持っている人材なのである。そんな2人が,「異文化交流と相互理解を促し,社会において良い循環を生み出す旅を統合的に創りたい」という想いから,博報堂のグループ会社として2016年に設立したのが,株式会社wondertrunk & co.なのである(Wondertrunk & co., n. d._a)。当社はまだ創業して8年目という若い企業ではあるが,すでに業界ではよく知られる存在となっている。次節からは,当社の2つの主要事業,すなわち,観光庁・自治体と共同で実施したディスティネーションマーケティング事業,および,欧米富裕層向けの旅行会社事業について,具体的に検討していきたい。

III. wondertrunk & co.社の取り組み

1. ディスティネーションマーケティングとDMO

「ディスティネーションマーケティング」とは,ディスティネーション,すなわち,観光旅行者にとっての旅行目的地候補のステークホルダーが実施する,当地への誘客のための戦略的なマーケティング活動を指す概念である(cf. Camilleri, 2018; Kozak, Gnoth, & Andreu, 2010; Ono & Ono, 2023)。ディスティネーションのマーケティングを行うということは,ディスティネーションを製品として捉えるということであるが,従来のマーケティングとどのような違いがあろうか。

Kolb(2017)によれば,消費者向け製品のマーケティングが,製品,価格,流通,プロモーションに対して均等に焦点を合わせるのに対して,ディスティネーションマーケティングは,その焦点の力点を調整するという点に違いがある。具体的には,ディスティネーションが位置する場所への旅行でしか経験や消費ができないため,製品自体が場所でもあるから,流通はマーケティング計画の焦点ではない。また,様々な旅行者が同一のディスティネーションという製品/場所を様々な価格帯で消費することができる。例えば,ディスティネーションはオペラフェスティバルのような高額なイベントを提供する一方で,同時に公園での無料コンサートのような低価格なイベントも提供できる。その結果,ディスティネーションマーケティングの主要な焦点は,価格ではない。そうではなく,既存の製品開発こそ焦点である。研究開発部門によって開発された製品とは違って,製品(ディスティネーション)は,すでに存在しており,なおかつ,地域の様々な利害関係者たちによって開発される必要がある。この開発のためには,ディスティネーションが提供できる観光関連製品・サービスはどのようなものであるか,そして,それらは旅行者にどのようなベネフィットを提供しているか,ということが分析される。

さらに,潜在的な旅行者が望む製品・サービス,および,それらのベネフィットに関する分析も,その必要性が増している。顕在化済みの旅行者に関する分析が,観光体験を向上させるのに役立つ一方,潜在的な旅行者に関する分析は,新しいターゲット・セグメントを見つけ出すことに役立つ。新しいセグメントは,その地域へ旅行する際,食事や宿泊,交通などの点において,追加的な観光製品・サービスが利用可能であることを必要とする。また,これらの観光製品・サービスはブランド化される必要があり,プロモーションによって,消費者間相互作用が促進され,潜在的な旅行者がマーケティング・メッセージより信頼を寄せる,顕在化済みの旅行者からのメッセージを活性化させる必要がある。

このような意味でのディスティネーションマーケティングをステークホルダーたちを束ねつつ実施する機関として,DMO(Destination Management/Marketing Organization)という機関がある。DMOは,欧米の観光先進国を中心に発展してきた機関であるが,日本においても,2015年,観光庁のもとで「日本版DMO候補法人登録制度」が制定され,いよいよ「日本版DMO」,またの名を「観光地域づくり法人」が登録開始となった。観光庁は,観光地域づくりにおいて地域の多様な関係者が連携し,地域に息づく暮らし,自然,歴史,文化等に係る地域の幅広い資源を最大限に活用していくことが必要であるとした上で,その一連の活動を行う組織として,この機関を位置づけており,2023年3月31日時点で登録されているのは,「広域連携DMO」10件,「地域連携DMO」106件,「地域DMO」154件の計270団体である(Japan Tourism Agency, n. d._b)。

2. DMOとwondertrunk & co.社

注目すべきことに,組織化難易度が最も高い「広域連携DMO」の中で,DMO制度が施行された直後の2016年にいち早く組織化されたのは,瀬戸内の各県及び地元の民間企業による,発足時点で日本最大のDMO,「せとうち観光推進機構」であったのであるが,2017年,この「せとうち観光推進機構」に,外部専門チームとして選定され,ディスティネーションの価値の規定,ブランド戦略策定,配信コンテンツの制作などの担当を委嘱された企業こそ,本稿が注目するwondertrunk & co.社であった。

wondertrunk & co.社は,観光マーケティング戦略を策定するために,競合他社とは異なり,顕在化済みの旅行者が,旅行中,瀬戸内の何に興味を抱きつつ,どこを訪れているか,ということを調査することを計画しようとはしなかった。むしろ,Kolb(2017)の示唆するように,瀬戸内に訪れたことがなく,興味さえ抱いていないような,潜在的な旅行者が誰であるかということについて分析することから着手した。調査などの結果を踏まえ,彼らは,全世界の多様な旅行者を6つのセグメントに分類し,瀬戸内の潜在顧客を規定した。その6つのセグメントとは,以下のとおりであった(cf. Japan Tourism Agency, 2021)。

Sightseeing Tourists:有名観光地を巡る一般的な物見旅行者。色々な国や地域行ってみたいと考える旅行客層。海外旅行市場が急拡大している新興国に多い。

Resort Vacationers:海山川などのリゾート地を指向するいわゆるバケーション旅行者層。各国の大都市居住者に多い。

Wander Backpackers:世界中を放浪するバックパッカー旅行者。滞在期間が長いためその土地に根付いた体験などの情報発信力が最も高い旅行者層。

Educated Travelers:異文化好奇心を持つ旅慣れた知的旅行者。中長期の滞在による異文化交流を好む旅行者層。海外旅行市場が成熟した欧米諸国に多い。

FR(Friends and Relatives)Visitors:親戚や友人等の訪問を目的とする海外旅行者。近年のSNSの発達に伴って,改めて注目されている旅行者層。

Special Interest Hunters:特定の趣味を旅の主目的とする旅行者。近年はスポーツツーリズムなどに加えて,Foodiesと言ったインフルエンサーも多い,探求心や制覇欲求の強い旅行者層。

さらに,各セグメントの地域別のボリュームを調査・推計した結果,アジア人訪日旅行者は,圧倒的に「Sightseeing Tourists」が多く,約9割に達していたのに対して,欧米人訪日旅行者は,「Special Interest Hunters」と「Educated Travelers」が最も多く,それぞれの比率は2~3割を占めていた。実際,アジア人旅行者を中心に構成された当時の訪日外国人旅行者は,ゴールデンルート(外国人旅行者が東京,箱根,富士山,名古屋,京都,大阪などを巡る広域の観光周遊ルートのこと)を短期間で手軽に巡る「Sightseeing Tourists」が大半であった。wondertrunk & co.社は,この結果を得て,「Sightseeing Tourists」を瀬戸内に誘客することを模索するというより,むしろ,欧米の「Special Interest Hunters」および「Educated Travelers」の潜在性に着目し,彼らをこそ,ゴールデンルートをスキップしてでも瀬戸内を訪れたいと魅了するほどのコンテンツや旅行商品を開発しなければならないと提言したのであった。

ターゲットを明確に規定した後,wondertrunk & co.社は,DMOと共に,彼らに競合地ではなく瀬戸内に訪れてもらうための瀬戸内のポジショニングを検討した。すなわち,瀬戸内のブランド価値を顧客に力強く伝達するために,島国日本の中でも最も島が多い海域の一つであり,そこに深く根付いた興味深い歴史や文化があり,さらに,現在,数多くの魅力的なマリンアクティビティが存在する,という事実を捉え,それを「多島美」というキーワードで端的に表現して,プロモーション動画コンテンツを作成して全世界に向けて配信した。このとき,単に一方向的なコミュニケーションを実施するのではなく,表現要素違いの複数の動画コンテンツをネット配信することによって効果測定を行って,いかなるニーズを持つ欧米旅行者が瀬戸内を訪れる潜在性がより高いかという情報を取得する工夫も施された。

また,キャンペーン実施後,wondertrunk & co.社は,旅行者の意思決定プロセスに対するマーケティング施策の効果を測定するためのファネルモデルとして,「DCATSモデル」を提唱し,それを初めて実際のディスティネーションマーケティングに活用した。このモデルは,「Dream:旅先を夢見る」,「Consider:旅を検討する」,「Activate:具体的に計画する」,「Travel:実際に旅をする」,および「Share:SNSなどで共有する」の5つのフェーズから構成されており,彼らは,各フェーズの測定方法を明確に定義し,かつ,その操作的定義に沿って測定を実施するためのマーケティングプラットフォームを構築した。特筆すべきことに,wondertrunk & co.社がDMOに協力した2017年からコロナ禍を含む5年間が経過した現在まで一貫して,彼らが提唱したブランド価値の規定,ターゲット市場の識別,成果指標の定義,および効果測定は,依然として維持されている(Setouchi DMO, n. d.)。

以上のような瀬戸内での成功を皮切りにして,wondertrunk & co.社は,数多くの自治体やDMOと協働して,日本各地のディスティネーションマーケティングの企画・実施に参画している現状にある。

3. 欧米富裕層向けの旅行会社事業

wondertrunk & co.社のもう一つの主要な事業は,海外旅行会社をクライアントとするBtoB型の旅行会社事業である。彼らのクライアントであり,パートナーでもある海外旅行会社は,主に米国,南米,イギリス,フランスなどにおいて欧米の富裕層が顧客基盤の旅行会社であり,彼らとの協業を円滑に遂行するために,wondertrunk & co.社は,ロサンゼルス,サンフランシスコ,ニューヨーク,パリ,ロンドン,フランクフルト,フィレンツェ,ベルリンなど多くの欧米都市に社員を派遣し,ダイレクトにクライアントに対して営業を行なっている(図1)。そして,当社は,パートナー旅行会社から送客される訪日旅行者に対して,滞在中の旅程のプラニング,宿泊,飲食,移動,ガイド,体験などについて,完全なるカスタマイゼーションを施し,旅程の全てを網羅した上で,それらの随所について至上の高品質サービスを提供している。前述の通り,政府観光局が「高付加価値旅行者」を「訪日旅行1回あたりの総消費額が1人100万円以上の旅行者」と定義していることに対して,wondertrunk & co.社の場合,典型的には1人200万円以上の旅行者がその標的である。当社の取り組みは,今後の観光政策の焦点となる「持続可能な観光」「消費額拡大」「地方誘客促進」に相応しい事例と言えるであろう。

図1

海外提携旅行会社で接客時に使用するwondertrunk & co.社の紹介パンフレット(著者撮影)

「Wondertrunk: New points of view on Japan」というタイトルのパンフレットの制作チームは,全員欧米出身のクリエイターで構成されていた。彼らは実際に日本の地方を訪れ,自分たちの視点から日本の風景,人物,文化などを文章や写真で表現し,コンテンツを制作した。このシリーズのパンフレットは海外の旅行会社から高い評価を受けている。

このような富裕層向けの高付加価値な観光サービスについて,従来の観光サービスとどのような違いがあるのか,ラグジュアリーツーリズムの文脈から考えてみたい。観光産業においては,ラグジュアリーなセグメントは,重要であるにもかかわらず,明確な一般的に受け入れられている定義が存在していない(Bakker, 2005)。これは,「ラグジュアリー」という概念が異なる観点から捉えられる可能性があることに起因している。例えば,消費者ごとに異なる可能性があり(ある消費者にとって高級だと評価されるものが,別の消費者にとって高級だと評価されない)可能性があり,また,産業によっても,この概念の捉え方は異なっている(Ko, Costello, & Taylor, 2019)。

さらに,ラグジュアリーという概念は,多面的に進化し,伝統的な意味合いに加えて,非伝統的な意味合いを帯びながら新しい形態のラグジュアリーも生成されてきている(Thomsen, Holmqvist, von Wallpach, Hemetsberger, & Belk, 2020)。具体的には,伝統的なラグジュアリーの意味合いが,選りすぐりのもので,排他的で象徴的であり,名誉があって高価であり,地位を顕示する手段として機能すると考えられている(Godey et al., 2013)のに対して,新しいラグジュアリーの意味合いは,個々の消費者にとって貴重で,経験的で,能動的なものである。つまり,消費者個々人がそれはラグジュアリーだと知覚するかどうかが,ラグジュアリーを追求する企業にとって重要であると見なすアプローチが展開されつつあり,その結果として,ラグジュアリーは,個人の品質評価,消費経験,ひいては人生に関わる,より個人的な感情論的問題であると位置づけられるようになっている(Thomsen et al., 2020)。

このことは,有形の奢侈品においてのみならず,観光サービスにおけるラグジュアリー性の評価にも当てはまる。wondertrunk & co.社は,このことを早期に理解しており,企業戦略として,数ある認証機関の視点から見て,この旅程のこのサービスはファイブスターであると高評価を受けることができる内容であるか,という,旧来型のラグジュアリー性より,メインターゲットである新しいラグジュアリー層,すなわち,彼らの言葉でいう「Modern Luxury層:特別な体験を優先するSelect富裕層」の一人ひとりにとって,当社が自分のために思案し提案してくれる観光サービスがどれだけラグジュアリーであるかということに,最大限,注力しており,だからこそ,カスタマイズされたサービスを提供しているのである。

当社のカスタマイゼーション・サービスには,もう一つの意義がある。それは排他的な体験である。実際,Wirtz, Holmqvist, and Fritze(2020)が示唆したように,ラグジュアリーサービスと通常のサービスを区別する鍵は,排他的な体験である。排他的な体験は,価格による経済的な排他性(手が届きにくいこと),社会的な排他性(アクセスしにくいこと),感覚的な排他性(楽しむのが難しいこと)を通じて創出されるという。とりわけ印象的なのは,感覚的な排他性であろう。ラグジュアリーな観光サービスの真の価値を理解し,満喫するには,顧客の側に,一定の知識と技術,そして,洗練性の持ち主にしか味わうことのできない感覚が必要とされることがある。その感覚的な排他性が,ラグジュアリー性に帰着するというのである。

wondertrunk & co.社は,日本やその地域ならではの本物の文化・自然体験のために出費を惜しまない裕福な知識層,あるいは特定の趣味や関心を旅の主目的とする行動派の富裕層に,自分達だけの特別な体験やガイドを提供している(図2)。例えば,「文化・歴史」関連のツアーについては,島根で日本の神話から生まれる伝統芸能の世界観を楽しむ石見神楽鑑賞ツアー,金沢で漆職人と刀鍛治職人の工房を訪問し,タイムスリップした気分で金沢の歴史と文化を堪能するツアー,山形で日本三大修験道の1つである出羽三山で山伏修行を体験するツアーなどが用意されている。「自然」関連については,鹿児島の活火山のエネルギーを感じるツアー,「東洋のガラパゴス」とも呼ばれる西表島のジャングルを探検するツアーもある(Wondertrunk & co., n. d._b)。

図2

wondertrunk & co.社公式ホームページに掲載されているツアー例

出典:「wondertrunk & co.」公式サイト(https://www.jp.wondertrunk.co/tours)wondertrunk & co.社転載許諾済

これらのツアーは,高額な費用を出資することのできる一握りの特別な観光客しか参加できないし,ひとたび参加すれば,日本人でさえ一生を通じて体験することのないような特別な体験の数々を体験することができるツアーであるわけであるが,wondertrunk & co.社が観光客に提供している付加価値は,それだけに留まってはいない。著者が考えるに,当社は,当社の顧客たちに対して,富裕層という限られた人間にしか体験する機会のない特別な体験を体験することのできる機会を提供しているだけでなく,その特別な体験が含意している味わいを,正統に味わうことのできる感覚を持ち合わせているという意味で,限られた人間である自分を,旅行中に再確認することのできる機会を提供しているのである。そのような意味においてこそ,wondertrunk & co.社は,世界各国の富裕層向け旅行会社,ひいては旅行者たちから,厚く,日本でのツアー企画を信任されているのである。

IV. wondertrunk & co.社が目指すもの

本論文は,創業して8年目の株式会社wondertrunk & co.の2つの主要事業,すなわち,観光庁・自治体と共同で実施するディスティネーションマーケティング事業,および,欧米富裕層向けの旅行会社事業について検討した。具体的には,前者については,従来のマーケティングとディスティネーションを製品として捉える場合のマーケティングの違いに着目して検討し,後者については,通常の観光サービスとラグジュアリーな観光サービスの違いに着目して検討した。

当社の徹底的なマーケティング分析やSTP戦略の立案,海外旅行会社との関係構築,ラグジュアリーな観光サービスのカスタマイゼーションなどの取り組みにより,当社は急速に成長している。実際,欧米の訪日旅行客の中に富裕層がどのぐらい占めているのか,そもそも,富裕層とはどのような人たちを指すのか,ということについて公的な資料はないものの,日本政府観光局の発表統計によると,2023年8月のアメリカ人の月間訪日旅行客数が138,400人(Japan National Tourism Organization, 2023)であり,仮にその中の1%が富裕層だとした場合,その数は月に1,384人であるが,現にwondertrunk & co.社が月に平均100~120人のアメリカ人旅行客を受け入れているので,およそ業界10%弱のシェアを獲得しているという計算になる。この10%という数字は,おそらく業界において,トップクラスのシェアと言えるであろう。

とはいえ,当社の目標は,業界シェアを拡大するという意味での成長ではない。日本にはインバウンド観光市場を拡大するポテンシャルを十分に持っているので,当社は,競合他社との間で熾烈な競争を繰り広げるというより,むしろ,他社と切磋琢磨しつつ,日本の素晴らしい観光資源を共に利活用しながら,その価値を理解できる世界中の潜在顧客に提供することに焦点を合わせて活動している。そうすることによって,日本の秘めたる観光資源を活かし,観光地を活性化させるのも,当社の活動の範疇である。今後も,当社のミッションとして掲げられた「日本の地方と世界の旅人をつなぐ」という理念を実行し,日本の地方と海外からの旅行者に共に幸せをもたらすことにこそ,彼らのマーケティングに関する英知は,継続して活かされていくことであろう。

謝辞

本論文の執筆に際し,株式会社wondertrunk & co.代表取締役共同CEO高橋亘様に,取材させていただいた。同氏は,以前,博報堂時代に,観光庁のビジット・ジャパン・キャンペーンの業務担当リーダーを務めており,その際,著者も参画していたという間柄である。長年にわたってのご厚誼に対して,心より謝意を表したい。

小野 雅琴(おの まこと)

明治大学国際日本学部専任講師。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程・博士課程修了。博士(商学)。株式会社博報堂にて,ストラテジックプランニングディレクター,上席研究員等を経て2021年より現職。専門は広告論など。

References
 
© 2024 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
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