農研機構研究報告
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ミニレビュー
超精密農業研究基盤の構築
米丸 淳一 伊藤 博紀内藤 裕貴江口 尚
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2023 年 2023 巻 13 号 p. 71-74

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Abstract

気候変動により生じる作物生産の不安定化を解消するためには,様々な環境で栽培される作物の性能を明らかにする必要がある.そこで,様々な栽培環境を再現する高機能な人工気象器「栽培環境エミュレータ」に,作物形質を連続取得する「ロボット計測機器」を内蔵した「ロボティクス人工気象室」を構築し,栽培環境データおよび画像等の作物形質データを高速ネットワークによりスーパーコンピュータ「紫峰」と連携させ AI 解析を可能にする「超精密農業研究基盤」を開発した.本研究基盤は,民間企業等の外部機関からも遠隔利用が可能であることから,幅広い協同研究に適しており品種,栽培法に関わる研究開発の加速化が期待される.

はじめに

気候変動にともない,作物生産の不安定化が今まで以上に大きな問題となることが予想される(IPCC 2022).作物生産の不安定化は,収穫時期や収量だけでなく品質にも大きな影響を与えるため,様々な環境で栽培した場合の作物の性能(収穫時期,収量,品質等)を明らかにする農業技術が求められる.現在まで,これらの技術開発は野外における栽培試験を前提としていたが,主要な作物の多くは年に一度しか栽培試験ができないことから,様々な栽培環境に作物が反応し形質を変化させる作物環境の応答性を明らかにするためには多くの場所と長い時間が必要となる.加えて,野外における栽培試験では,国内,国外を問わず,様々な環境を自在に再現することは困難である.これらの問題を解決するために,様々な環境を実現可能な人工気象器の利用が有効と考えられるが,従来の人工気象器では温度,湿度,光など広範な環境制御域や野外を模倣した環境再現の能力がそれほど高くない.また,人工気象器を閉めた条件では,作業者が生育調査に立ち入ることができないため,作物形質の連続的な計測が不可能であり,作物環境応答評価への利用が困難となっている.そこで,上記の問題を解決するために「超精密農業研究基盤」の構築を行った.

超精密農業研究基盤の概要

超精密農業研究基盤は,様々な栽培環境を再現することが可能な高精度な人工気象器「栽培環境エミュレータ」に,作物形質を連続で取得可能な「ロボット計測機器」を内蔵した「ロボティクス人工気象室」をネットワークなどの情報基盤と一体化した研究基盤である(図 1).

図1. 超精密農業研究基盤の概要

1.ロボティクス人工気象室

超精密農業研究基盤の中心機器である「ロボティクス人工気象室」は「栽培環境エミュレータ」と「ロボット計測装置」を組み合わせることで,人工気象器を開閉することなく,一定間隔で取得された画像およびセンシング情報を解析し作物形質を連続的に計測することが可能となっている.

1) 栽培環境エミュレータ

「エミュレート」とは,作物の栽培される野外環境を人工的に模擬することを意味する.超精密農業研究基盤を構成する栽培環境エミュレータは,高出力な LED を装備し,温湿度制御,CO2 施与が可能となっている.再現可能な環境範囲によって高機能型と標準型の 2 種類を構築している.それらの主な性能をに示す.

制御は従来のパターン制御に加えて,過去や実現を希望する気象データを隔地の PC から入力するリモート運転が可能で,分単位の設定値変化により,野外の変化を模擬,加えて任意の環境を実現した栽培が可能となっている.気象データについては,気象庁の過去の気象データや農研機構の観測地点の過去データを活用することが可能である.

2) ロボット計測装置

市販の RGB-D カメラを作物に対し平行移動させ,可視(RGB)画像と対象までの距離(D)画像を全自動で取得する画像収集装置(図 2)を開発した.同装置を,前述した栽培環境エミュレータ内に格納している.

図2. ロボット計測装置

具体的な計測方法としては,対象作物上面・側面の撮影用 RGB-D カメラがカメラ走査用電動スライダによって移動し,複数のカラー画像および距離画像を取得する.さらに,取得した対象作物上面・側面の近接画像を合成して,作物全体のパノラマ画像の生成が可能である(図 3 (a)).人が操作せずに設定時刻に自動で動作するため,生育調査を省力化し,画像を解析することにより高頻度の作物形質測定が可能となっている.また,自動化された給液・廃液装置を備えていることから,栽培環境エミュレータを開閉することなく計測できる.

図3. ロボティクス人工気象室により得られたイチゴ画像を用いた解析

2.ネットワークなどの情報インフラとの連携

「ロボティクス人工気象室」をネットワーク接続し,AI スーパーコンピュータ「紫峰」と連動した超精密農業研究基盤は,民間企業を含む外部機関等から遠隔で作物環境応答に関する解析を行うことが可能である.一例として,「ロボティクス人工気象室」と深層学習(AI 解析)を連動した解析結果を図 3に示す.ロボット計測装置で取得したカラー画像に対して,深層学習(Faster-RCNN, Renら 2015)を用いたイチゴ果実検出モデルを適用することにより,果実が大きさ,色を問わず正確に取得されている.最終的には,これらの生育データとロボティクス人工気象室で収集した環境データを組み合わせて果実発育を詳細に解析することで発育モデルの構築が可能となり,収穫時期および収穫時の品質の予測等に利用することが期待される.

また,「農研機構統合 DB 」(川村ら 2020)に含まれる病害虫,気象,遺伝資源,ゲノム情報等の様々な農業データを用いることで複合的な解析も実施可能である.さらに,これらの解析は民間企業等を含む外部機関の施設等からも遠隔で行うことが可能となっている.なお,ネットワーク接続は,情報セキュリティ対策を講じた安全性の高いアクセス環境を導入している.

おわりに

本システムを活用することで,民間企業,公設試,大学,他法人等と連携し,様々な環境に迅速かつ効果的に対応するための品種および栽培技術の開発を通じた作物生産の高度化が可能となる.また,作物が大気中の二酸化炭素を吸収し固定する能力およびメタン等の他の温室効果ガスの発生を抑制する技術開発などにも利用できることから,気候変動における緩和対策技術の開発にも利用できると考えられる.さらに,様々な栽培環境のもとで推定した作物の生育特性や品質を「農研機構統合 DB 」に含まれる多様かつ多量な農業データと連動させて解析することにより,生産,流通,消費等の様々な場面の問題を解決することが期待される.

利益相反

全ての著者は開示すべき利益相反はない.

謝辞

本研究基盤は,内閣府官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM),農林水産省令和 2 年度補正予算「国際競争力強化プロ」,農林水産省令和 3 年度補正予算「農業・食品関係データの高度活用のためのネットワーク基盤構築工事」により構築し,農研機構の交付金により施設整備を行った.

引用文献
  • 1)  IPCC (2022) IPCC 第 6 次評価報告書第 1 作業部会報告書.気候変動 2021:自然科学的根拠 政策決定者向け要約(SPM),暫定訳(2022 年 5 月 12 日版). https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar6/IPCC_AR6_WG1_SPM_JP_20220512.pdf, 2022 年 8 月 1 日参照.
  • 2)  川村隆浩,桂樹哲雄,稲冨素子,鐘ヶ江弘美,江口 尚 (2020) 農業研究データ基盤整備に向けた統合データベースの構築. 人工知能学会全国大会論文集 2020 第 34 回,2O4-GS-13-04.
  • 3)   Ren  S,  Kaiming  He,  Girshick  R, and  Sun  J (2015) Faster R-CNN: Towards real-time object detection with region proposal networks. Advances in Neural Information Processing Systems 28:91-99.
 
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