2021 年 2021 巻 8 号 p. 77-82
東京電力福島第一原子力発電所事故後の毎年の放射能モニタリング(2012 ~ 2019 年)により,福島県内の農地土壌および農作物の放射性セシウム濃度における継続的な減少が確認されるとともに,土壌中に存在する放射性セシウム形態の分布状況が明らかにされた.また,周辺林地内の放射性セシウム移動量が存在量に対して極めて小さいことや,中山間水田内の放射性セシウム存在量が物理的半減期より早く減少することが明らかにされた.これらの研究結果は,中山間地域が広く分布する福島県内において,放射性セシウム濃度の低い農作物が生産できるか判断するための重要な情報であると考えられた.土壌中において植物が利用しやすい溶存態放射性セシウム量の評価方法も検討され,営農再開農地での利用が期待された.
平成23 年3 月に発生した東日本大震災に起因する東京電力福島第一原子力発電所事故により,福島県内を中心に広範囲の農地土壌が放射性セシウムの汚染を受けた.汚染された農地土壌では,除染・客土やカリウム施肥等による放射性セシウム吸収抑制対策が取られており,農地土壌と作物の放射性セシウムの汚染状況は事故当初から大きく変化するとともに,環境中における放射性セシウムの挙動は,年々変化している.その経年変化についてモニタリングを実施し,経年変化を把握・評価することは,放射能汚染状況の将来予測を行う上で必要不可欠な基礎的知見となる.本稿では,原発事故後の農地土壌,作物および周辺環境における放射性セシウムの分布や挙動の実態把握のために実施されてきた調査研究について紹介する.
原発事故直後において,生活基盤である農地における土壌およびそこで生産される作物に含まれる放射性セシウム濃度の長期推移を把握するため,福島県内の未除染農地約 80 地点を定点調査地として,土壌と作物(葉菜類(11 地点),果菜類(6 地点),根菜類(4 地点),水稲(50 地点),豆類(9 地点))試料を年 1 回採取し,放射性セシウム濃度を分析するととともに,土壌から作物への放射性セシウムの移行係数(=作物の放射性セシウム濃度/土壌の放射性セシウム濃度)が求められた(井倉ら 2019).また,農地土壌の放射性セシウム濃度は経年的に緩やかに減少し,2012 年から 2019 年にかけておよそ一定の割合で減少する傾向が見られている(井倉ら 2020).各作物の放射性セシウム濃度および移行係数は経年的に減少する傾向を示し,特に果菜類や豆類は 2012 年から 2013 年にかけて著しく減少した.また,水稲は他の作物と比較して初期の放射性セシウム濃度は顕著に低く,移行係数の経年変化は極めて緩やかであった.根菜類は地中から採取されるが,移行係数は葉菜類や果菜類と同程度であり,震災初期から約 0.0005 前後で推移している.
福島県の浜通り地域に位置する除染後農地土壌における放射性セシウム鉛直分布の調査結果(井倉・栗島 2020)によれば,畑地土壌および水田土壌中の放射性セシウムは作土層(深さ 0 ~ 15 cm)に均一に分布し,作土層以深では顕著に減少する傾向が見られた.また,深さ 25 cm までの放射性セシウムを100 % とした場合,畑地および水田の作土層にはそれぞれ 80 ~ 90 % および 95 ~ 98 %程度と大部分が分布していた.2013 ~ 2014 年の土壌断面調査においても,放射性セシウムの大部分が作土層に存在することを示しており(井倉・高田 2016),作土層の放射性セシウム挙動を把握することが移行低減対策において重要であることがあらためて確認された.
農地土壌中の放射性セシウムには複数の存在形態があり,植物が利用しやすい溶存態や交換態(Anderson and Sposito 1991),有機物分解等の影響を受ける有機物結合態(Unno et al. 2017),層状粘土鉱物の閉じた層間に強く捕捉された固定態(Cornell 1993)等がある.土壌中の放射性セシウム存在形態を把握することは,作物栽培において必要な移行低減対策(カリウム施肥や土壌改良等)を実施する上で必要な基礎データとなる.除染後農地作土における形態別放射性セシウム(交換態,有機物結合態,固定態)の存在割合の調査結果(井倉・栗島 2020)によれば,大豆圃場および水田圃場における固定態の割合はそれぞれ 70 ~ 80 % および 80 ~ 85 %程度であり,残りの画分を交換態と有機物結合態がそれぞれ半分ずつを占めていた.交換態および有機物結合態は植物が直接利用可能な溶存態に移行しうる画分であり,除染後の分布変動については継続的なモニタリング評価が必要である.
農地における放射能モニタリング調査が進められ,作物の放射性セシウム濃度および移行係数の経年的な低下が確認される一方で,農地周辺には放射性セシウム濃度の比較的高い森林が存在していたため,農地に隣接する周辺林地での放射性セシウム挙動および周辺農地への影響に関する調査研究が実施されてきた.
2011 年の水稲栽培では,灌漑水により流域内の底質流入が原因と考えられる水田土壌や玄米中の放射性セシウム濃度上昇に関する事例が報告されており(Endo et al. 2013),灌漑水を利用する流域内に放射性セシウム濃度の比較的高い森林が存在する中山間地域においては,森林から農地への放射性セシウムを含む水や懸濁物質の流入が懸念された.福島県において森林は土地面積の 70 % を占め(Hashimoto et al. 2012),原発事故の影響を強く受けた地域にも中山間地域が広く分布している.森林が隣接した水田や森林内の渓流水を水源とする水田では, 森林から流出する放射性セシウムが灌漑水として流入する可能性があり,長期的実態の把握や森林の樹種の違いによる影響等を明らかにする目的で,農地に隣接する林地土壌を対象に,放射性セシウムの土壌中鉛直分布や, 降雨により生じた表面流去水とともに移動する溶存態放射性セシウム量のモニタリングが実施された(井倉 2018).浜通り地域の農地隣接林地(スギ林,コナラ林等)土壌における放射性セシウム(137Cs)の鉛直分布を調査した結果によれば,2014 年から2017 年の期間において,どの林地でも放射性セシウムは深度 0 ~5 cm に約 95 % 以上が存在し,下層への移行量は極めて少なかった.林地斜面上を移動する表面流去水中に含まれる溶存態放射性セシウム量は,コナラ林等と比較してスギ林で高い傾向がみられた.調査が行われた浜通り地域の林地において,スギ林(2 地点)では 19.20 および 22.34 Bq/m2,コナラ林では 11.30 Bq/m2,マツ林では 8.45 Bq/m2 が約半年間で斜面を移動していた.林地土壌中の放射性セシウム存在量と比較して表面流去水による移動量は極めて小さい(0.007 % ~ 0.041 %)ものの,溶存態放射性セシウムの移動量は樹種ごとに明確な違いがみられ,コナラ林等と比較してスギ林地で多い傾向があった.各林地における表層土壌(深さ10 cm まで)では,形態別放射性セシウムの存在割合や鉛直分布に違いがみられ,コナラ林土壌では固定態が 90 % 以上であるのに対し,スギ林地土壌では固定態は 70 ~ 80 % にとどまり,交換態や有機物結合態の割合が高い傾向が確認された.
スギ林地土壌では,表層に厚さ 10 cm 以上の有機物層が形成されており,この発達した有機物層が放射性セシウムを蓄積し,交換態や有機物結合態の比較的高い存在割合を維持している要因と考えられる.また,スギ林における溶存態放射性セシウムの流出量は,降水量と正の相関関係を示し,降水量の増加とともにおよそ一定の割合で斜面からの流出量が増大することが確認されている.この流出量は表層土壌の放射性セシウム濃度とも正の相関関係があり,これらの知見は斜面からの放射性セシウム流出量予測や流出リスク評価に利用できる可能性がある.
事故後数年以上の経過により,森林内の有機物層に分布する交換態画分の割合が一定になりつつあるとの報告もあるが(Manaka et al. 2019),今後の避難指示解除および居住可能を目指す特定復興再生拠点区域に位置する営農再開農地周辺の林地においても,流出する溶存態放射性セシウム量について,これまでの調査結果で明らかになった知見と同様の傾向が続くか,今後も調査が必要と思われる.
林地内の放射性セシウム分布および挙動が調査されると同時に,実態調査として,森林が隣接する水田や森林内の渓流水を水源とする水田において,放射性セシウム収支に関する調査研究が行われ,周辺林地の影響について研究が進められてきた.放射性セシウムの農地内への主な流入および流出要因について,放射性セシウムは土壌粒子に強く吸着することから,農地土壌における放射
性セシウムの出入りは,懸濁物質(SS)の収支に強く依存する.全国各地の傾斜畑(1959 ~ 73 年)及び水田(1993~ 1998 年)で実施された SS 収支モニタリング結果(谷山 2002)によれば,傾斜畑(8 地点)は,-7.9 ~-0.1 Mg ha-1 yr-1, 水田(11 地点) は,-4.16 ~ +0.03 Mgha-1 yr-1 であり,SS 収支は基本的に負値を示した.これは,放射性セシウム収支も負値となることを示唆しており,全国各地の水田土壌における大気圏内核実験由来
137 Cs の土壌中存在量の実効的な半減期(滞留半減時間)が,137 Cs の物理的半減期(30.1 年)よりもずっと短く,9 ~ 24 年であった(駒村ら 2006)ことと整合する.
2011 年の原発事故後,福島県内各地の水田で観測された放射性セシウム収支も同様に負値を示す場合が多く(土壌中存在量の-3 % ~ +0.2 %),谷山(2002)の知見と矛盾しない結果が得られている(江口 2017).傾斜畑についても放射性セシウム収支は負値であり,カバークロップを栽培することで,管理耕起区(無作付け裸地状態)や大豆栽培区に比べて SS 流出や放射性セシウム流出量が 1 オーダー低下することが示された(若林ら 2018).森林に隣接した水田では,森林からの渓流水や湧水等を灌漑水として利用しており,2011 年には,水口付近の放射性セシウム濃度が局所的に増大した事例も報告された(Harada and Nonaka 2012).しかし,森林に隣接した水田圃場 3 地点(中通りおよび浜通り地域)を対象として,灌漑水,表面排水,大気降下物等の放射性セシウム濃度および流入・流出水量の長期モニタリングデータ(3 ~ 6 年)に基づく放射性セシウム収支推定結果(吉川・江口 2018)によれば,いずれも収支は負値であり,水田土壌中に存在する 137 Cs の環境中における実効的な半減期は,物理的半減期だけの場合(30 年)よりも短いことが示された.
前項までの放射能モニタリング調査により,農地周辺の放射性セシウム分布が明らかになるとともに,作物が吸収する放射性セシウム濃度の予測やリスク評価が,土壌の全放射性セシウム濃度や交換態セシウム濃度等を用いて実施されるようになってきた.放射性セシウムは土壌粒子へ強く吸着する特性があり,経年調査により作土層中の固定態割合が増加していることが確認されている.一方,粘土鉱物組成や含量,土壌有機物含量等の土壌特性の違いにより,圃場ごとに土壌中の放射性セシウム存在形態(溶存態,交換態,有機物結合態,固定態)の割合が異なることが明らかになってきた.このため,単純に全放射性セシウム濃度を用いて作物吸収濃度を判断する事は難しく,また,交換態放射性セシウム濃度でも作物吸収濃度との相関にバラツキがみられることが多く,精度の良い予測は難しい状況であった.農地土壌から作物への放射性セシウムの移行は,基本的に溶存態で生じる.しかし,土壌中における低濃度の溶存態放射性セシウム濃度を直接測定するには,例えば数L 程度の大量の土壌溶液を吸引採取する必要があり,広域多地点での実態把握は非常に困難である.また,作物による放射性セシウムの吸収量は,土壌溶液中に共存する溶存態カリウム及びアンモニウムイオン濃度が高いほど低下する傾向があるため(斎藤ら 2016,Yoshikawa et al. 2020),土壌特性だけでなく施肥条件や生育期間に対応した評価技術の開発が必要である.
Yoshikawa et al.(2019)は,放射性セシウムを強く吸着する亜鉛置換型プルシアンブルーシートを用いた「セシウム吸着シート」(土壌溶液のみが浸透するようにメンブレンフィルター内に封入)を開発して,現地圃場及びポット栽培の水田土壌中に一定期間埋設し,シートへの 1 日当たりの放射性セシウム吸着量が,土壌溶液中の溶存態放射性セシウム濃度や水稲玄米の放射性セシウム濃度と正の相関関係を示すことを明らかにした.本シートへの放射性セシウム吸着は,作物への吸収と同様に溶存態カリウム及びアンモニウムイオン濃度が高いほど低下する傾向がある.水稲玄米への放射性セシウム移行は,土壌溶液中の溶存態放射性セシウム濃度,共存する一価の陽イオン濃度及び放射性セシウム沈着からの経過時間等の要因の影響を受けてダイナミックに変化するが(Yoshikawa et al. 2020),これらの要因は,土壌の粘土鉱物組成や含量,土壌有機物含量,放射性セシウム捕捉ポテンシャル(RIP)等の土壌特性と密接な関係がある(Absalom et al. 2001,江口 2017).したがって,本シートの適用性・範囲についても,今後,広域多地点の様々な土壌特性の現地圃場で十分に検証していく必要がある.
土壌が水分飽和条件にある水田土壌とは異なり,畑地土壌では土壌溶液の大量採取はほぼ不可能である.そこで現在,「セシウム吸着シート」を用いて,畑地土壌における作物の放射性セシウム吸収リスク評価への適用性評価が進められている.畑地土壌は,土壌が不飽和水分状態にあり,水田のように土壌溶液と吸着シートの間の液相の連続性が必ずしも保証されないため,現地の土壌水分状態を反映した結果を得るためには,現地での実証試験を行う必要がある.現地大豆畑への適用例によれば,大豆子実 137Cs 濃度とシートへの 1 日当たりの 137Cs 吸着量には有意な正の相関関係が確認され,シートにより捕捉された畑地土壌中の溶存態セシウム量が大豆子実の 137Cs 濃度判定に利用可能であることが確認されている(井倉ら 2018).畑地土壌では栽培される作物の種類が多岐にわたり肥培管理条件も様々だが,本シートにより土壌中の溶存態放射性セシウムを直接捕捉することにより,簡便かつ精度良く作物の放射性セシウム吸収リスクを判断できる可能性がある.今後,更なる検証を進めるとともに,営農再開農地等での利用が期待される.
福島県内の農地土壌および農作物の放射性セシウム濃度変動や,土壌中の放射性セシウム形態分布,林地内での分布や移動量,水田内での収支に関する情報は,中山間地域が広く分布する福島県内において,営農再開により放射性セシウム濃度の低い安全な農作物生産が可能であるのか判断するための重要な情報である.土壌中において植物が利用しやすい溶存態放射性セシウム量の評価方法も検討が進みつつあり,営農再開農地においてこれらの安全性に関する情報やリスク評価技術の活用が期待された.
本調査の一部は,放射性物質測定調査委託事業のうち「福島県及びその周辺における農畜産物及び土壌の放射能汚染レベルの動向把握」において実施した.
すべての著者に開示すべき利益相反はありません.